国道156号旧道 福島歩危 第2回

公開日 2010. 9. 4
探索日 2009.11.22

福島1号隧道の 想定外廃道 


2009/11/22 13:15 【現在地(マピオン)】

前回は福島谷まで到着した。
そして写真右側に写る長い洞門の旧道を見て、興奮したところで終わった。

今回はこの旧道を…と行きたいところだが、ちょっとだけ待って欲しい。


左に見えるは、「福島1洞門」。

紛れもない現国道だが、気にならない?



…今回は、「福島1洞門」へGO!




「福島1洞門」南口。
他の洞門と同様、湖畔の山腹にへばり付くようにカーブしており、出口は見通せない。
いや、仮に洞門が直線であっても、出口を見通すことは出来ないはずだ。

…なぜならば





この洞門が直接トンネルに繋がっているからだ。

福島1号トンネル」。
【隧道リスト】によると、一連の隧道と同じく昭和36年の竣功で、長さは173mである。

連なる柱が道路外の視界を遮り、ドライバーたちは迷いも疑いもなくひときわ深い闇へと吸い込まれていく。




13:18 《現在地》

「疑いを持たない」というのは、私も最初そうだった。
福島谷を挟んで並立する洞門群という風景が単純に面白く、それをもっと良く観察できるアングルを探しての行動が、私に想定外の発見をくれた。

坑口の右側。
密な洞門柱に遮られた外には、一面の枯れ草に覆われてはいるが、間違いなく人工的な平場が続いていた。
それはまるで、このトンネルの旧道のようだったが、大いに想定外だった。

私は予め【隧道リスト】【古地形図】を見て探索に臨んでいたのだが、このトンネルには旧道の余地は無いはずだった。




…!

想定外の廃道発見!
オブローディングの理想的興奮事!


前後に車の来ていないことを確かめた上で、洞門の柱の隙間から自転車を外に出す。
そして私もその後を追う。

端からこの姿を見れば、自殺者(自転車心中)みたいだったかもしれない。




平場には謎のボックス(現役っぽいが正体不明)が置かれていたが、それで終わりではなく、平らな草むらが続いていた。

この平場は、福島1号トンネルの旧道なのだろうか。
或いはなにか別の道なのか。
いずれにせよ、さほど長い道とは考えられない。
地形がそれを許さないのだから。

奥へ行ってみよう。




先へ進む前に、自転車には別れを告げた。

そもそも彼を連れてきたのだって、この草藪の道を一緒に走破するつもりからじゃなくて、あまり広くない洞門に駐輪していく迷惑を考えたからだった。

愛車との短い別れを惜しむように分岐地点を振り返った私は、現道を走っていたのでは知り得ない、凄まじいまでの「道路への熱意」を見る機会を得た。
これもラッキーな事だった。


あなたがローダー(道路好き)なら、次の写真は興奮してくれるはずだ。




ゾクゾク来るぜ。

国道156号は、かつては「イチコロ」と揶揄されるくらいの“酷道”だったが、太平洋と日本海を結ぶという立地条件や、白川郷や小牧温泉など沿道にたくさんある観光資源にも支えられ、お金と時間と労力を莫大にかけて改築されてきた。そして“酷道を返上”した路線である。

それゆえ非常に沢山の旧道があり、こうして私の探索を受け入れてきたが、全ての難所が新道開削によってクリアされてきたわけではない。
中にはこの場所のように、強引としか言いようのない改築で乗り切った場所も沢山ある。
しかも、その多くがそれ自身の険しい地形ゆえに客観視されず、ほとんど知られないままになっていると思われる。

まさに歩危というべき絶壁を横切る道はそれだけでも十分難工事なのに、そこに2車線という幅を確保し、かつ冬場も安全に通行出来る覆いを設けた結果がこれ。
優雅に見える水鳥も水面下では激しく足を動かしているような現実が、この風景といえる。

道路関係者にありがとうと言いたい。

中でも特に萌える場所は、個人的には【ここ】だなー。




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「これが道路ってもんだよな。」

そんな独り言が思わず飛び出した。

道路というものに私が懐く、“こうあって欲しい”というイメージを、この1m四方くらいのコンクリート橋台が体現していた。

道路というのは確かに規格品(道路構造令がある)かも知れないが、それは言ってみれば、路面を含めた通行のための空間における体裁(建築限界)と安全を一定に保つためのものである。

その部位の形状までを事細かに規定していないから、こんな“工夫”が随所に現れる。
この、どう見てもこんなコンクリートの断片みたいな橋台が、何らかの規格品であるはずがない。
これを以て上記規格を満たす道路を現出せしめているに過ぎないのだ。

普段から、私達はこういう工夫をあまり意識することなく、道路を使っている。
だからこそ、たまに気付くと、ありがたいと思う。




実は廃道よりも生きている道が好きという私の本性(詳しくは「廃道をゆく2」コラムを参照)が出てしまったが、もちろん廃道も大好きである。
この足元の廃道を突き詰めることへの欲求は、なんら衰えない。

← たとえ、その路面が想像していたよりも遙かに荒れ果てていて…




遙かに草深かったとしても…。 →




冬枯れているとはいえ、背丈を超す含む草むらの面倒さに負けて、私の足は自然と路肩に寄った。

…ぷはっ。 あ…危ねッ!


ガードレールとかねーのかよ〜。

こりゃ確かに、“酷道”だ。

まだ、これが本当に国道の旧道だったのか分からないけどな。
今のところは、忠実に福島1号トンネルの外郭を辿っている。





しかしこの鬼気迫る路肩は、「御母衣湖大展望台」でもあった。

脚下に広がる碧水は御母衣湖が最も肉厚な場所で、手前から福島谷、奥から六厩川が庄川本流に合流している。

この広々とした湖底には意外にも平坦な場所はほとんど無い。
そこには「福島歩危」と呼ばれた絶壁の険路が、ただ一筋付けられているだけであった。
そしてそれは全てが湖に沈む直前まで変わらなかった。

その歩危路が、元来の庄川水面からどのくらいの高さにあったのかを、当時の地形図で測定すると、おそらく20m前後だ。
そしてダム湖の水位は満水で120mほどだが、現在のこの地点では80mくらいだろうか。

いずれ道は湖面より遙か低いところを通っており、普通の渇水で現れる可能性は(残念ながら)ない。




この道の正体が分からないまま、しかし堅牢である路肩を頼りに進んでいくこと50mほど…

恐ろしい光景が現れた。


路肩のコンクリート壁が桟のように残り、本来の路面はゴッソリと抜け落ちている。
幅1m、奥行き3mの穴は深くスロープ状の崖となって、湖面まで達していた。
夏場などで藪で足元が見えにくい時期だったら、うっかり気付かずに落ちていた可能性もある。

もとより油断するような場面ではないが、ほんと危ない。




危ないついで(?)に、幅30cmほどの“桟”を渡って先へ進む。

これを迂回するのも、かなり難しいと踏んでの判断だ。
別に命を粗末にしたかったのではない。

足元もゴロ石で良くないし、突風でも吹いてきたらたまらないので、写真も(これ)一枚しか撮らずにさっさと通り過ぎた。

なんでこの道にはガードレールとか、転び止めとかないのだろう。それが普通だったとか聞きたくもない。




13:24

難場をひとつ越えたところで、対岸を振り返る。

そこには溺れ谷となった福島谷と険しい山腹を横切る、長大かつ継ぎ接ぎだらけの洞門が見えた。
言うまでもなく旧国道である。

そして湖面ぎりぎりのところに、また水の出る穴を発見

流石に私が対象とするような穴ではないと思ったが、地形図で正体が判明。

【これだな】




これだけ派手に瓦礫と藪に覆われてはいるが、元来は結構な幅の道だったらしい。
路肩も堅牢だし、改めて旧国道っぽいのだが、そろそろ折り返し地点だろう。

折り返し…つまり、福島1号トンネルが基部を抜いている岬の突端が近い。
この道が旧道ならば、おそらくトンネルは無しで岬を回り込むのだろう。
地形的にも、一番の難所は過ぎた感じがする。

少し安堵し、路肩を離れて瓦礫のうえを、ザクザクと歩きはじめると…。




え?

 え?

 ちょっ!






ず、隧道?!


想定外隧道出現!



で、ででも

なんだこの姿は!

なんか異常に物々しい扉で閉ざされている!





13:27

この位置にて、当初想定外の隧道らしき坑門と遭遇中!



隧道「らしき」と書いたのは、咄嗟に隧道とは理解できなかったからだ。

しかし、間違いなくこれは隧道の坑門だ。
しかも、これまでこの道で見てきたどの坑口よりも大きい。
高さは変わらないが、幅が1〜2mくらいはゆったりとられている。
そのせいでかなり扁平な、バランス的には、はっきり言って不格好な坑門となってしまっている。

そしてその巨大な坑口が、一回り小さくコンクリートで埋め戻され、残りの高さ2m、幅4mほどが両開きの巨大な鉄扉で塞がれているのである。

単に旧廃止隧道を閉鎖するに止まらない、何らかの意図を感じるが、正体不明。
一連のトンネルが建設されたのは昭和32年のダム着工以降しか考えられないが、軍事廃墟のような物々しい空気を帯びているように見えたのは、その衰滅ぶりの凄まじさゆえか。

まさに、謎の隧道であった。

そして、その謎を解く最大の鍵であるはずの扁額は、失われていた。
形状的に自然に脱落するとは考えにくいのだが…、或いは初めから存在しなかったのかも…。

でもトンネル名の文字数(7文字…「トンネル」を除けば3文字)を想像する手掛かりにはなるし、何よりこの扁額の形状は特徴的で、一連の御母衣隧道群の特徴とぴったり合致するから、同年代同系列の隧道と考える証拠になる。





息を呑むほどの異様な佇まいと、鉄の扉という先入観から、

最初ここは通れないものと諦めてかかっていた。

だが、よく見ると両開きの扉の間には、

人がようやく通り抜けられるくらいの、隙間があったのだ。


崩れた土砂がオブローダーの味方をしたという、希有なる僥倖。



私は心を決め、“背徳の身潜り” を試みる。

にゅるん。