山行が調査レポ 特別編 森吉様沢計画   <第二回/>
公開日 2005.8.21


 無名の峠 敢えて呼ぶなら「赤様峠」
 2005.8.16 11:56

2−1 運命の示道標

11:56

 駐車場から約4kmの徒歩で、赤水渓谷のほぼ中間に至る。
本当に歩いていて楽しく、沢歩きってこんなにも幸せなものなのかと、つい先日は粒沢遡行で散々疲れたくせに、もう身勝手にも、沢屋を羨むような心境になっている。

だが…、
我々と赤水沢のとろけるように幸せな時間には、自ら終止符を打たねばならなかった。

もうこれ以上赤水沢を辿っているわけにはいかない。
どこかで、様ノ沢へと移動せねばならないのである。

 正直言って、思い出すだけで、様ノ沢には恐怖を感じる。
一歩間違えれば、速攻で死ねる沢。そんな印象だけが、残る。



 様ノ沢へ今回のように上流から接近するルートは、主に自衛官氏が中心になって、一年ほど前から検討が重ねられてきた。
実際に、2004年の9月初頭に1週間近く、自衛官氏は森吉町阿仁前田に連泊し、一帯の地形や交通状況などについて、事前調査を行っていたほどだ。
そして、その事前情報を元に組まれたのが、今回のこの、様沢計画であった。
様の沢の通称:魚止め滝にある「洞穴」へのアプローチとして、下流側からが難しいのなら、上流からはどうだろうかという考えが、大元にある。
しかし、様ノ沢上流部分は空前のスラブに囲まれており、容易に接近できないことは明らかだ。
 そこで、目を付けたのが、この赤水沢経由の峯越しルートである。
地形図にて等高線をつぶさに調べていくと、いくつかのルートとともに、今回使用したそのルートが浮かび上がった。
さらに心強いことには、沢歩きを趣味とする山人たちによって、このルートが一定の整備状況にある(具体的な状況は後述)との情報を得た。
 すなわち、やはりこの峯越しは様ノ沢源流(或いは九階の滝)に至る、殆ど唯一無二のルートとして、我々が再発見する以前から、コアな山人によって開拓されていたのだ。
一定の整備状況と先ほど申したが、「危険箇所に存置ロープがある」とする先人も、いたのである。

 私たちがこの、懸崖に開いたピンポイントのようなルートを選ばない理由はなかった。
もはや、目的を達するにはこのルートしかないとさえ、考えた。


12:20

 そして、我々はいま、その非公式峯越しルート(一般的な登山地図にも、もちろん地形図にも記載のない道だ)の赤水側入り口に達していた。
そこには、頼りなさ気な赤ビニールテープの示道標が木の枝に結わいてあって、とても控えめに、それと示している。
無論、目的の無い登山者が間違って入るような場所ではない。
赤水沢の遡行ルートとは直角に交わるコースである。

 とある、まな板の様なスラブが、登り口であった。(あえて詳細な場所は伏せさせていただきます。ご自分でルートを発見できないレベルの入山者には、絶対に危険すぎます。)
ここで、15分ほど昼食休憩を取った。
食べたものは、出発時に阿仁前田で購入したサンクス産おにぎり群である。



 おそらく、ここに示道標がなければ、確信を持って踏み込むことは出来なかっただろう。
峯越しルートの始まりは、赤水沢右岸のスラブに刻まれた、小さな支沢の落ち口そのものである。
残置ロープがあるらしいという話を真に受けて来たが、もしそれが実在しないと、無装備では(ここで言う装備とは、ハーケンやザイルなど登壁装備のこと)とても太刀打ちできないような、斜面である。
まして、我々が荷物も少なく身軽ならいざ知らず、二人とも野営道具などが一杯に詰まった60リットルのリュックを背負っており、存置ロープの所在が気になる。

真面目に、見つけられなければ、早くもここで断念となるぞ…。

私は、焦った。

<注意書き 読者の皆様へ>

 この先は、我々のような素人が立ち入ること自体危険な場所です。
山での遭難は自己責任とはいえ、家族や他人に迷惑をかけることも事実です。
決して、安易な気持ちで真似をなさらないでください。

 



2−2 命のロープ

12:22

 あ、あった!!

誰かが設置したままに残されたトラ縞ロープだ。


 殆ど水の流れていないナメ滝に平行するように、3本のロープが中継され、おおよそ20m頭上の林に続いている。


 私が、先頭になって、ロープを引き絞り、一歩目を踏み出す。 ぐいぐいと、登ってみせる。

自分でも驚くほどに、腕に掛かる重力が大きい。
とてもロープ無しでは登れない急斜面(スラブ)だ。
考えたくないが、置き去りだったロープがいまこの瞬間に寿命を迎えたとしたら、そんな単純な、いかにもあり得そうなワンアクシデントだけで、私は死ぬかも知れない。



 20mを登り、今度は自衛官氏が登ってくるのを待つ。
もちろん、一人ずつ登らねば大変なことになる。

人が登ってくるのを待っているのも、なんとも落ち着かない。
登ってくる本人は、それなりに安全を確保して登っているつもりでも、見ていると何とも危なっかしいのだ。
そりゃそうだ。

僅か太さ数ミリの紐に、全体重プラス、荷物の重さ、&、命
これだけが、託されているのだから。
のんびり見ていられる光景ではない。


 で、難所が終わったと思ったら、全然甘かった。


12:25

 少し方向を変え、まださらにスラブの危うい登りは続いていた。
しかも、こんどはロープも見あたらない。
写真は、後続の自衛官氏の登り姿。 何とも重そうである。

このくらいは、自力で登りんしゃい! ということなのか?!

沢屋さん的には、ロープなど不要な程度の登りと言うことなのだな。

 へへん。
俺だって、素人だけど、結構色々へつってきた自負がある。
この程度、ぐいぐい行っちゃうぜー!

 まだ、まだ元気だった。
まだ。



 ひとしきり登ると、既に赤水沢底から30mは上がっていた。
ゆったりとした赤水スラブだが、やはり登ろうとするとそれ相応に大変なのだと、実感した。
これでも、一番登りやすそうな場所を選んで付けられた道なのだろうから、やはり素人考えでのスラブ直登など、不可能に近い難行であると心得るべきだ。
手懸かりのないスラブは、素人に太刀打ちできる崖ではない。

 素人素人って、読者の皆様でお気を悪くしている方がいるかも知れないが、ぶっちゃけ、我々が素人である。
私のような、ついこの前までチャリしか知らなかった人間は当然としても、現役自衛官ですら、やはり沢では一介の素人に過ぎなかった。
それだけ、沢という場所は、特殊な地形なのである。
こと、スラブは、普通の山ではない。




2−3  ほうほうのてい

13:30

 いろいろあって、最初のスラブを二人揃って突破するのに、なんと一時間も掛かってしまった。
これは想定外のことだったのだが、とにかく荷物が重く、そこに残されたロープだけに頼って登ることが危ないと感じた。
それで、自分たちで準備していたロープを取り出して使ったりしていたら、これだけ時間が掛かってしまった。
特に、ロープワークを知らない私がまごついたことが、大きい。

 ともかく、普通に登れば、最初のスラブ壁には10分もかからないだろう。
上り詰めると、沢は普通の森の小川になっていた。
あとは、この小川を、左・左と枝分かれするに頼って詰めていけば、目的のコルへとたどり着ける。
この部分にも、時折示道標が付けられていたが、殆ど道はない。
単純に段差の多い沢を歩き、かすかな獣道を行く。



14:06

 さらに30分をかけ、二人はスカイラインの見えるコルに出た。
これもまた時間が掛かりすぎであり、普通に歩けば、10分で十分な道のりだ。
実際の距離も、赤水沢からコルまでたった300mほど。高低差はちょっと大きく約100mといったところ。
 客観的な感想としては、最初のロープのスラブさえ乗り切れば、そう難しい道のりではない。
ただし、現地での感想は大きく異なり、嫌になるくらい辛いという印象だった。
それは、立ち止まればアブや蚊が大群で押し寄せ、視界不良の藪に一時期コルへの道を見失い彷徨ったこと、さらに、常時我々の双肩にかかる数十キログラムが、とにかく、辛い印象を持たせた。

 ともかく、不本意ながらも荷物の重さに負けまして、我々はたったこれだけの登りに、2時間近くをかけ、這々の体で、ようやく、コルに辿り着いた。
そこから先は…

 い よ い よ 、 神 の 谷 。




 不帰の谷へ
 2005.8.16 14:06

3−1 赤様峠 束の間の休息

14:06

 そこは、地形図に示されていたとおり、安定した鞍部であった。
腰丈ほどの笹藪が茂っており、視界はあまり良くないが、下刈りをすれば十分にテント場になるだろう広さと、落ち着きがある。
周辺の木々は、森吉で一般的に見られるブナ主体の雑木林ではなく、杉の林である。
が、この杉たちは植林されたものではなく、見るからに天然の杉である。
様々な樹形の杉が、風通しの良い高所であるにもかかわらず、天を突くように屹立していた。

 そう、ここはひっきりなしに、風が流れていた。
特に、いま登ってきた西側ではなく、これより下ろうとしている東側は、とても切り立っているような、そんな予感が、あった。




 確かに、かなり以前からこの峠は山人にお馴染みの場所だったらしい。
昭和51年のある日を示すだろう樹皮に刻まれた文字、平成元年などという文字も見て取れた。
鞍部にあって目立つブナの幹には、たくさんの文字を見ることが出来た。
すこし、心強いものを感じた。

 我々は、ここで休憩をとった。
今日のテント予定地は、直線距離でもう500mと離れていない、九階の滝付近の谷底である。
具体的な状況が分からないので、実際に降りてみないと、本当に幕営に適した場所があるか自信がなかったが、行くしかあるまい。
どうしても駄目なら、この稜線に泊まることも出来るだろうが、まだ時間はある。
可能な限り、先へ進みたい。
…特に、私はそう考えていた。

しかし、 それは、 誤りだったのだが…。




 下るべき、東側の景色…。

足元から下は、


   すっぱり落ちていた!


 …やばいなー。
土っぽい斜面には、ポヨポヨと低木が生え、10mほど下には少し平らに見える雑草の茂る場所が見える。
その先は、再び林になっており、下っていくことは想像できるが、見通せない。
見た限り、谷底の流れまでは、そんなに遠くない感じはした。
だが、一番気がかりだったのは、 これと言った道がない と言う一点に尽きた。
登ってくるときも、かなり険しかったとはいえ、どこが歩くべき場所なのかは明らかだった。

 しかし、下るべき道が分からないというのは、相当に怖い。
ましてや、下るだけ下って、もし断崖にでも突き当たってしまったなら…。
それは、十分にあり得ることなのだ。
ここは、様沢源流部。 スラブの、巣、なのだ。



3−2  飛瀑展望所



 直接道無き斜面を下るのは余りにもリスキーだと言うことで、ちゃんとした下りを探しに、鞍部を歩き回ってみた。
すると、稜線に沿って南の少し高くなっている尾根へ登っていく、踏み跡を発見。
登っていくと言うのが引っかかったが、道らしき物はこれしかないので、荷物を置いて一人で偵察に出てみた。

 そして、私はひとり、対峙することになるのだった。

まるで、幻のような、 現実の景色に。

はじめそれは、木々の茂る向こうに、白く小さく、見えていた。

まさかと思い、さらに踏み跡を登っていくと…。
 


 木々の隙間に見えたゾクゾクするような大スラブには、一条の滝が、確かに落ちているようだった。

その規模たるや、望遠レンズで木々に邪魔されながら垣間見ただけでも、

私がこれまで見たことがない大きさであることが、明白だった。


一言で言えば、凄まじい巨瀑の、気配だった。



 その全容を見ることが出来る場所がないかと、私は道を探すことも忘れ、崖のギリギリに身を乗り出してみたりした。
そして、遂に私は、見たのである。

文句なく、日本最大級の、巨瀑。
そして、未だ殆ど知られざる、幻瀑。


















九階





 いまだ、余りにの険しさゆえ、正確な落差も判明していないという、九階の滝。

我々が、様ノ沢の源流だと思って探索してきた大スラブですら、実は、本当の源流ではない。
推定落差135mと言われる九階の滝。
この滝の上流には静かな森があり、なお数キロの上流に源流がある。
何万年掛かってここまで深くスラブが削られたのかは分からないが、そのスラブの源頭が、この九階の滝なのである。
このような場所から遠望すると、その事がよく分かる。


 まるで、巨大なすり鉢のようなスラブの底へ…、
あの滝の袂への、我々の辿るべき道は、どうやって探しても見つからなかった…。


 もう、決死の斜面降下しか、無いのだろうか…。
どう考えても、この谷は、人を食う気がする。

やばい谷なのだ。絶対に…。






      まだ続きます。 続いてはいけない方向に…。






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