<廃隧 岩窟>
いよいよ、笹川流れの道行きも佳境を迎える。
板貝から笹川に至までの2km余りは、険しい地形に阻まれる。
それもそのはず、海岸線に沿って大小の奇岩荒磯が連なる景勝「笹川流れ」の核心は、正にこのあたりなのだ。
自動車の通う道が生まれる前には、板貝峠と呼ばれた海岸線を迂回する道が利用されていた。
そして、ここにも、廃隧道が眠っている。
国道345号線が、笹川流れの核心地域に差し掛かる。 この板貝地区から道の駅も設置されている笹川、そして桑川の集落に至るまでが、最も険しい。 | |
まずは、続けざまに3本の隧道が待ち受ける。 それぞれ、神宮沢第一・第二・第三隧道である。 激しく蛇行しながら、3本の隧道が間髪いれず続く様は、なんかもう、「技術力の力技」って感じである。 しかし、もともとの隧道は、3本とも大正2〜3年の竣工であり、その幅は僅か1.1mであったというから、驚きである。 残念ながら、当時の隧道の痕跡は発見できなかった。 | |
神宮沢第三隧道。 大正3年の竣工当時、幅1.1m、高さ1.6mというから、成人の多くは、屈んで通行していたであろう。 当時はまだ、自動車交通など考えられていなかったのかもしれないが、俄かには信じがたい狭さだ。 しかも、この隧道にあっては延長165mもあったというから、恐ろしい。 そして、まさか、そんな恐ろしい隧道が、まもなく私の目の前に現れるとは…。 この時は思っていなかった。 |
入り江に沿って短いストレート。 左には、おなじみ羽越線。 この辺りの鉄路は、これ以上なく車道の近くを通っている。 小刻みにトンネルを繰り返しながら。 羽越線は、やっぱりローカル線なんだなー、としみじみ思ってしまった。 一応は新幹線の基本計画路線である「羽越新幹線」だが、やはり夢物語なのかもしれない。 正面に見えているのが、大正4年竣工の炭沢隧道である。 地形的にどう考えても、この現隧道は旧隧道の拡幅だろう。 この場合、形は変わってしまったといえ、大正4年竣工の隧道が現役であるといってよいのだろうか? それとも、ただ単に、同じ空間にあるだけで、全く別のものと考えるべきなのだろうか? |
「アカタビラ隧道」である。 一瞬「何語?」って思ってしまう名だが、釣り好きの人はピンと来たかもしれない。 “タビラ”とは、観賞魚としても普通に売られている“タナゴ”のことである。 “アカヒレタビラ”というのもいるそうなので、この隧道の名も、その辺に由来があるのかもしれない。 やはり、同名の隧道は大正4年に竣工したという記録があるが、改築されており十分な造りである。(でも昭和40年代の改築であり、だいぶ古びてきていはいるが) | |
直線の隧道を脱出し、いつものように(廃隧道はないかと)振り返ってみると、思わぬことに気が付いた。 なんと、こちら側の坑門に付いている扁額の名前が、入り口のそれと異なるのである。 その名は「カタガリ松隧道」という。 「カタガリ」とは、これまた聞きなれない言葉だが、調べてみると、東日本の各地にこの名の付いた地名があるようだ。 どうらや、漁師言葉で海底の傾斜地をさす言葉であるらしい。 で、どうして両側の坑門で名前が違うのか考えてみたが、そういえば。 上の写真には写っているのだが、直線の隧道の途中、洞門の様に外が見えている場所があった。 どうやら、これはもともと2本の隧道を洞門で連結した為にこのようになったのだと考えられる。 でも、まだここは終わっていなかった。 左の写真の左の隅、なんか、駐車スペースがありそうでしょ? 実際、小さな駐車スペースがあったのですが、その奥に… | |
見ちゃったんです。 私。 |
駐車スペースの先、車止めの向こうは、廃道でした。 そして、僅か20mほど先、そう、この穴は駐車場からも見えるんです。 でも、ご覧の通り、凄い薄の原です。 冬場を除いては、視界が遮られ、さぞ発見され難くなっていることでしょう。 早速、幅2mほどの切り通しになった廃道を、歩いて進んでみます。 | |
いよいよ坑門の前に立ちました。 勿体つけるようですが、まずは、振り返った景色です。 奥のほうには、現道に沿った休憩所の東屋が見えています。 その奥の黄色い崖の下を現道が伸びています。 | |
完全に交通から取り残された隧道が、ありました。 これは、もともとの「カタガリ松隧道」に間違いないでしょう。 資料によれば、カタガリ松隧道は大正6年に竣工した隧道で、延長7m、幅1.1m、高さ1.4m(!)という記録があります。 これまで見てきた中では、最も竣工時の姿に近いと感じられるこの隧道ですが、これでも、辛うじて自動車が通れる位には拡幅された形跡があります。 しかし、それでもなお、この隧道が県道に供されていた(さすがに国道に指定された頃には、もう利用されてはいなかっただろう)姿は、その前後の余りにも狭く屈曲した線形を含め、想像し難いものがあります。 短いし現道の近くということもあり、恐怖感はあまりありませんが、ゆっくりと通行してみます。 足元には、粒の小さな瓦礫が堆積しており、寿命が近いのかもしれません。 | |
潜り抜けると、そこは現道のアカタビラ隧道とカタガリ松隧道の間にあった洞門部分でした。 立ち並ぶ石の柱の向こうに、時折通り過ぎる車が見えましたが、まさかこんな場所に人がいるとは、棄てられた隧道が眠っているとは、思わないでしょう。 しかし、見れば見るほど、野趣あふれる隧道です。 大正時代の隧道が、今もほぼ、当時の姿のままに残っているケースは、稀ではないでしょうか。 私のとっては、忘れられない遭遇でした。 |
興奮冷めやらぬまま現道に戻り、さらに南進を続けます。 道の駅「笹川流れ」の予告標識と共に現れたのが、滝ノ尻隧道です。 さらに続いてニタコ間隧道、塩置場隧道をくぐると、このトンネル連続地帯は終了します。 これだけトンネルが続くというのはなかなか稀であり、もうそれだけでトンネル好きには堪らない快感です。 その上、あんな隧道が隠されているとは…。 おそるべし、新潟県。 |
久々に、広い砂浜が現れると、そこが笹川です。 あれ? このレポート、途中から“ですます調”に変わってるぞ。 どっから変わったんだと読み返してみれば… あっ。 本来直すべきなのでしょうが、これも、廃隧道の興奮の演出として(?)このままにしておきましょう。 面倒くさがったわけじゃないのよ。 | |
ひとつ、今回のレポートでは解明できなかった課題があります。
レポート中何度も引用させていただいております、『山形の廃道』サイトにて公開されている「全国隧道リスト」の該当のページをご覧いただければおわかりの通り、今回の走行では発見できなかった隧道が、少なくとも2つあります。 それは、炭沢隧道とアカタビラ隧道の間にあったと考えられる「尺ナギ隧道(大正4年、延長39m)」と、 アカタビラ隧道とカタガリ松隧道の間にあったはずの「平木隧道(大正4年、延長14.4m)」です。 特に平木隧道は、一帯に限らず、記録に残る隧道としては最も狭いレベルである、なんと幅員90cmで竣工したとの記録があります。 今回、走行後にこの資料に目を通した為、やや探索が雑であったといわざるをえません。 もし、事前に知っていれば、徹底的に漁ったのですが…。 いずれにしても、これは、今後の課題として残りました。 現道によって蹂躙されてしまった可能性も高いですが、カタガリ松隧道の例もありますので、もしかしたら…。 |
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|