国道135号旧道 トモロ岬  第6回

所在地 静岡県賀茂郡東伊豆町
公開日 2007.8. 13
探索日 2007.7.25

激闘! トモロ岬

 白田隧道 恐怖の稲取側坑口


 07:31 

昭和3年に竣工した全長89mの白田隧道は、トモロ岬の険しい断崖を通り抜ける約1.2kmの山岳区間の白田側入口に位置する。
私が最初に出会った白田側坑口は、全面をフェンスで塞がれているとはいえ、ほぼ完全な形で坑門が現存しており、内部についても腐食した照明類が散乱している他に大きな崩壊はない。
しかしこの1.2kmは、昭和53年1月14日に発生した伊豆大島沖地震によって激甚なる被害を被り、そのまま二度と復旧されず今に至る、全国的に見ても極めて稀な廃国道区間である。

洞内を進み辿り着いた稲取側坑口は、天井が無惨に圧壊し、膨大な土砂の海に呑み込まれていたのである。

 僅かに人一人が通り抜けられそうな隙間が、この暗い地の底へ一条の光を落とす。
約4.5m上方の穴へ行くには、この土と岩の斜面をよじ登らねばならないが、案の定、それは大変なことだった。
湿り気を帯びた土は非常に滑りやすく、私は2度、登攀に失敗し途中から下まで滑り落ちた。もし爪を割れば探索続行は不可能となる。
落ちる度に私はヒヤヒヤした。そして悪いことに、滑落の度に私の体で斜面は研磨され、より登攀しづらいものとなっていった。




 07:32 

 3度目の挑戦で、私は光をその手にした。

だが、失われた本来の坑口に代わり出現した開口部の状況は、これまで百態以上もの崩壊隧道を見てきた私にとっても、最大級の恐怖を憶えるものであった。

知らぬが仏とはこのことであり、この状況を知ってしまった今、私は二度とこの穴を潜ろうとは思わない。
この画像にも、その恐怖の一端は既に現れているのだが…。

「頼むから、この先で引き返しと言うことにはなってくれるなよ」、そう思った。
それくらい、この残された開口部の状況はまずい。

これを見れば、あなたもこの隙間を通ることは出来なくなると思うが、覚悟いい?







 たわわに実る葡萄のように、開口部の頭上にたくさん実る、スイカサイズ以上の岩塊。

これだけでも、十分怖い。
なにせ、この部分に体を全く触れさせず通り抜けることは、普通の成人男性の体格ならば非常に困難(おそらく無理)だからだ。

しかし、もう少しだけ視線を上に向けると、本当の恐怖がそこにある。

 イモ!

まるで土の中のジャガイモのように、岩塊は実っていた。
ただし、隙間を埋める土は無い。すっかりと洗い落とされ、或いは篩い落とされている。
だから、岩と岩の隙間はスカスカで、残り僅かな開口部の頭上一面は、微かな震動にさえ轟音を上げ一挙に崩壊しそうな状態だった。
むしろ、こんな形状で崩壊が止まっているのが、奇跡的とさえ思える。

とてもではないが、悪戯心で触ってみようとは思えない。
万一、今ここが塞がれれば退路を失うのみならず、その崩壊がどれほどの余土を伴い、私を巻き込まないとも限らない。

現在は崩壊の途中の段階として、まぐれで開口部は存在し、通り抜けも可能である。
だが、今日の明日は、どうなっているか分からない。



 この土砂が坑門を破壊し、その殆どを埋めてしまった。
僅かな開口部の周囲は、本来の路面よりも4mも高い位置が新しい地平となり、緑濃い照葉樹が茂っている。(写真右)

 また、この林を囲むようにしてコンクリート吹きつけの法面が存在し(写真左)、その端部は道路を巻き込むようにL字にカーブする。こうして、そこに坑口があったことを主張している。
現状では、全く何のための法面なのか分からない姿であり、異様である。



 開口部から2mほど離れて、振り返って撮影した写真。

おそらく、こちら側から最初に辿り着いたとしても、開口部に気付けずに「崩壊埋没で終了」とレポートしただろう。
冬場ならもう少しマシなのだろうが、植生の夏繁期では全く気がつけないくらい、土砂と雑草に埋もれている。
僅かに漏れ出る冷気が、冬場には無い大きなヒントだろう。
このくらい離れると、もう駄目だが。




 大洋望む完全廃道


 ここから、震災の瞬間より永久に失われた道が始まる。

黒根崎から黒根隧道までも同様の状況にあり、私を非常に苦しめた。

だが、ここから先は、さらにその数倍も困難だった。


 おそらく、ネット上で公開されるのは、これが初めてだろう。


 特に、この奥200mの位置に控える「城東隧道」は、
近年の到達報告の全くない、未知の隧道である!



 7:35

残る未踏区間は、全長1.2kmの廃道区間のうち、三分の一の400mほど。
内訳としては、この白田隧道南口から次の城東隧道までの200m。
そして、城東隧道の全長127m。
さらに、その西口から廃病院入口の分岐までの100mほどだ。

次の城東隧道こそが、トモロ岬自体を貫く、この区間の主トンネルであり、3本の中では唯一100mを超える長さを有する。
竣工も一年遅れ、昭和4年と記録されている。




 白田隧道を抜け出ると、そこは路面よりも4mくらい高い位置である。
だから、そこからかつての道の跡を辿るには、一度結構な斜面を降りることになる。
だが、降りてはみても路面が現れる訳ではなく、ジャングルそのものだ。
あとは、大体どの辺が道の高さだったのか、想像しながら歩くことになる。
踏跡などは、一切見えない。

前方に、ひときわ明るい場所が近づきつつある。
薄暗いジャングルの方が、日の当たる藪よりも遙かに与しやすい。
そのことを既に前半戦で思い知った私は、その明るい場所が恐ろしかった。




 木々の向こうに、青い海面が見える。

そして、海面に浮かぶ巨大な洗濯板のような、トモロ岬の突端が見える。

道は、大体海面から50mの高さに、等高線をなぞるような感じで通っている。
伊豆急行の線路はこの20mほど下の地中を、約1.2kmの長さを持つ黒根隧道でくぐり抜けている。
その隧道は、国道を跡形もなく消し去った震災にも耐え抜いた。





完全
消失

これは、最も恐れていた事態。

木も育たぬ急な斜面へと、道は変貌を遂げていた。

正直いって、全く道は見えない。
100パーセント見えない。

おおよそ100m先に、目指す城東隧道は存在したはずである。

しかし、そこへ行く道が無いうえ、隧道があるはずの山の斜面もクズに一面が覆われ、その凹凸は全く定かではない。
こんな場所で、おそらく原形を留めてはいないだろう隧道を、探せるだろうか…。

 …いや、これはもう…、存在しないのだろう。

断定しても良いはずだ。
道もなければ、隧道も無い。

埋もれたのだ。
この先の道は全て地震で崩れ、残骸さえ海へと押し流されて、消失したに違いない。
ここから浜へ降りる術はないので、海岸を確かめることも出来ないが…。



 強震の傷跡は30年を経た現在も、生々しい傷を岬の突端部に残している。
一度始まってしまった崩壊は現在も止んでいないようで、岬の先端へ近づくほどに白い土の崖や立ち枯れた木々が目立つ。
城東隧道は、あの岬の地中を貫いていたわけで、この景色から考えて無事であったはずがない。

当時の被害記録にも、3本の隧道の中でこの城東隧道が最大の被害を受けたとある。
その程度については不明で、閉塞したのかどうかも分からないが。




 だが、私はそれでも進んでみる事にした。

おそらく、何の痕跡も留めず隧道は消えているだろうが、万が一と言うこともある。
それに、この状態ならばまだ誰も先へ進んでいないだろう。
だから、本当に初めて見る景色に出会えるかも知れない。

私にとって、既知の百件より未知の一件である。
苦労に見合う発見があるかは分からないが、人がやらない事の先に、新発見はある。
坑口発見というのは贅沢すぎる願いであろうが(せめて盛夏は避けるべきだった)、この先にも道の名残りを何かしら見付けたい。



 斜度50°に及ぶ急斜面。
しかし、物凄い夏草の繁茂が、ここでは幸いした。
もしこれらが滑りやすい枯れ草であったなら、先へ進むことは、より難しかったろう。

四つん這いになって、鼻腔一杯に青臭さを感じながら、ヤマネコかイノシシにでもなった気持ちで先へ進んだ。

これこそが、“オブローダー四十八手”の44番技 『野生のムーブ』 である。
私もこの大技を使ったのは生涯3度目であった。



 何がどうなっているのかも分からないこの斜面にも、道が存在した痕跡はしっかりと残っていた。

それが、上の写真に写っているコンクリート吹きつけの法面である。

右の写真はその部分を拡大したもので、上部を残してあとは無惨に崩れ落ちているのが分かる。
しかし、ともかくここに近代的な法面施工を有する道が存在した事は確かだ。




 崩壊地から眺める太平洋。

本来の路面は全く消失し、それより数メートル以上高い急斜面を横断するので、見晴らしは絶佳の一言。
大海原を眺めるのに、視界を遮るものは何一つ無い。
見慣れた日本海とはひと味もふた味も違う海面の青さが、ひたすらに爽快である。

ぎらつく直射日光に拭っても拭っても汗が滴り、気を抜けば意識が朦朧となる。
「これぞ真夏の廃道」などと、倒錯的で誤った生への実感にうち震える私なのだった。

“オブローダーズハイ”とは、このような異常心理状態を言うのだろうか。




 7:38

美味しい浅漬けを作るため、塩をまぶしたハクサイを手で揉みしだく時のキュッキュという音と、その逆に食欲を全くそそらない青臭さを供として、最も急な斜面10mほどの横断に成功した。

しかし、まだ激藪の難所は始まったばかりなのである。
見晴らしの良さが唯一の救いだった斜面を抜けると、今度は草丈が一気に背を超えるようになり、視界が殆ど利かなくなる。
足元には当然路面の姿は無いが(本来の路面よりも数メートル高い位置にいる)、おそらく地中に内包されたままとなっている幅5mほどの路面のおかげか、何となく道の形は分かるような気も。
とにかく、1m先さえよく見えない部分でも、元あった道のイメージを常に思い浮かべつつ、そこから大きく外れることのない様に最大の注意を払って前進した。




 …しかし、藪の濃くなる様は、留まるところを知らない。
何故これほどまで多くの種が、この狭い斜面に芽を出してしまったのか。
もう、余りの密度で、藪が藪を殺している。
局地的に地球がバグってる??

ここを進む私の姿が、もし誰かの観察の元にあったなら、それは獣のムーブを通り過ぎて、何か得体の知れぬムーブであったに違いない。
二足歩行の通行限界はとっくに超えており、四つん這いでもうまくない。
こうなってはもう、全身をフルに活用した「頭突き」や「転がり」を駆使しつつ、体重で絡みつくツタを引きちぎり、とにかく自分でももう訳が分からない感じになりながら(笑)、芋虫のようなムーブで前進していった。

私はこの時なぜか、異常なハイテンションになっており、前進することだけに全てのリソースを傾けていた。
未知の深さを有する藪の先に、既に何かを予感していたのか。




 7:42 

隧道!

…ではない。

こんなに暗いが、これでも明かり区間だ。
しかも、周囲にあるのは林ではなく、殆ど全部「草」である。
背丈よりも遙かに大きく生長した夏草による、天然のドームである。
当然、日光を遮られた内側の植物は全て茶褐色に立ち枯れしており、気持ちが悪い。

そして、なんとここには、ほんの3m四方程度ではあるが、本来の舗装された路面と白いガードレールとが、まんま残されていた!

やはり、崩壊地の先にも道の痕跡は存在していた!!




 夏の藪祭り in IZU 2007 


  7:42 【現在地:藪ドーム】

 転がり込むようにして進入した藪のドームだが、今度はここから出るのが大変だった。
特に進行方向を塞ぐようにして、ススキかアシのオバケのような剣先形の葉を持つ植物が常軌を逸した密度で生えており、ここが何であろうとも初めて遭遇する藪の深さだ。
「何であろうとも」と書いたが、何を隠そうこれが道なのだ。
道なのだが、震災による土砂の流入によって何かおかしなスイッチが入ってしまったのだろうか。
もはや、永遠にこの植物以外が生長する余地は無いように思える。

 頭からこの壁に突撃した。跳ね返されそうになる。シャツの開いた首筋から、乾いた枯れ草の屑が大量に進入してきて、顔をしかめたくなる。痒い。痛い!
もう、馬鹿になって泳げ! 泳げ!!



泳げ!

泳げ!

泳げー!

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ



バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


          …ハァハァ



バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ

バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


バサバサバサバサ ゴソゴソゴソゴソ


 オッ オエッ…



 7:49

テントから7分間、ただひたすらに藪と格闘し、それでも前進できたのは20mほど。
この時ばかりは長袖を着用したが、藪を掻き分ける道具は両足と両手のみ。
根元附近は太さが3cmもあるようなオバケみたいなススキに、生半可な鎌は通用しないだろう。
根元を足で踏みつけて、少しずつV字型の通路を掘進していったのである。

 そして、少し藪の浅い一角に出た。
が、ここは本来の路面よりもやはり5mほど高い場所と思う。藪を掻き分けながらずっと斜面を登っていたので。
さらに前方10mほどの位置には、隧道があるべき斜面も近づいていた。

またここには、足元に不思議な穴が口を開けていた。
この穴の中に、サラサラと水が流れ落ちている。
一瞬隧道かと思ったが、それとは違うようだ。



   縦坑のように口を開ける穴に、這い蹲って顔を突っ込んでみる。

水が流れ落ちている斜面は、他でもないコンクリートの法面だった。
ということは、この下にあるものこそ、本来の路面なのであろう。

そう確信を得た私だが、斜面はほぼ垂直に近く、しかも底は目視できない。
先ほどの藪のドーム同様に、枯れた植物が作った小さなトンネルの中を水が落ちているのだ。
そこを人が通ることは出来ない。

どこか、別のルートから下を目指せないか。




 もはや、どこが道でどこが壁だったのか、それさえ判然としない廃道であるが、全てを覆い隠す夏草に紛れるように、落石防止ネットを固定していたワイヤーが幾筋も斜面を流れていた。

これだ。
これを伝って下に降りれる!


私は、遂に路面への最終下降を開始した。

そして、 行動を開始した私は、すぐに出会う。




 あのコンクリート!

まさか、

坑門では?!




 やったのか?!

これは前人未踏?の城東隧道なのでは。

鋼鉄のワイヤーで手を傷つけないように注意しながら、しかし逸る気持ちを抑えることも出来ず、つま先の加減で滑るように下っていく私。
はじめ上端部しか見えなかった、坑門らしきコンクリートの巨大な筐体は、間もなく私の動きに合わせ、手の届く場所に正面側の壁を現した。

まだ、肝心の坑口は見えないが…

もう、これは決まりだろ?!



 振り返ると、さっき足元に見た穴が頭上に来ていた。
左下の小さな隙間が、あの穴である。
あそこから直接降りようとしなくて良かった。きっと滑落して怪我をしただろう。

それにしても、凄まじいジャングルだ。



 そして、これが坑口方向。

 この暗がりって… 穴だよね…。

 



キタ──!



城東隧道が、出た!








 次回、 最終回