国道156号旧道 福島歩危 第5回

公開日 2010. 9. 17
探索日 2009.11.22

現れた隧道、 そして核心


2009/11/22 13:55 《現在地》

全長1.5kmの旧道のほぼ中間、福島谷から800mの地点で、長らく続いていたスノーシェッドは、隧道の闇へつながっていた。
坑門は左急カーブの途中にあり、たいへん見通しが悪い。
そのために取り付けられたカーブミラーは、澱んだ光を湛えている。
また坑門にあるかも知れない扁額は、シェッドの屋根に隠されていて見ることが出来ない。

ちなみに、大沼谷からここまで続いた約350mのシェッドの構成は、コンクリ(200m)→鋼鉄:赤(50m)→鋼鉄:緑(100m)であった。

また細かいことだが、現在地は地形図に描かれている坑門よりも、100mほど北である。
つまり、実際の隧道の方がいくぶん長いように思われた。




隧道に入ったと思いきや、実はまだ入っていないのかも知れない。
トンネルの形をした壁に囲まれた状態になってはいるが、側壁には洞門のような窓が連なっている。

ここはトンネルなのか? 洞門なのか?

今回は、地形図と「隧道リスト」の間で描かれているトンネルの数が違うという“問題”があるだけに、いつも以上に細かいことが気になるのである。

まあどちらにせよ良い具合に廃れた…、味のある旧道風景だ。
自然の外光を取り入れてるお陰で、普段以上に内壁の汚れや凹凸陰影がはっきり観察できる。
残りの寿命を左右しそうな天井のクラックも、目立っている。

そして、矢印が指しているのは…





なぜか、ひとつだけ塞がれた、横穴

なぜ塞がれているのか。

不吉なエピソードが、脳裏をよぎる。



隣の横穴から、外へ出られそうだ。





← 出た。

そこは、畳6枚分くらいの空き地で、一面にススキが生えていた。
三方は湖面に臨む崖に落ち、残る一方は道路の外壁であるコンクリートの巨大な躯体に塞がれた、テラスのような場所である。

こうやって改めて見ても、写真の2つ並んだ横穴の一方のみが塞がれている理由は、推測の域を出ない。
外壁を伝う水や落石が中に入らないようにしたのだと思うが…。





そして、

この“忘れられたテラス”から見る

道路の外観は、想像を超えていた。




これぞ、マッシブ!


もの凄い重量感のある、コンクリートの塊だ。

中に道路が通っていることを知らなければ、まるでダムのよう。

比較的平穏に保たれていた【洞内】に比べて、

外装の消耗は半端無い! 

歩危で頑張ってる!




そして、

踏ん張ってる!


技術的には、道路と言うよりもアーチダムに近いように思われる。

沢、あるいは山襞の凹みのような岩場を横断するため、
道は橋を架けることなく、コンクリで埋めて築堤とすることで対処している。
と同時に、雪渓や雪崩への対処としては、築堤と一体化した洞門としている。
洞内はトンネルのように楕円形だったが、外観は長方形に近い台形であった。

ダム、或いは堅牢な城塞のような、近代土木の労作だ。
決してスマートなどとは呼べない、力業!
その脚部は、背筋がゾッとするほど深い谷の急な斜面に埋め込まれている。
かかる難工事! 想像するだにおそろしい!!





改めて確認すると、目の前にあるものはトンネルではなくて、落石や雪崩から道を守る洞門である。
少なくとも構造物の種類としては、洞門に分類されるものだと思う。

だが変わっているのは、外見が四角いのに断面は楕円形であることだ。
四角い断面よりも円形の断面の方が強度は増すだろうが、それならば外形も円形にしなかったのが不思議なのである。
このような施工は、かなりの手間がかかったと思われる。




アーチダムのような洞門の行く先は、今度こそトンネルであるようだ。

20mほど先でコンクリートの函は岩盤に突っ込んで姿を消している。

地形図にある一本目の隧道の坑口は、ちょうどあの位置。
よって地形図は、正しく洞門を洞門として描いていたことになる。




13:59 《現在地》

トンネル風洞門を10mほど進むと、「福島保木3号トンネル」の表示が掲げられた“洞内坑門”が現れた。

これから先が、本物のトンネルということか。
しかし、“洞内坑門”の先にもまだ3つ横窓が開いており、断面のサイズと側壁が垂直になっただけで、構造物としては今までと同類のものである。
真に地下に入るのは、その先からだ。

そして、照明の落とされた洞内にズームする。
7〜80m先に見える外光は妙に弱々しく、横から入った光が反射しているように見えた。
つまり、あの辺りにも横窓があるらしい。






また横穴から外に出て、道路の観察をしようと思った。




しかし、最初に目を付けた穴は




まだ“空中”で




どこに行くことも出来なかった。




一番トンネル寄りの穴から外に出た。(この赤矢印の穴

するとさらにトンネル寄りにも、もうひとつ穴を見つけたが、これは内側から塞がれていた。


コンクリートの表面が剥げ落ち、内部の格子掛けされた鉄筋が露出していた。
表面がツルツルの「丸形鉄筋」で、ギザギザの「異形鉄筋」が昭和40年代以降に主流となる前のものだ。
また鉄筋だけではなく、手首ほどの太さの木片も露出していた。
それが埋め殺しの木枠なのか、それとも作業中に混じってしまったものなのかは分からない。

この鉄筋は「メッシュ筋」というもので、表面付近の強度を増すためのものかもしれません。その場合は、本来のより太い鉄筋が、もっと深いところに存在するはずです。

読者さま情報




上記が最後の横穴で、その先の洞門は、ゴツゴツした岩盤に突き刺さるように消えていた。

地中の方が何倍も平穏な気がして、目の前の洞門の疲れ切った姿に、思わず「おつかれさま」と声を掛けた。



…洞内に戻る。





坑門に掲げられていた標識によると、このトンネルが3号トンネル。

…4号と5号は、どこにあったんだろう?

隧道リスト】という昭和42年当時の記録では、全長37mの5号と、全長46mの4号を既に過ぎているはずなのだが…。

はっきり言って、これまでの区間でトンネルの見逃しがあったとは考えられない。
となると、トンネルを切り崩して洞門に作り替えたのだろうか。
その可能性は、考えられることである。

はっきりしないが、一旦はまずゴールまで進もう。




このトンネル、面白い!

リストによると3号トンネルは全長353mもあって、一連のトンネル群で最長なのだが、実際は複数のトンネルをひとまとめにしたものだったのだ。

いま私の前には、再び横穴の連なりが現れたが、そのだいぶ先にもまた同じように、横からの光が壁に反射して見えている。
したがって、このトンネルは少なくとも3本のトンネルを束ねている!

東海道線には、かつて名物車窓の“眼鏡トンネル”(赤沢隧道)というのがあって、このトンネルと同じように釣り鐘型の横穴から外の景色(太平洋)が見えたのであるが、これは道路版“眼鏡トンネル”だ。




ただし見えるのは海ではなく、御母衣湖。

また適当な横穴を見つけて外を覗いてみたが、今度は外に私が立てる平場は少しも存在しなかった。

この水面下数十メートルに、かつての白川街道…福島歩危…睾丸縮…が、存在していたのだ。




今度の洞門部分は、長さ30mほど。

次のトンネル部分に入る手前で外に出ると、そこに上に昇るための梯子があるようだ。

行ってみよう。




四度、横穴をくぐる。

オブローダーでなければ、こんな酔狂な動線を描かないだろうなと、ひとり悦に入る。
至福の時。

そしてここでも、【洞内の平穏さ】に比して、外壁はもの凄いことになっていた。

まさしく、天下の難所のあらゆる危害から国道を護り抜いた、人類英知の壁。

旧道になって、いずれ廃道になっても、幾ばくかの路面を護り続けるのだろう。


…胸が熱くなるな。




足元には、スラブの谷が口を開けている。

舞い込む湖風が、跳ね返りざまに滝の飛沫を空中に散らしていた。

こんな場所に車が一年中通れる道を通すことなど、私の力では絶対に不可能だ。

にもかかわらず、専門家は不可能は可能にする。

土木という力の強さ、かっこよさに惚れ惚れする。




振り返れば、お目当ての梯子。



…グラッ


ちゃんと固定されてないかも…。



やめます!




次回、

福島歩危陥落の章。