熾烈な九十九折の登りを攻略したヨッキれん。
まだまだ先は長い。
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悪夢のような九十九折を攻略したヨッキれんの目前に、観湖台の休憩地が現れた。 そこに至る最後の上り坂を、もはや全身の毛穴が乾いた塩分でふさがれ、汗すら出なくなった身体を引きずるようにして、上り詰める。 その時、ふと左に、これまでの走行では気付くことのなかった、分かれ道を見つけた。 その道は、信じられないほどの勾配をもって、私の前に現れた。 これは、喧嘩上等と言ってもよい! すなわち、私への挑戦ととらえてよい! 入り口は申し訳程度にチェーンで封鎖され、その奥には、写真にも映っているが、車両通行止めの看板。 これは、完全に、私への挑戦的態度である!! 我慢ならん。 突入!!! この、余りにお馬鹿で短絡的な決断が、彼に、地獄の苦しみを与えることになるのだった…。 …お約束な、展開だナ。 |
分岐点から、既に、これまでに経験した中で、もっとも急なレベル。 すなわち、通称「さんなな」と呼んでいる、チャリの変速を最も軽い段にして登っても、なおペダルが重く、せいぜい時速3km/h前後となる様な登り。 道幅は、せいぜい2.5m。見ての通りの、コンクリ舗装。 新めの道に見える。 なんというのぼりだ。 言葉では表現できない、チャリンコで、MTBでこいで登れる限界に、限りなく近い角度である。 もし、 もしこの先、これより勾配がきつくなるなら…、仮に足が重力に勝る力で回転したとしても登ることはできなくなる。 そう予感した。 なぜかって? チャリと自分自身の重心の都合、チャリごと後ろにひっくり返ってしまって、登るどころか、チャリに跨ることもできなくなるのだから! 過去に、未舗装の道での限界が、案外に早く訪れることを知っていた。 それは、砂利や泥は、車輪の回転を地面にちゃんと伝えてくれないから。 しかし、舗装路では、限界はないと思っていた。 もちろん、きちんと道として機能することを意図して作られた場所ならば、ではあるが。 それが今、この道に入って、わずか数メートルで、常識が覆され様としているのだ。 |
信じられないことが起きていた。 なんと、登れない!! このヨッキれん。 人より足が強いとか、そんなつもりは無かった。 ただ、一般の人が、上りが急で一定以上の苦痛を足に感じるようになると、こぎ続けることをあきらめ、押して進むところを、 絶対にそうすることを潔しとしない、そんな性格の持ち主である。と、いうだけ。 いわば、こだわり、である。 しかし、この道では、入り口から9分を経過して、わずか100mかそこらの道のりを持って、足が言うことを利かなくなっていた。 ここまで、まったく勾配が緩むと言うことが無かった。 短い直線と、九十九折のようなヘアピン、そのいずれでも、まったく勾配は変わらなかった。 そんな道を見たことが無かった。 自然の地形の上に道がある以上、時々は、勾配が緩んだり、下ったり、するものだと思っていたし、そういう経験しかなかった。 しかし、この前代未聞な上り坂は終るどころか、ますます切り立ってゆくというのが、信じがたい現実であった! |
ついに、私はここで、斃れた。 チャリを倒し、己も地に伏した。 ギブアップ! いったいこの道はどうなっているのだ。 私だって、このようになるまで、十分に足掻いたつもりだ。 しかし、もはやここで立ち止まったものに、再起の道は無かった。 この勾配は、静止した状態から、再度こぎ始めることを許さなかった。 …うしろへ、ひっくり返ってしまうのだ。 どうしても、チャリにまたがって進むことができなかったのだ…。 斃れ、咆哮しているこの悔しそうな表情こそが、この道の恐ろしさをこの上なく表現している。 |
もはや、精も根も尽き果ててしまった私は、斃れたまま、辺りを写真に撮った。 敗北感に包まれたまま、この辛さを誰かに伝えたくて、この登りの凄まじきを記録したのだ。 写真左は、登ってきた道を撮影したもの。 だらしない足が、辛さをこの上なく感じさせてくれよう。 写真右は、持参したDAKARAである。 水面と容器の壁がなす角度に注目! 容器を立てようとして、倒れそうになったことも、付け加えておきたい。 あーあ…。 このあとどうしようか。 チャリ押してでも、登ろうか…。 上を見た。 ちょっと伏して撮ったから、角度が強調されていると思うが、…いや。 こんな感じに見えたよ、実際。 どうしようか…。 やっぱ、チャリと一緒に、漕いで、登りたい。 |
しばらく休むと、やはりどうしてもチャリを漕いで登ってやりたくなった。 どうして登れないのかをよく考えると、チャリが後ろにひっくり返ってしまって、ごぎ出せないのが、原因だった。 どうしてひっくり返るのか? 重心が高くて、不安定だから。 ひらめいた。 サドルを限界いっぱいまで、低い位置に固定しなおした。 そして跨って、力一杯漕ぎ出す。 ペダルが、これ以上なくゆっくりだが…回りだし…。 後輪に推進力が発生。 …。 くっ、しかし、やはり、安定しない。 前輪の方向を固定するために、ハンドルに力を入れると、ひっくり返りそうになる。 まっすぐ進めない。 身体を可能な限り低くする、ハンドルとサドルを結ぶ直線から、できるだけ体が上に行かないように、腰を一杯まで曲げて、超前傾姿勢だ。 そして、徐々に、徐々に、まっすぐと、進み始めた。 余りに速度が小さく、搭載の速度計には、速度0km/hの表示。 しかし、漕いで登っていた。 しばらく、真下を見てただただ漕いだが、ふと見上げてみると、それまで見えなかった電波塔のようなものが、見えていた。 |
苦難の道のりにも、やはり終わりがあった。 これ程に、ホッとした終点は久々だ。 こんな道が、これ以上続いていたら、…まだまだ本線の攻略途中だと言うのに、その目的も果たせなくなっていただろう。 最後は、電波塔の前であった。 唐突に、急勾配のままコンクリの道は消え、周囲は、ススキの原っぱであった。 潔すぎる終点に、気持ちもスッキリ。 どうやらこの道は、この電波施設のための、引込み線であったらしい。 こんな道を、この施設を建設するための資材を運搬する車両が登れたのだろうか…。 そして、今後、実際に、車で登ってくるものがいるのだろうか?? 気になる。 | |
ケータイの電波塔と、その施設でした。 サドル低いでしょ。 | |
下り始める前に、もう一枚。 この生涯記憶に残るであろう道は、延長は正確には不明であるが(なんせ、サイクルコンピュータもここでは速度0計測が多く当てにならない。)、大体500m。高度差は、地図上での推定だが、100mはあろう。 ここから求められる平均勾配は、20%。 凄まじい値だが、これは実感と一致する。 このてっぺんからの景色は、観湖台からのそれにひけを足らない、すばらしいものであった。 下り坂。 生きた心地はしなかった。 どれ程強くブレーキレバーを引き絞っても、まったく静止できなかった。 ワイヤーが断裂するのではないかと、ホント気が気で無い下りであった。 チャリの寿命にもよくない、ほんと、苦難の道であった。 | |
とんだ寄り道となったが、再び、本線の攻略を続けることとする。 この先は、仙岩旧道の白眉と言える、“断崖絶壁の空中回廊”が待っているハズ。 楽しみだー! |
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