キロポストの形というのは県によって異なっており、この円筒形の決して目立たないが頑丈なデザインは福島県のものだ。秋田県ではこれとは全然違うデザインだが、やはり県道には1km毎に設置されていることが多い。
この道が県道であることの十分な証しといえる発見で、私はとにかく嬉しかった。正直、登山道を離れてからはまったく車道らしい場面もなく、実際に車道であった時期を持たない道ということを知っていたので、よもや馬鹿正直にこんなキロポストが設置されているとは思わなかった。
このキロポストの設置を指示した人物は、いかにも地方の役人らしい実直さで、おそらく誰の役にも立たないと知りながらも、部下に重い資材をこんな山奥まで背負わせてまで、しっかりとここに県道の証しを埋め込ませたに違いない。
ありがとう、お役人さん!
キロポストは、いまここで、一人のオブローダーに勇気と歓喜をもたらしたぞ!
と同時に、「まだ見ぬ 2本(42kmと41km) の、この奥にあるだろうキロポスト」 をどうしても見てやりたくなった。
ただ漠然と、突破できればいいなぁと思って走っていた私だったが、俄然、やる気が出てきた。
いざこの先もう2kmも進むことを目的にするなら、現在自身がどこにいるのかについて、もっと現実的な情報が欲しくなった。
私は最初のうちは、水も不足していた事もあって、少しだけ入ったら「車道はありませんでしたので引き返します」とやるつもりだったのだが、こうなると急に今までただ前だけを見て走っていた事を悔い、慌ててポシェットから地形図のコピーと、麓で手に入れていた霊山の登山案内地図を取り出して見てみた。
はたして、今の自分はどの辺まで進んでいるのか?
結果、現在地点は左の地図に示した辺りではないかという結論になった。
こうしてみると、なんだか突破というのも非現実的ではないほど、深くまで私は不能区間に踏み込んでいた。
標高だけで見れば、もうこれ以上登らされる事も無さそうだし、むしろ緩やかに下るムードさえある。
或いは、このままもう1時間もすれば見事に突破できてしまうのではないか……、
いや、実は事態はそんなに悠長ではない。
現在時刻(15:20)を考えたら、突破するか引き返すかの2者択一は、どんなに遅くてもこの先1時間以内に行う必要がある、それ以上遅れれば突破できない場合に山中で夜を迎えるということになる。
大袈裟ではなく、遠からず決断を迫られる場面に直面していた。さらに私の緊張は増した。
ともかく、次のキロポストを求め進むしか、いまはない。(と自分に言い聞かせる)
私は直感してしまった。(こういうのは直感とは言わないのかもしれないが)
ここまでの道が意外にまともだったのは、ひとえに、この杉の造林地へと関係者が往復していたからなのではないかと。
というのも、この辺りから連続で何度も、ちょうど道を境にしてその下側に若い杉林が広がっている場所があったのだが、それをひとつ過ぎるたびに、落ち葉の間だから覗いていた土はみるみる隠れ、笹が道の中央にまで我が物顔で姿を見せるようになり始めた。
いやーな予感に限って、まず的中するものだ。
さらに行くと、ここまでで2度目の水場に遭遇。
今度は私が無理矢理水を汲んだ沢よりもだいぶ水量があり、どうせならこっちで汲んだ方が安全だったように思ったが、もうどうでもいいことだ。
43キロポスト発見の歓喜から7分しか経ってないが、もう私は嫌な汗に眉をひそめていた。
本格的に廃道になってきた。
この調子で進めば、やがて致命的な場面が現れるかもしれない。
そうでなくても、余りペースが落ちれば、本当に日暮れを迎えてしまうのではないか。
焦る私の背中を、ますます強烈になった西日が照らした。
もうこの山に、さっきまでのギラギラした暑さなど、どこにもない。
初めのうちは確実に1.5mくらいあった道幅も、気が付けば1m。
今や、道全体が法面の崩壊によって埋め戻され、緩やかな笹藪の斜面と化した場所もざらである。
さすがにもうチャリはただのお荷物でしかなく、ずっと押したり引いたりと、山行がでもお馴染みの動きになっていた。
このペースはヤバイよ〜。
焦ってこんな斜面に転げ落ちれば、もうチャリを自力で引き上げられる見込みはない。
慣れっことはいえ、かなり疲労しているのも事実なので、いつも以上に慎重に進んだ。
私には、一人で探索していて危険な場面になると、独り言を盛んに言う癖がある。
こんな崖のような場面では、「よーし、右側谷、オッケイ」とか。
独り言は、半ば意識的なもので、一人の寂しさからともすれば余裕を失いがちな探索中に、少しでも気持に余裕を持とうという心がけである。
ちなみに、山行がお馴染みの「キターーー」は実際に発声(しかも大声で)していることが多いので、あなたが山でこの声を聞いたとき、それは私かもしれない。
特にコメントも浮かばないような景色がただひたすらに続く。
ちょっとレポ的にもこの辺で早送りさせてもらいます。
襞のような細かな尾根と谷が県道を容赦なく揺さぶる。
小さな尾根を超えても、また次の尾根が行く手を遮るという、その繰り返し。
時間だけは、まったく衰えを見せずに夜へと驀進していく。
焦っても、景色に変化は未だ無し。
時計を見るのが嫌になってきた、ただいま16時。
42kmポストなんて未だ現れず、単にあれから1kmも進めていないだけなのか、或いはそんな物はもとより幻想なのか。
久々に視界がやや晴れた。
何でかなーと思うと、なにやら地形がギザギザしているじゃないか。
しかも、前方に現れた尾根は、これまでのどれよりも大きめで、これはもしや…
このへんまで来ているのかな?
来ているのだろう。きっとそうだ。
そうでなければ、困る。もう4時をまわっている!
来てるぞ、キテル!
見上げたこの斜面の険しさは、確実に霊山の核心部分へ入った。
地形図上で、もう見るのも嫌なほど等高線が密に引かれた場所に、いま自分はいる。
ファミリー向けの山として紹介されることの多いこの霊山だが、また同時に多数のロッククライマー達を魅了し、戦慄させてきた難ルートがいくつもある、険しい巌でもあるのだ。
その核心部分に、この 脆弱な小径でしかない名前だけの県道 が チャリなどを引きずった小僧 と共に突入しようというのだ。
これは、興奮する! まさに、戦慄だ!!
うおー、ドキドキする。いろんな意味で、ドキドキするぅー。
いま、私はやっと不通区間の道半ば。時刻は夕暮れ午後4時5分。
ここまで来たら、突破上等! 行くしかないでしょ、道が続く限りは。
読者皆様の期待を背に、いやさ、己の矜恃を胸に、そして、きっと私を待つはずのキロポストを求め、我は行く。
欲しがりません、抜けるまで。
ここでブレーク。
なんと、ケータイはバリ3!
電話だ電話だ!電話を掛けよう。 …誰に掛ける?
ここは彼女だ、とりあえず、
「あ、俺だけど、今まだ山んなか。」
「とりあえず、いまんところ無事だから。」
「へばね。」
俺が何をしているのか、何度教えても理解を示さない彼女だが、とりあえず連絡を入れないと叱られるので、ね。
後方を振り返ってみてびっくり!
そこには、西物見岩が!
昔の人は何を考えていたのか、あんな岩峰の上に寺や城を築いて修行したり暮らしたり。
もう1000年以上も昔からこの山には人が大勢入り、800年くらい前のごく短い期間には東日本の首都でさえあったのだ。この山が。
嘘くさいよね。こんな山に。
首都だっつったって、こんな環状道路だぜ。
どこに人なんて住んでいたんだよ。
かなり嘘くさいが、歴史の教科書はそう言っている。
頭上を見上げている限りは、奇岩巨石の連続でなかなか楽しいのだが、一歩でも進むためには、嫌でも足元を見なければならず、その足元の様子は、ますます悪化の一途を辿る。
道を塞ぐ倒木の檻を幾多潜り抜け、私は進んだ。
護摩壇
親不知 子不知 の三大岩峰!
めいいっぱいの西日を受け、彫りを深める断崖の陰影。
そこには異様な遠近感を伴って屹立する、霊山を象徴するような巌の連なり。
自然の造形の圧倒的な迫力に、思わず固まる俺。
普通の雑木林の山からせり立つ岩峰の、その覆い被さるような迫力をもろに味わえるのが、登山ルートでさえない点線県道の味である。
霊山ひとりじめ?!か。
しばし頭上の景色をポカーンと見ていた私だが、目の前に視線を戻せば、なんだか笹藪の中に、自然石を重ねたような何かが見えるではないか。
ま、まさか、
まさか、古代遺跡かーーー?!
(ちょっと苦しいか?)
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