6:20 【現在地】
旧道の入り口。
ここまでは現道と絡み合うように存在していた旧道だが、ここから峠まではようやく一人歩きだ。
入り口の雰囲気はとても良い。
果たして、この先にどんな峠が待っているのか。楽しみだ。
待ち合わせまであと40分。
おそらく現道との取り付けに際し曲げられ、同時に一度は舗装されたらしい入り口付近の旧道。
しかしその舗装はぼろぼろで、殆ど砂利道と変わらなくなっている。
そして案の定、最初のヘアピンカーブを前にして砂利道へと戻った。
写真には、方向を転換してさらに上っていくガードレールが沢の向かい側に見えている。
向かいの尾根に伸びるガードレールを見ていると、ふと何者かの視線に気付く。
きょとんとした顔でこちらをじっと見ているのは、大きな野生のカモシカだった。
彼我の距離は谷を隔てており安心しているのか、私がカメラを向け、望遠でじっと構えてもぴくりとも動かなかった。
まだ登り始めたばかりである。
振り返れば、魅惑の大ヘアピンが立体的に配置されている。
美しいカーブだよほんと。惚れ惚れする。
現道が出来る以前の旧道は、このまま沢伝いに進み、前回紹介した行き止まりへと続いていたのだろう。
汗をかくまでもなく、一つ目のヘアピンカーブへ着く。
盛り土の下に管が通されて沢水を通している。
敢えて橋を設けるほどでもなかったのだろう。
少し残念だ。
勾配は緩やかで、道幅はそこいらにある林道と大差ないがチャリには走りやすい。
草臥れたガードレールの向こうには、お気に入りのカーブがまだ見えている。
先ほどシカを捕捉したのも、この道の下あたりの斜面だ。
この峠には特に派手な場面もなく、ゆるゆるとカーブを連ね徐々に徐々に上っていく。
あらゆる点で“ありがち”な旧道なのだが、そこがまた好きだったりする。
ここを路線バスが通っていた!
…などと言っても、もう廃道マニア化した読者の皆様は驚かないだろう。
こんな国道は、私が生まれた年代までは至る所に、平然と存在していた。
むしろこの峠などは、国道45号が克服しなければならなかった数々の険路の中では、まだ「猫」だった。
たとえば県北部の田野畑村には、昭和40年まで自動車がまともに通れない不通区間が残っていた。
一般に緑濃い三陸でもやはり東北。落葉樹たちもうっすら緑を浮かべはじめてはいるが、まだまだ見通せる。
かなり遠くの道形まではっきりと目視され、自然に則った平凡なカーブを眺めるのも実に気持ちがよい。
今日は土曜日であるが、山菜には少し早いのか単純に朝が早すぎるのか、まだ誰にも出会わない。
昨夜もあまり眠っておらず、早朝から動き出すことに躊躇いはあったのだが、結果的には来て良かった。
小さな尾根を回り込み、浅い沢を乗り越える。
それを何度か繰り返すと、赤松の幹の向こうに呆気なくスカイラインが見えてきた。
トンネルを行く車には決して意識されない峠の姿である。
また一つたとえ小さくとも峠を越えるのだという興奮と、時間的な猶予のなさを意識する気持ちが、やや緩やかになった登りと相乗して、私の漕ぎ足に力を込めさせた。
赤茶けてはいるがしっかりと道を守るガードレールは、国道だった過去を教えてくれるようだ。
途中で一緒になった電線と仲良く、細長い峠の切り通しへ辿り着く。
現在時刻は6時37分。
ヘアピンカーブの旧道入り口からは17分を要した。
後は下るだけだから午前7時の集合時間までには戻れるだろう。
前後から見通してみてもあまり険しさは感じない切り通しだが、その一番深いあたりに立って左右を見ると、先人の挑んだ困難な工事が見えてくる。
いかにも崩れやすそうな法面が、何の補強も成されぬままにある。
本来の道幅以上に切り通しは広く見えたが、それは明治の開通以来、長い年月をかけ両側の崖が崩れ落ち、徐々に平準化してきた結果に違いない。ある程度平坦化した斜面には土が積もり、そこに木が生えて天然の土留めとなっている様子も伺える。
おそらくこの切り通し、天変地異で地中のトンネルが没することはあったとしても、末永く残るに違いない。
そしてこの峠には、平成の世に消滅した市町の境が、しっかりと示されていた。
これがあってこその峠だと私は思うが、我が町の行く末を真剣に議論する人たちにとっては、むしろその交流を阻む峠など邪魔者でしかないのだろうか。
なにはともあれ、古い白看が両側ともに残っている例は、東北でもかなり珍しい。
6:38
ここから先は“昔から”気仙沼市だった部分で、旧唐桑町側に比べ何気にガードレールが新しいという違いがある。
しかし、それは旧道の景観をただの林道のように変えてしまっている。
市道「大峠山線」となった姿は、早送りでも十分である。
下りに身を任せ、ガンガンに下っていく。
峠から少し下ったところに、入り口をコンクリートのポール数本で塞がれた脇道が、現道方向へ下っていくのを見た。
おそらくは唐桑トンネル西口前の封鎖林道のどちらかと繋がる工事道路の名残だと思われる。
むしろ廃道となっているだろうそっちの道の方が気になりはしたが、まずは一度旧道をちゃんと辿ることも重要と考えてスルーした。
誰か確認を頼む…。
峠から約1km。まだ下りの途中ではあるが、旧道の路肩すれすれに現道が接してくる場面がある。
地図を知らなければこのまま合流すると思うところだが、実はまだまだ合流しない。
あくまでも、たまたま現道が旧道に近づいてしまったというだけのことだ。
道ごと削り取られてしまわなかったことは有り難い。
ニアミスである。
一度は現道と接した旧道だが、思わず「なぜか」と問いたくなるように進路を北へ曲げていく。
このせいで気仙沼の町は再び遠ざかり始める。
そして、峠から1.5km地点で斜面に立ち並ぶ家並みを見る。舗装も復活。
「ようし、下った」
そう思うのも無理はないが
あれよあれよと集落の縁でまた北へカーブして、浅い掘り割りの直線下りへ進んでしまう。
そこは再び砂利道となる。
集落を見たのはあっと言う間のことで、果たして集落内のたった50mほどの舗装路にどんな拘りがあったのだろうか。
或いは今では集落から町へ降りる別の立派な道が今はあって、この埃を舞い上げる旧国道は厄介者扱いになっているのかも知れない。
桑畑の中の感じの良い掘り割りを進む。
両側は低い石垣がどっしりと積み上げられている。
なんだなんだ。
まるで景色が逆戻っているように錯覚する。
里へ出たというのは錯覚だったのか?
そんな感じの山道が淡々と続く。
古いガードレールに、今では見なくなった四角いカーブミラー。
どちらも国道時代からの生き残りだろう。
バーン!
いきなりこんな画像を持ち出してきてなんだと思うかも知れないが、決して峠のコメントに窮してネタに走ろうというのではない。
この峠は、決して長い道のりでもないのだが、様々なタイプの「この看板」が見られる。
左の二つのデザインはまあ、ありがち、なのだが…右の奴を見たことある人はいるだろうか?
そして、この子無き爺のような表情のどれも恐ろしいこと!
今までまじまじ見たことはなかったが、夢に出そうだ…。
枕元に立って「電話がとまる!」とか叫ばれた日にはそのまま気を失ってしまいそうだ。
そしてその後、火葬場の肩を借りてようやく舗装が復活。
そのすぐ先には「鹿折みどりのふれあい広場」などという、どうしようもない名前の市民公園が沿道に現れ、犬の散歩に来る人もなさそうだ。
なぜわざわざ山を切り開いてまで「広場」を作らねばならないのか。そもそも、なぜ「みどり」は「緑」じゃいけなかったんだなどと、つまらないことを考えているうちに、道はすっかりと “旧道の社会復帰おきまりのルート” に乗っかっていることに気付く。
すなわち、峠から麓の町にかけて、取水所→墓地→火葬場→老人ホーム→市民公園という流れだ。(この全てが揃っている例も知っている…)
何をしたいのか意味の分からない“新旧道分岐”(写真)を見つつ、閑散とした森を下っていく。
現道の猫の穴ヘアピンを彷彿とさせる、道幅の割にスケールの大きなヘアピンカーブが現れた。
ここで、路上にとまっていたカラスの集団と追いかけっこをする展開に。
私が近づくと彼らは舞い上がって向こうの道へ降り立つが、ヘアピンを越えた私がまたその道を走るという。
彼らの飛ぶ姿を間近で見た直後、道の右側に「黄色い2連星」を目撃。
何かの標識のようだが、反対方向を向いている。
回り込んでその姿をみた私は、歓喜に打ち震えた!
発見した!!
ここまで道路利用者を突き放した道路標識というのを私は見たことがない。
国交省の愛に満ちあふれた「これ」とは、大違いである。
「危険DANGER」と「注意CAUTION」は、白看同様に昭和40年代までで廃止されてしまった旧版標識の一つで、どちらも現在の「!」(その他の危険)に相当する標識である。
だが、昔はよほど道路には予想外の危険が多かったものか、二種類もあったというのが面白い。
しかも、正式な話かどうかは知らないが、DANGERのほうがCAUTIONよりも危険の程度が大きかったとも聞く。
果たしていまのヘアピンがそこまで危険かどうかはさておき、このセットで設置されているのは初めて見たどころか、「DANGER」単体でもちゃんと使われているものを初めて見たかも知れない!(「ミニレポ50「遂に発見!幻の一品」」を参照のこと)
き、来て良かった〜〜。
そのままお寺の前を通って里へ着陸。
現道に合流する前に別の県道に呑み込まれ旧道区間は終わるのだが、その交差点直前に、再び“怪し”を発見!
ZOOM UP!
ギャハハハ
ギャハハハハ!
いや、これネタレポじゃないよ〜。 マジで〜。
でも、このイラストはマズいだろー。磯野家かよ。
まず少年!
頭デカイ! ランドセルの代わりに、ラグビーボール持ってる。 腹出過ぎ。
女児!
浮いてる浮いてる。角生えてる。スカート開きすぎ。
そもそも、この標識(学校 幼稚園 保育所等あり)のデザインというのは、前々から怪しいとは思っていた。
でも、男児(脳内兄)が道路に飛び出そうとする女児(脳内妹)を、片腕でグッと制止するほほえましいデザインだと思うことにしていた。
しかし、この海賊版ときたら、男児が上体反らしすぎ!(笑) これじゃ嫌々だよ。誘拐だよ。
良く見りゃ下の方に汚い字で「徐行」とか書いているし、それって他の標識じゃん(堪らん!)。
旧道は、この写真の鹿折大橋というポニートラスに突き当たって、県道34号気仙沼陸前高田線と合流する。
かつての国道はこの橋を渡って左へ折れ、そのまま現在の国道を突っ切って、真っ直ぐ気仙沼市街地へと入っていったのだった。
現在の鹿折大橋は昭和38年3月に竣工したものであり、国道として過ごした期間は決して長くなかったことになるが、現在まで県道として現役だ。
橋を渡ってから振り返って青看を見る。
ここで県道が橋を介して鍵形に曲がっているのが分かるだろう。
旧国道の矢印も太く描かれてはいるが、行き先は当然のように「ふれあい…」。
なお、この後3分で出発地点に戻った私は、ちい氏との集合にぎりぎり間に合った。
というか、車に戻ったところでばったり出くわしたのであった。
探索そして、岩泉の某お化けの出ると有名な峠に移る。