目指す八箇峠(旧道峠)まで、推定残距離800m。
これまで夏場の姿を見た者がいないとさえ言われる幻の峠へと、藪漕ぎ初段を自負するヨッキれんが挑む!
薮など、こちらからへこたれなければ、いつかは突破できるものだ。
峠は貰った!!
拍子抜けするほどに余裕だった旧道の正体は、何者かによる刈り払いの結果だった。
しかし、その刈り払い道が脇へと逸れていったとき、本来は幅5m近くもあったはずの旧国道(昭和46年まで現役)は、恐ろしき薮道へと豹変したのである!
分岐地点と呼んで良いのかさえ不鮮明な、刈り払い道と旧国道の分かれ。
ここから見る旧国道の入口(写真右)は、全ての来訪者に道の存在を隠していた。
だが、私の目をごまかすことは出来ない。
私は、薮を制する者……ヤブスレイヤーなのだから!
自らを妄想の元に激しく奮い立たせ、両腕で薮を押して見る。
真夏の熱い陽射しが日なたにいる私の背中を焦がし、薮へと送り込もうとしてくれるが、並の腕力ではこの薮を突破できない。
それどころか、その身を潜らせることさえ叶わないのだ。
強烈なマント群落…まさに薮界最強砦がそこにはあった。
ツタ植物や荊が低木の外縁を覆い隠し、僅かな隙間を笹や雑草が埋め尽くす。
風さえ通らぬ伝説の薮。
スレイヤーといえども、この薮では時速1km以下を余儀なくされる!
薮が窓のように開いた場所からは、下界の景色が見下ろせた。
薮の中にある、心と体のオアシスの筈だった。
ただし、残念なことにこの日、風はほとんど無かった。
歩いていても立ち止まろうとも、体と草むらに篭もった熱はどこにも発散されず、猛烈に意識を混濁させた。
リュックに仕舞い込んだ1.5gのコカコーラだけが生きる糧だった。
こ、コークプリ〜〜ズ……。
薮突入から10分を経過。
さきほど刈り払い道が分かれていった稜線が右頭上に続いており、もしかしたらこの先に再度合流出来るのではないかと、淡い期待を持った。
そんな無根拠の期待に縋らねばならぬほど、薮は深く、進度は鈍かった。
時間は容赦なく過ぎゆき、午後の直射が無遠慮に降り注いだ。
一面の緑の原野と化した道路跡に、もはや細やかな観察など出来るはずもなく、ただガサガサと大雑把に前進するより無かった。
そんな地獄の激藪にも、ときおり…本当に時々…100mに10mくらいの割合で、右の写真のような浅い場所が残っていた。
そんな場所は、たいがい日陰で、法面が高く聳え、土の斜面が露出していたりした。
また、地面に大量の水が沁みており、歩くとグチョッとなる場所が多かった。
風はなくともいくらか涼しく、虫が多いことさえ我慢できれば、幾分気が休まる場所だった。
しかし、そんな場所は決して長く続かないのだった。
また、斜面が急な場所では、法面が崩れている場所も少なくなかった。
というか、崩れていない場所はなく、その程度の多少に違いがあったと言うべきか。
それほどに本来の道跡は土と草木に埋没していたが、最近に崩壊したらしい場所はまだ草に覆われることもなく、しかも崩れた土砂のために天然の見晴台になっていた。
峠が近付くにつれ、そう言う場所から見ることが出来るパノラマもまたグレードアップしていった。
藪を掻き分けて進む者はまた、己自身が傷つく事を覚悟せねばならない。
登山入門書は揃って言う。
「長袖・長ズボンを着用せよ」 と。
おまえら馬鹿か。
本当に薮を掻いたことがあるのかと?!
そう問いつめたい。
そもそもおまえらは廃道に入る前提じゃないだろ、と。
夏の本当の薮ではな!
アヂぐて、んな事してたら死ぬんだよ!
男なら、素手で薮を掻け!
その度に、腕に100匹のさかりのついたニャーと格闘したような傷が付こうとも、そしてその傷が冬まで消えなかったとしてもだ。
覚悟しろ!
薮とは男と自然との、裸の組み手と心すべし!!
あーー!!
おれカッコイイ!!
これが藪漕ぎだ!
我ながら、俺は良くやったと思う。
このレベルの薮を掻き分けられるのは、全国広しといえども、各県に一人いるかどうかと言うレヴェルだと思う。
写真のシーンは、この道にしては珍しい、森薮のシーン。
森薮はご覧のように薄暗い森の灌木や低木の枝を掻き分ける藪で、チャリにとっては最も困難な薮であるが、今回は徒歩だったので、ぺったりぺったりと顔で薮を拾わねばならない草藪よりもだいぶマシに思えた。
薮突入から30分、出発からは45分を経過。
いよいよ鞍部が鮮明に見えはじめた。
あそこには隧道が二本も眠っているはずだが、高度的にはそんなものが必要なのかと思えるほど、道の痕跡線は真っ直ぐと鞍部の切れ込みに接触していく。
にしても、薮でのこの距離は長い!
泣きたいくらいだ! あとどれほど薮を掻けばよいのか!!
常人ならば引き返すだろう。だが俺はスレイヤー!
もう、ざくざくに切り刻まれた両腕に汗が染みわたり、日焼けと相俟ってはち切れそうに痛む。
う、腕が取れチマいそうだ!
キクー!
これぞレベル・エックス!
視界ゼロ!
このマキシマムヤブの出現に、俺の頭の中からはもはやここにいる理由さえ消え失せ、ただただ、マシンのように腕を左右に振るい、痛みも忘れ前進したのであった。
何度水筒のコークを補充しても、篭もった熱は発散できず、徐々に背筋からゾクゾクと嫌な寒気がしはじめた。
これはイケナイ、明らかに熱中症の初期症状だった。
俺はいま、命懸けで薮とバトっていた。
いよいよ峠とほぼ高度を一にした稜線が右に近付いてきた。
尾根は痩せており、なるほど近付いてみると隧道が有っても不思議はない急斜面だ。
だいぶ前に分かれた刈り払い道とは遂に再開することなく、ここに旧国道が史上最悪の薮道と化していた事を理解した。
振り返ると、だいぶ遠くには始めの頃のヘアピンカーブで回り込んだ尾根やら鉄塔、そして登り口付近のよく刈り払いされた自分自身がよく見えた。
もはや、何があっても引き返したくはない500mである。
薮に入ってからは本当に時速1kmを割っている。これでチャリがあったとしたら、おそらく夕暮れまでに隧道に到着できなかっただろう。
或いは途中でチャリの炉心が爆発して死んだかも。
も、も、
ももも、
ももももも
も、もしや
この右カーブは、峠に正対するためのファイナルカーブなのでは?!
浅い掘り割りの右カーブ。その路盤には砂利が僅かに覗いている。
なにか来そう!
鞍部へ向けて正面を向いた道は、次第に両側の掘り割りを深くしつつ、溺れそうな薮がそこを埋めている。
もう一漕ぎすれば、
もう一漕ぎすれば!!
まず、両手で握り拳を作ります。
そして、その両手を小さなガッツポーズの形にして、胸の前に並行するように出します。
そのまま、両腕に力を込め、自然とプルプルと震えさせながら、腹の底から言いましょう。
キターーー!
俺の絶叫は、現国道にまで轟いた。
午後2時51分、出発から1時間余り。
わずか1.5kmほどの道のりのうち、特に薮は800m足らずであったと思うが、時間は殆どこの薮に要した。
ようやく辿り着いた峠には、黒々と口をあける隧道が待ち受けていた。
待っていた!
待っていてくれた!!
当たり前だが、夏もその隧道はちゃんとあった。
いままで、誰も辿り着けなかった…或いは誰も来ようとしなかった…
真夏の、八箇隧道だった。
坑門の下半分は薮に隠され見えなかったが、その断面が異形であることは一目で見て取れた。
昭和29年に竣功したという八箇隧道は、本邦稀に見る異形の隧道であった。
肉体と精神の極限の果てに辿り着いた、峠の隧道。
廃止後36年を経た、旧国道の真実。
私を涙させた圧倒的道路風景……
日本の廃道風景史に残るだろうその全てが、次回、明らかになる!!
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