国道253号旧道 八箇峠 第一回

探索日 2006.08.12
公開日 2006.08.18

↑ふみやん氏

 山行が合調隊メンバーのふみやん氏(新潟県長岡市在住)より、今からだいぶ前に現地の廃道情報がもたらされた。
それは、新潟県十日町市と南魚沼市を結ぶ八箇峠の旧国道に関するものであった。
彼は普段から余り感情を表に出すことはないが、こと、この八箇峠については、並ならぬ感情が含まれている気がした。
そして、彼は言った。
「夏場には近づけない」 −らしいと。

 私は、彼が示すいくつかのサイトのレポートを見たが、確かに偉大なる先人の数人が峠に辿り着いてはいるものの、みな、盛夏期を避けているようだ。
はたして、夏場にはどんな景観がそこにあるのだろう。
本当に、近付くことさえ出来ないというのだろうか。
たかが、たかが薮ではないのか?!
別に私は、そんな無意味な挑戦に駆られたわけでは決して無く、単に、この時期に通りかかってしまっただけである。
まさか、あんな重大な困難が待ち受けているとは、思っていなかった。
夏草の一束を侮るものは、前代未聞の激薮に泣く。

このレポートを作成するにあたり、『穴蔵』および『猫第三帝国』の探索レポートを参考にさせていただきました。両サイトには慎んで御礼申し上げます。




ヤマイガ史上最悪の薮道!

覚悟の上のチャリ放棄

周辺地図

 八箇峠(はっかとうげ)が有るのは新潟県中南部、十日町市と南魚沼市の境で、国道253号に指定されている。
現在は2代目の八箇トンネル(延長約1200m)が供用されており、また3代目となる延長3km超の新トンネルが建設を開始している(地域高規格道路、八箇峠道路)。

 この八箇峠の歴史は地域の中でも古いようで、明治32年には既に峠に素堀の隧道が設けられ道が改良された記録がある。
戦後まもなく自動車交通化の改良が行われ、昭和29年には主要地方道十日町六日町線として開通している。この時には、先の素堀隧道を改良して再利用したようだ。
さらに昭和38年に、2級国道253号直江津六日町線として国道昇格を果たす。
これと前後して進められていた抜本的改良工事の結果、昭和42年の八箇トンネル竣功を経て昭和46年には峠区間の現国道が開通している。
平成12年には地域高規格道路の路線に指定され、八箇峠の区間も着工の運びとなっている。




 私は、2006年8月12日午後、この八箇峠に挑戦する機会を自ら得た。
翌日に予定されていた関東地方での合同調査に参加すべく、一人運転する車にて東京を目指す途中、旧道に隧道が描かれているこの八箇峠に立ち寄ったのである。
この段階では、以前ふみやん氏の教えてくれた峠がこの峠であることなど、すっかり忘れていた。

 私は車で十日町側から峠を目指したが、十日町市街地を離れるとすぐに電光案内板が『この先峠越え!』などと扇情的な文句をぶつけてきた。もとよりこのようなアピールが好きな私は、行く手の景色に大きな期待感を持った。もっともそれは旧道に対してと言うより、現国道に対してであったが。



 昭和46年に完成した現国道の峠区間は当初から冬期交通が確保されており一定以上の水準ではあったものの、通行量の増大と共に危険度が増してきた。
そこで現在は長大トンネルを含む自動車専用道路の建設が進められている。



 早い時期に無雪化を実現したとはいえ、それは長大なスノーシェッドや洞門による無理くりのもので、道中には危険線形が続出する元二級国道を感じさせる、それなりの峠道である。
しかも、首都圏から中越・北陸地方への最短ルートということで、季節を問わず通行量は少なくない。



 車なので労せず峠に到着。
トンネル坑口前に広がる広大な駐車スペースに停めて、旧道を伺う。

 そして思ったこと。

 ヤバイかも

 …思っていた以上に、峠の斜面は険しく、そして青々としている。
さらに、その急な稜線のそこかしこに、明らかに旧道と分かる痕跡が連なっている。


 経験上、夏場なのに遠くからこのように形が鮮明に見えてしまう道は、それが廃道の場合、きわめて通行が困難な激藪道となっているケースが多い。というか、殆ど確定である。
鬱蒼とした森の底にある道はたとえ夏場でも、視界が悪かったり虫害がある程度で、通行自体は大概可能である。
しかし、このように斜面に鮮明に姿を見せる道や開けた沢地の道など、すなわち日当たりの道では、その困難は想像を遙かに超える。
人間は目に頼って探索せざるを得ないが、その視界がしばしばゼロになる激藪が現出するのだ。

 この時点で思い出した。
そう言えば、これがふみやん氏の言っていた廃道ではないかと。

峠に隧道があるのも一致しているし。

 マズったと思ったね。敢えていちばん難しい時期に探索するメリットはないのだ。
現在時刻は、既に午後2時前。
旧道を無視して、さっさと進むか、或いは虎が居ることが明らかな穴へ入るか。


 トンネル前の駐車場には、現道の開通に功のあった前十日町市長の顕彰碑やら、おそらくは旧道から移設してきただろう道祖神碑(二碑)などが安置されている。

 …困難そうな峠を前に、行くべきか退くべきか。
こんなとき、私はいつも決行を選んでしまい、大概は後悔する。
それは分かっているのに、今回もまた、退くだけの十分な理由を自分の中に用意できず、突破できるだろうという楽観と、退きたくないという闘争心の傀儡となってしまった。


 2万5千分の1地形図によれば、旧道峠までの道のりは約1.5km、高低差は130m程度。
距離にしても勾配にしても、さして困難そうな数値ではない。
また、峠の向こう側については、旧峠道を改修した県道(魚沼スカイライン)に重なっている部分も多く、高低差・距離共に大きくない。
踏破すべき点線部分全線でも、その距離は2.3km程度と思われる。
要する時間は多めに見積もって1時間半といったところか。
現在時刻を考えると、まあ許せる範囲だろう。
薮は深そうだったが、距離が少ないので行くことにした。
ただし、ふみやん氏の言葉が気になったので、念のためチャリは止めて徒歩で進むことにした。これは後悔するかも知れなかったが、チャリが薮に嵌ったときのつらさは筆舌尽くしがたく、しかもこの日は既に一度味わっていたので、もう嫌だった。



 あらためて、駐車場から峠の斜面へ取り付いていく旧道のラインを見る。

 一度大きく南西へと迂回して高度を稼ぐ最初のカーブや、稜線上に回り込んで峠へと続くラインなど、地形図に描かれた点線と一致しており、斜面に見えているこの道が昭和46年までバスも通ったという旧道に間違いなさそうだ。
問題は、どの程度困難かと言うことだが…。

 ともかく、入口を探さねば。



 駐車場の先にすぐ口をあけている、八箇トンネルに続く長いスノーシェッド。
たまたま車が切れたときに撮影したが、通行量は少なくなく、シェッドの中には埃っぽい熱気が満ちていた。
この坑口を横断して、旧峠入り口へ進む。



 スノーシェッドの脇の軽く砂利敷きが残るこのスペースが旧峠の入口のようだ。
右の斜面から下りてくる緑の縁が鮮明なラインは、ここに取り付いている。
ただ、この砂利道が旧道のものかと問われれば疑問で、そもそもこの平坦部分自体が、現トンネル掘削の残土で沢地を埋め立てた場所ではないかと思われた。

 奥の方には八箇トンネルのコンクリート坑門が、シェッドからはみ出して見えていた。
あのすぐ手前で、旧道は右に折れて始まる。



誤 算 と 後 悔


 八箇トンネル坑門ぎりぎりまで進み、そこから右!
これまでの旧道探索であまり見なかった変わった入口である。
しかし、ここはかつて路線バスも通った車道に他ならない。
ちなみに正面の涸れ沢を強引によじ登れば大幅に道のりを短縮できそうに思えたが、いたずらに深い薮に突入することもないと止めた。(結果的にはこの選択も大いにアリであったと思うが…)



 あ、あれれ?

 心配、いや畏れさえしていた激藪の実景はそこにはなかった。

 そこにあったのは、すっかりと刈り払われ、固い路面が古い歴史を感じさせる、明美な古道そのものであった。



 下の駐車場から見た時とは大いに印象が異なり、崖にへばり付くように見えた道にも実は十分な道幅が秘められていた。
車道だった証しとして、十分に説得力のある発見である。

 それにしても、歩きやすい。
歩きやすくて嬉しいかと言えば、チャリを連れてこなかったことを後悔し始めていた。
下りのことを考えればチャリがあった方が楽だし、自分自身、元車道なら出来るだけチャリで突破したいと思っていた。

 チャリを取りに戻るかどうか、私は真剣に悩んだ。



 入口から300mほどの地点であるヘアピンカーブに呆気なく到達。
現在の道幅は1m程度だが、両側の土の法面までの間にはそれぞれ1m以上の余裕がある。
また、路面にも所々砂利が残されており、国道らしいとは言えないまでも、車道だったことは納得できる。
勾配もかなり緩やかであるし。
ヘアピンカーブは非常に鋭角なもので、車体の長いバスなどの車は切り返しが必要だったと思われる。



 ヘアピンカーブから先では、道は一時稜線上に進む。
現国道とは反対側の右側の谷が開け、路肩には駒止めと呼ばれる、原始的なガードレールが残っていた。
よほど低速の車ならばいざ知らず、転落防止の効果は殆ど期待できない、簡易的なものである。
それでも、車道時代の名残なのは明らかだ。



 また、駒止めだけではなく、路肩には石組みの構造も確認された。
玉石をコンクリートのツナギで固めており、昭和初期まで盛んに見られた構造である。



 右(南側)の谷の向かいには、これから越える八箇峠と峰続きの枡形山(海抜748m)山頂のアンテナ施設が鮮明に見えていた。



 出発地点の駐車場から約800m、15分を要して稜線上の高圧鉄塔下を通過。
既に峠までの道のりの半分を消化しており、鉄塔を過ぎてもしっかりと刈り払いされた道に、激藪伝説が過去のものとなったことを実感した。
いまさらチャリを持ってくるのも面倒なのでこのまま進むことにしたが、残念な気持が大きかった。
写真遠方に見えている鞍部が、目指すべき八箇峠であり、もう高低差はあまりない。
予想よりもだいぶ楽に到達できそうだ。


 ん?

なんか、突然の嫌な予感…。



 くわっ!

 右には刈り払いされた道が確かに続いている。
しかし、その勾配は明らかに車道のそれではない。
むしろ、鉄塔を目指す作業道のそれである。

 そして、正面には平場らしき地形が続いている。
だが、そこを覆い尽くす薮の深さたるや、窒息しそう!

 まてまてまて! まじか。
マジで直進が旧車道なのか?!
これを行かねばならぬのか?!


 いよいよ始まる前代未聞の激藪発狂地獄!
 はたして、そこに愛はあったのか?