<はじまり>
秋田から概ね日本海に沿って新潟まで南下する国道7号線が、一度内陸へ進路を変える部分がある。
それが、山形県山北町
この区間で、国道7号線の代わりに、海沿いを走るのが、国道345号線である。
実際ここを走ってみて感じるのが、国道7号線のこの不可解な遠回りは、“迂回”なのではないかということだ。
それほど、この区間「笹川流れ」は、陸路の難所と感じられる。
まずはその始まりの地、勝木をレポートする。
国道7号線から、国道345号線が分かれる。 しかし、国道345号線の起点は、鶴岡市であり、ここは起点ではない。 |
右折するなり、早速規制標識がお出迎え。 写真の通り、連続雨量150mmでの規制が敷かれているほか、暴風時にも通行止めとなる旨が、記されていた。 こういうのがあると、なんか、萌えません? 左の写真に写る「高波注意」の標識など、「あれ?こんなのもあったかな。」と、納得しそうになるほど普通のデザインだが、ここ以外には見られないオリジナル標識のようだ。 少なくとも、非公式な標識なのは確かだと思う。 |
勝木の集落内からもう見えていたのだが、圧倒的な存在感を誇示する「鉾立石」。 高さ30mくらいはありそう、巨大なビルのような岩だ。 国道7号線を走っていたときは、日が明けてからは特に通行量の多さに辟易していたが、345に入ってからは、時々乗用車が通るくらいで、静かなものである。 お陰で、好きな場所から写真撮りができるというものだ。 |
この道、もう、トンネルマニアの私には堪らないほどに、トンネルが多い。 そして、早速一発目が現れた。 鵜泊隧道である。 | |
で、この何の変哲もない鵜泊隧道なのだが、相互リンクサイト『山形の廃道』で自由に閲覧できる「全国隧道リスト(1967年度版)」を見ていて、恐ろしいことに気が付いた。 なんと、この鵜泊隧道の竣工年度は明治31年だという。 当時の延長は57m、幅員は驚きの1.5mだったらしい。 そして何よりもその構造を顕している2文字に度肝を抜かれた、“木造”だというではないか! …果たして当時の姿は、どんなものであったのだろうか? 現在の鵜泊隧道とは延長も合わないので、付近に遺されている可能性もあり、今後の調査を必要と感じている。 今や日本に現役では残ってはいないであろう“木造”隧道というロマンは、私に新しい隧道探索を提示しつつあるようだ。 |
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|