<海食洞の交差点>
蓬莱山から1km余りで、穏やかな砂浜は、再び巨大な岩山に阻まれる。
そこには、自然が作り上げた精巧な隧道が、静かに口を開いていた。
僅か1kmほど南下すると、再び現れた岩山が道を塞いでいる。 そこに現れるのが、「宝屋隧道」である。 短い隧道なのだが、落石よけのごつい庇(写真で白いペイントの施された部分である)が前後に設置されており、重量級のデザインとなっているのが面白い。 それと、もう一つ気になることがある。 おなじみ「山形の廃道」さん提供の『隧道リスト』によれば、この隧道の前身は「室谷隧道」となる。 これは、なんと大正時代に竣工したというぶっ飛びモノの古隧道だったわけだが、その名、気にならないだろうか? 「宝屋」と「室谷」である。 似ている。 …いや、まったく同じならば全然気にならないし、また、改修時に全然違う名にするというのも、分からなくはない。 しかし、なんか中途半端に似ているのが、なんか気になるのだ。 「宝」は「室」とは呼ばないが、字体が似ているし、「屋」と「谷」は、共に“や”である。 敢えて、二文字とも微妙に差し替えるような理由でもあったのだろうか…? ま、それだけなのだが、気になってしまった。 |
廃隧道を、目を皿のようにして探している私は、各隧道に入る前と出た直後には、必ず一旦停止して、辺りを探ることにしている。 そして、その努力が実り、ここ「宝屋隧道」の南側坑口のすぐ近く、国道から海岸線に降りた場所に、一つの穴を発見したのだった。 一瞬にして、全身に力がみなぎる! まるで、キノコを食ったマリオの如く、その体は、はちきれんばかりに膨らむ! …私の、“穴”発見の悦びは、そのようなイメージで、捉えてもらって、よい。 |
光の速さで海岸に降り立った私は、すぐに穴に向かった。 なんと、穴の向こうには渚が見える。 幅は1.5mほどとかなり狭いが、上が尖った三角形のような断面を持つため、高さは結構ありそうだ。 この形、自然洞穴(場所柄、海食洞というヤツだろうか)のように思われる。 とりあえず、奥へ入ってみることにした。 |
なんと、驚いたことに、海食洞の内部は、交差点があった。 今私が入ってきた南側の口から10mほど洞内を進むと、そこは渚になっていた。 さらには、その渚には、北と西と、東、それぞれに出口があったのだ。 ちょっとここは、口では説明しにくいので、急遽作成したビデオをご覧いただきたい。 このリンクをクリックして、一旦お客様のPCに保存いただいた上で、再生してほしい。 (注意)容量:224KB ファイル形式:wmv 再生には、最近の WindowsMediaPlayer などの再生ソフトが必要です。 | |
動画を再生できない環境でご覧の方もおられると思うので、拙い出来で申し訳ないが、模式図も作成してみた。 私が辿った経路を、赤の矢印で描いている。 | |
“交差点”にて、渚に洗われていない山側の穴を進むと、15mほどで、砂浜に脱出できた。 写真は、そこで振り返って撮影したものである。 …この入り口、海岸線から、このとき30mほど離れていた。 満潮時にどうなるのか分からないが、あたりの砂浜の様子からして、この辺りまで波に洗われると言うことはちょっと考えられない。 つまりは、この入り口に関しては海食洞とは、考え難い気がするのだ。 もともとここに海食洞が在ったことは間違いないと思うのだが、その4箇所の出口の内、すくなくとも、この写真の1箇所は、人工的なものではないかと、推理するのだが、あなたはどう思われただろうか? 天然の海食洞と連結した、歴史上稀に見る隧道。 それが、大正2年竣工、室谷隧道の正体ではなかったか? |
興奮冷めやらぬまま、国道に戻る。 すぐに次の隧道が現れた。 根込隧道である。 同名の隧道が、大正2年に竣工したという記録が残っているが、地形的に、現隧道はこれを拡幅・改築したものと思われる。 |
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