国道156号旧道 福島歩危 第3回

公開日 2010. 9. 5
探索日 2009.11.22

“7文字” の廃隧道 


2009/11/22 13:29 【現在地(マピオン)】

入っちゃった。




現在地は、御母衣湖につきだした岬の突端にある、廃隧道

事前情報無し、名称不明、素性不明の、文字通り“謎の隧道”である。

位置的には、現在の国道の旧道のようなのだが…。



こ、これは…。

な、なんだ?


外見から受けた印象とは、だいぶ違う感じ。

つうか、入っちゃマズかったカンジ?

現役の何かの施設なの? 妙に綺麗だよ…。




洞内は意外にも荒れておらず、ただがらんとしていた。
そして、入口からまっすぐ50m進んだ所にシャッターが下りていたが、そこから外光が漏れていた。

ここが当初隧道であったことに疑う余地は無いと思うが、その後は全く別の使われ方をしていたようだ。
全ての内壁はポリカ波板で覆われているが、これは補強のためのセントルではなく、単に地下水の滴下を防ぐものだろう。
洞床の路面は全てコンクリートで舗装されているが、轍も見られず、道路として使われていた時代のものとは思えない。
左右が歩道のように高くなっているのは、もしかしたら道路絡みかも知れないが。

基本的に洞内はがらんどうだが、天井にモノレールが設置されていて…




電動のクレーン(ホイスト…というらしい)が1台つり下げられていた。

洞内では、何か重いモノを出し入れするような作業が行われていたのか。




この隧道の用途として、個人的に思いつくのは「艇庫」である。
御母衣湖に浮かべる何らかの船舶を、ここに格納していたのではないかという気がする。

この件については物証はないのだが、かつて秋田県の玉川ダム近くの国道341号旧道 7号隧道が、同じように艇庫として使われているのを見た事があるし、そこも同じように壁に防水措置が施されていた。




予想外ではあったが、と同時に少々拍子抜けをした感もある洞内の状況。
壁が全て後補の素材で覆われているというのでは、これ以上内部にいる理由はなかった。
洞内探索は終了する。

が、ここで問題なのは、どっち側へ出るかと言うことだった。
戻ることは(廃道であることを我慢すれば)容易いが、出来れば通り抜けたいと願う。
しかし、そこにはシャッターが下ろされており…、鍵はかけられて無さそうなのだが…、仮にガラガラと空けた途端そこが有人の私有地だったりしたら、目も当てられない。
お前は誰だ〜!ってなるのが目に見えている。

それでも、隧道を通り抜けたいという欲求には勝てず、隙間に這い蹲って外を窺った感じでは、誰もいなさそうなのを確かめた上で…

ガッ ガラ… ガラ… ガラガラッ!




片方のシャッターを1mくらい開けて外に出る。

すると、そこには家屋の雪覆いのような(というか、おそらくそれそのもの)木の柵が立て掛けられていた。
そのためすぐに外の景色は見えなかったのだが、脇をすり抜け…


 外界へ。




13:32 《現在地》

普段の廃隧道とは別の意味で洞内が気持ち悪かった(現役施設?)ことと、短さのため、実際に洞内にいたのは3分に満たなかった。
通り抜けて地上に戻った私は、辺りに全く人影の無いことに安堵し、改めてこの隧道の謎の満ちた(後述)素性を探ることにしてみた。

まあ、自ずと限界があったわけだが…。

とりあえず、これが北口前の光景。荒れてない。
わずか50mの隧道を挟んだ南側は、夏場ではとても踏み込めなさそうな植物と瓦礫の海であったのとは対照的である。
自ら廃道を切り開いて見つけたと思っていた隧道が、実は大した物ではなかったという落胆も少しあったが、それ以上に表裏の違いに興味を引かれた。




うおぉっ!

これまた凄い圧迫感…。

まるで
押し迫ってくるようだ!


そして、こちら側もやっぱり扁額の文字タイルは全て失われていた。
いくらなんでも、これはわざととしか考えられないのでは?





まるで押し迫ってくるようだ!
じゃなくて、


本当に迫って来てた!

これは怖い。

こんな状況なのに、現役の格納庫なのだろうか。
探索は11月末なので、冬囲いされているのも不思議はないのである。

現役か廃かは置いておくとして、本当にこの隧道はなんなんだろう?




この隧道に関する最大の謎は、【隧道リスト】に無いということだ。

隧道リストには、昭和42年時点に現役であった国道および県道の隧道が網羅されている。
立地的に見れば、この謎の隧道は間違いなく「福島1号隧道」の旧道としか思われないのだが、リストの福島1号隧道は、それ以外の一連の隧道と同じく昭和36年竣功と言うことになっている。
つまり、御母衣ダム付け替えの国道が開通した当初から、現在の隧道が使われていたことになる。

ならばこの謎の隧道は、いつ、誰が使っていたと言うことになるのだろう。




外見的な特徴から言って、この謎の隧道も他の隧道と同時期、ダム建設に伴って建設されたと考えられる。

そして、おそらく銘板は一度も填め込まれることがなかった。


…以上から、こんな仮説は成り立つだろうか。

この隧道は付け替え国道用に建設され、一度は開通したが、何らかの「不都合」により供用されず、代替に掘られたのが現在の福島1号隧道なのではないか。(なお、考え得る「不都合」は、南口直角カーブの存在、或いは単に両側坑門の崩壊に象徴されるような、地質の不良か。)
7文字しかない銘板は「福島1号トンネル」(8文字)とは合致しないが、或いは「御母衣トンネル」などと名乗る予定であったかも知れない。


申し訳ない。
今回は裏付けが取れない話ばっかりだ。
というのも辺りに(幸か不幸か)人が居なかったし、机上調査をしようにも、御母衣ダムでは建設史が刊行されていない。
付け替え国道に関して白川村誌や荘川村史に記述はあるが、この隧道に係わることはなにも明らかにされていない。
正直、私の調査は行き詰まっている。

絶対に今存命の誰かはこの隧道の建設に係わっているし、廃止された顛末も知っているはずだが…。

もしそれがあなたならば、是非とも教えて欲しい!




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13:35 《現在地》

結局これ以上隧道の正体に関するものは見つからず、坑口を離れて現道に戻ってきた。

この北側の旧道は現道との間にわずか50mほどしかないものの、「福島2洞門」が視界を邪魔する位置にあり、車窓からは見えないようになっている。




なお、この地点からさらに国道を北上すると、800mほどで国内最大級のロックフィルダムである御母衣ダムサイトに着く。
ダムサイトの前後にも2本のトンネルがあり、昭和36年竣功の福島2号および3号トンネルだ。
一連の隧道群はそこまでいって打ち止めとなるが、今回は省略したい。




福島谷に戻るべく、今度は現道の「福島1号トンネル」に入る。ここも「福島2洞門」と接着している。

なお、この隧道の北口は急カーブの頂点にある。
しかも坑門がカーブ接線方向と斜交する、スキューな坑口である。
坑門の幅が広く見えるのは、そのせいだと思う。
いずれ、隧道に入るまで対向車の存在が見えないわけだから、洞内での離合が不可能な大型車にとって鬼門となる線形だ。

結局謎の隧道といい、この隧道といい、線形的には満足行くようなものではないのである。
もしダムの建設が30年遅ければ、ダムサイト付近から福島谷のUカーブ頂点まで一気に抜ける、1km近いトンネルが掘られていただろうと思う。


って、本当にそんな計画が進んでいるようだ。 →「福島バイパス


洞門と隧道が近接していると、絶対ここをチェックしないと気が済まない人、挙手願います!

私も、ここはどうしても欠かせない。

そしてチェックした結果、こんな風に隠された扁額が見えたりすると、「キュン」ってなる。


ただ今回は「トンネル」しか見えず、本当にこれが当初から「福島1号トンネル」であったかの確証には至らなかった。
まあ、リストのトンネルはこれで間違いないと思うが。
長さも合致するし。




改めて、全長173mの福島1号トンネル。 カーブの部分は、微妙ではあるけど拡幅してあるみたいだ。
スキュー坑口の目の錯覚もあるので、あまり自信を持てないけれど…。

私はこの時間が止まったみたいなトンネルを、壁伝いにとぼとぼと歩きながら、「御母衣湖大展望台」のようだった旧道?謎の道?の正体に思いを馳せていた。

他の隧道よりも一回り以上幅広に建設されたのは、単に出口にカーブが控えているからだったのか?
より大きな車輌を考えいた可能性もあるのではないか。

先ほどは“未成道説”を掲げたが、ロックフィルダム建設のための石材を採掘する原石山が、もし福島谷の辺りにあったとしたら、隧道はダンプのための工事用道路だったかもしれない。

関係者の方の証言を期待したい…。






悩ましくなるための寄り道…。

そんな感じもあったが、ともかく未知の廃隧道を1本ゲットして福島谷へと戻ってきた。

次回からは、いよいよ“縮む”ほうの旧道へ行く。