<廃隧 狭くなる穴>
JRの駅もある寒川の集落を過ぎ、さらに2kmほど南下すると脇川に至る。
ここで遂に、廃隧道に出会ってしまった。
それも、とびっきりに奇妙なヤツだった…。
脇川集落にはいるとまもなく見えてきたトンネル。 松陰第一隧道といい、昭和27年の竣工だ。 だが、改良を受けているようで、やや狭いながらも2車線を確保している。 で、現道を黙って走ってゆくと、次に現れるトンネルは蓬莱第一隧道となる。 注意深いドライバーなら、「あれ、松陰第二はないの?」となるはずだ。 そう、現道に、松陰第二はないのだ。 |
松陰第一隧道から約200m。 海側にやや出っ張った部分に小さな切通が拓かれ、まぁ、これといって特徴のない景色になっている。 何気なく通れば、それで終わりの景色だろう。 だが、そこに落とし穴があったのだ。 | |
切通になっているコーナーのすぐ内側に、控えめな隧道が口をあけていた。 ちゃんとコンクリで覆工されており一見現役のようだが、その短い延長の向こう側は、盛り土でさえぎられていた。 この笹川流れの国道345号線で初めて見つけた、廃隧道である。 探してみても銘板らしきものは無く、その場ではこの隧道が何なのか分からなかったが、頼りになるのはやはり「山形の廃道」さんである。 それによると、これこそが「松陰第二隧道」であり、竣工は昭和29年。延長はものすごく控えめな16mである。 内部は舗装されており、現役に近い状態といえる。 しかし、ここに在った廃隧道は、これだけではなかったのだ。 |
なにやら飯場らしき建物の影に、もう一本見えているではないですかー。 こんなものでカムフラージュしても、無駄なんです。 わたしは、廃隧道を探しに、こんな遠くまで来てるんですよ。 などと、すっかり怪しい人となった私は、隧道に語り掛けながら接近。 | |
なんじゃこりゃ。 …これこそが、松陰第三隧道である。 竣工は昭和28年、延長35m、幅3.5m、高さ3.5m。 はじめて、竣工当時の姿のままと思われる隧道に出会った。 それにつけても、奇妙な景色である。 長い隧道ならいざ知らず、こんな短い隧道が何ゆえに、こんな中途半端な改良を受けているのだろう? 高速で突っ込んだドライバーの驚く顔が目に浮かぶような隧道ではないか! 全体が均一に狭い以上に、危険な状況に思えるが…。 願わくば、現役で遭遇したかった隧道である。 | |
反対側の坑門の眺め。 この景色にも、猛烈に興奮した。 反対側の坑門に比べ、その幅も高さも半分程度しかない。 車一台通るのがやっとという広さだ。 こんな木組みの坑門がほんの数年前まで現役で通用していたというのか?! しかも、天下の国道で?! しかし実は、本当に国道としてこの隧道が使われていたのかは、分からない。 というのも、この道が国道に指定されたのは比較的近年であり、以前は主要地方道「村上温海線」という県道であったことが知られている。 もし、国道に指定を受けた以降に、この“狭くなる隧道”を通ったことがあるという方は、ご一報いただけるとうれしい。 | |
反対側には広い舗装スペースがあった。 これは、現道との間を埋める感じに存在しており、もともとは狭い隧道の待避所として存在していたのか、それとも、現道竣工後に作られたスペースなのかは、分からなかった。 この景色を見て、「新潟はやはり、想像以上に凄い所らしい」ということが、よく、分かった。 新潟、恐るべし。 |
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