国道45号旧道 只越峠 中編

公開日 2007.4.25
探索日 2007.4.21

只越峠の旧国道へ

唐桑側アプローチ部の残存旧道


6:00

 午前7時の集合まで残り1時間。
かつて国道45号の難所の一つに数えられていた只越峠の旧道を辿る駆け足の旅は、後半戦へ。

 まずは海抜192mの只越峠を目指す。



 20分ほど前に勢いよく駆け下ってきたばかりの国道を戻る。
現国道によって旧道が呑み込まれ消滅している部分がある。
只越集落西外れの新旧道分岐地点(今回スタート地点)から300mほども、そのような区間である。



 地図には“R=35ヘアピン”まで旧道は存在しないことになっているが、下ってくる途中、現道に近接して旧道が存在していることを目視していた。
私は間もなくその入り口へ着いた。
ここから始まる旧道は200mほどの短区間で現道に再合流するのだが、行かぬ訳にはいくまい。
轍の消えた草地へチャリごと侵入す。


 廃道となってどれだけ経っているのだろう。
元もと舗装されていない道の場合、外見からそれを判断する決め手となるのは路上の立木の有無、そしてその生長具合である。
この道の場合、一見廃道化が進んでいるようだが、まだ全く立木が生えていない。草だけ。
無論、全体が日陰になっていることや、おそらく砂利で舗装されていた事を考えれば一概に言えないのだが、車が通らなくなってから20年かそこらだろうと思う。



 そして、この短い廃道区間に大きな価値をもたらしているのは、この廃橋の存在だ。
沢の巾の割に極端に水量が少ないことと、平行する現道の西側にコンクリートで囲まれた水路が存在することを考えれば、これは現道工事によって上流から切り離された人工的な無能谷(河川争奪によって水量を失った河川を無能谷という)であると思われる。

 へろへろのガードレールに導かれた視線は、いかにも頑丈そうな国道規格の橋へ逢着する。



 橋はいたってありがちなコンクリート桁橋だが、沢に対して斜めに掛かっているために親柱の形状が左右で異なるという特徴がある。
そして、その親柱には4枚全ての扁額が変色しながらも残存しており、橋の名前の竣工年を知ることが出来る。

  只越橋、昭和37年3月竣工。



 橋上が一面の草地となってしまった廃橋。
さて、この橋が廃止されたのはいつだろう。
唐桑トンネルが開通して峠が切り替わったのは昭和44年であるが、もし同時期だとすれば本橋は僅か8年間しか利用されなかったことになる。
それではあまりという気もするので、現道に登坂車線が設置された時点での路線切り替えかも知れない。
だとすれば50年代か或いは60年代か。いずれにしてもそこいらだろう。
どちらにしても、本職を全うしたとは言い難い無念の橋だと思う。



 橋を越えると唐突に旧道は現道に突き当たる。
そこだけガードレールが途絶えているのは、老兵への敬意がそうさせたのか。
いや、単純に旧道を造林作業道として再利用するためだろう。
折角の通路なのに、全く轍が刻まれていないのが寂しい。



 おそらく旧道は現道に対し斜めに進んで、写真に写るガードレールの切れ目から左側へ抜けていたと思われる。
その通りに進む。



 ガードレールの切れ目から左に行くと直に、現道工事に伴う人工河川と推定される水路を渡る。
よって、旧道はこの橋を有さなかったと思われる。
その事は、直前の只越橋と構造が全く異なることからも裏付けられる。道幅も狭すぎるし、欄干がないのも不自然だ。
(本橋は橋台と桁が一体となったラーメン橋、或いはボックスカルバートである)

 橋の先の砂利道は旧道だと思われるので進んでみる。

 【現在地



 橋を渡るとそのままT字路で、右には旧道らしき砂利道が続く。
左は人が通れるだけの幅で上っていく道がある。
その入り口には立て札があり「只越地蔵尊入口」とある。
これは旧道の峠のすぐ傍にある地蔵のことで、ここから続くのは明治44年の只越峠新道開鑿以前の峠道と思われる。



 ここからの旧道は造林作業用に時折使われているようで、はっきりとした轍が見られる。現道とは水路を挟んで平行しており、勾配も緩やかだ。
橋から100mほど進んだところに左写真の広場があり、その奥に右写真の高さ1.5mほどの石碑が建っている。
旧道時代の開鑿記念碑かと色めきだったが、ただの造林記念碑だった。
しかし、碑面にびっしりと刻まれた漢文の末尾には「明治三十一年四月三日」と記されており、旧道開通以前のものであることが分かる。


 さらに進むと極めて短い橋が架かっている。
はじめは暗渠と判断し見過ごしかけたが、沢側が崩れている事に気付き横へと回り込んで見てみると…。

 それは確かに一本の桁橋だった。
長さよりも幅が遙かに勝り、親柱はおろか目立った欄干さえ無い極めて簡素なものだが、構造上は桁橋である。
その名称は……不明である。



 石碑、橋…。いい感じにキャストが揃い始めた旧道だったが、突然の消滅を見る。
転回する車の轍が泥の上に多数刻まれた広場があり、その先にはいかなる踏み跡も見られなかった。
普段なら藪へ入って捜索する場面だが、今回はそれが無駄であることに速攻気づけて良かった。
その理由は、後ほど画像付きで説明する。

ともかく一連の旧道はここで終わるので、一旦引き返し現道で先へ進むことに。



 6:17

 速やかに現道へ戻り、対岸の旧道を注視しながら進む。
時期が良く、葉を落とした木々の隙間にはっきりと道形が見えていた。
さっき渡った小さな小さな桁橋も見えた。

 そして、間もなく旧道消失の場面だ。





 なるほど納得。

そう感じていただけたのではないだろうか?


旧道はどうやら、現道の大ヘアピンを築造するための大規模な盛土によって埋め戻されたか、良くても水路敷きとなってしまったようなのだ。
そしてまた、今度はここに「唐桑道路」という高規格自動車専用道路が建設、接続されようとしている。
工事が始まれば、また大きく景観は変化することになるだろう。
具体的には、写真内左上方のガードレールから、真っ直ぐ谷を跨いで右の山肌へ突き刺さっていく、そんなバイパスが現れるだろう。



 そしてまた やって参りました!

猫の穴ヘアピン!

猫の穴を取り囲むようなカーブである。
そして、再びの旧道入り口もここにある。

見よ! この変な形の曲線が描かれてしまった警戒標識を!
ビビッドな巨大標識のデザインが、ちゃんと上り下りで書き換えられていることにも注目!
やるな国交省!!建設省時代には見せなかった気配りじゃないか。




次回完結。

個人的に激しく萌えた発見が、最後の最後に待っていた!!