ルートレポート 国道345号線笹川流れ 勝木 
2003.3.15



   <はじまり>

 秋田から概ね日本海に沿って新潟まで南下する国道7号線が、一度内陸へ進路を変える部分がある。
それが、山形県山北町勝木がつぎから、村山市街までの区間だ。
この区間で、国道7号線の代わりに、海沿いを走るのが、国道345号線である。
実際ここを走ってみて感じるのが、国道7号線のこの不可解な遠回りは、“迂回”なのではないかということだ。
それほど、この区間「笹川流れ」は、陸路の難所と感じられる。

 まずはその始まりの地、勝木をレポートする。


 
新潟県山北町 勝木がつぎ
2003.3.6 10:42
 国道7号線から、国道345号線が分かれる。
しかし、国道345号線の起点は、鶴岡市であり、ここは起点ではない。
いきなりの規制予告
 右折するなり、早速規制標識がお出迎え。
写真の通り、連続雨量150mmでの規制が敷かれているほか、暴風時にも通行止めとなる旨が、記されていた。
こういうのがあると、なんか、萌えません?
左の写真に写る「高波注意」の標識など、「あれ?こんなのもあったかな。」と、納得しそうになるほど普通のデザインだが、ここ以外には見られないオリジナル標識のようだ。
少なくとも、非公式な標識なのは確かだと思う。

 鉾立岩
 勝木の集落内からもう見えていたのだが、圧倒的な存在感を誇示する「鉾立石」。
高さ30mくらいはありそう、巨大なビルのような岩だ。

国道7号線を走っていたときは、日が明けてからは特に通行量の多さに辟易していたが、345に入ってからは、時々乗用車が通るくらいで、静かなものである。
お陰で、好きな場所から写真撮りができるというものだ。
早速現れたトンネル 
 この道、もう、トンネルマニアの私には堪らないほどに、トンネルが多い。
そして、早速一発目が現れた。
鵜泊隧道である。

 で、この何の変哲もない鵜泊隧道なのだが、相互リンクサイト『山形の廃道』で自由に閲覧できる「全国隧道リスト(1967年度版)」を見ていて、恐ろしいことに気が付いた。
 なんと、この鵜泊隧道の竣工年度は明治31年だという。
当時の延長は57m、幅員は驚きの1.5mだったらしい。
そして何よりもその構造を顕している2文字に度肝を抜かれた、“木造”だというではないか!
…果たして当時の姿は、どんなものであったのだろうか?
現在の鵜泊隧道とは延長も合わないので、付近に遺されている可能性もあり、今後の調査を必要と感じている。
今や日本に現役では残ってはいないであろう“木造”隧道というロマンは、私に新しい隧道探索を提示しつつあるようだ。
鵜泊へ

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