国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第二回

公開日 2006.10.04
探索日 2006.09.26

仙岩峠 最後の挑戦

完全なる廃道


<0.6km地点>AM 10:45

 昭和28年の国道指定から同37年に旧国道が開通するまでの10年間、車が通れぬ国道だった仙岩峠。今日の押しも押されぬ幹線道路としての姿からは全く想像し難い。

 目の前にあるこの救われぬ険路こそ、昭和37年までの二級国道105号、今日の国道46号の前身に間違いないのである。
それは、明治の開通以来廃道となるまで隘路の誹りを免れなかった道だったようだ。


 取水地の沢を過ぎ、そこから20mほどの岩崖をを乗り越えると、再び路盤が出現した。
法面と路肩の両方が丁寧な石垣で区画され、しっかりと地に根付いた感のある明治道。
この道も、開通当初には大きな利用が期待されていた。
少なくとも、秋田県権令石田が開通を官報に公示し、その年の暮れに内務卿大久保が通った明治8年、そして仙岩峠と命名された翌年までは明るかったに違いない。
だが、その後はどうにも浮かばれなかった。
秋田岩手の両県が、財政難に喘ぎながらも細々と改良を繰り返した道も、やがて自動車交通の時代となって全く見放された。



 尾根にほど近い場所を、私に“天空回廊”と呼ばしめた絶壁の道を伝って峠に向かう旧国道と、トンネルと橋を惜しげもなく費やして全長2.5kmの仙岩トンネルで峠を深く貫く現国道。
この至って対照的な2つの道のまさに中庸。それが、旧旧国道である明治道が採ったルートだった。
そして、結果的に中庸ルートの有用性は否定されたのだろう。
だが、私が中庸という言葉を選んだ通りに、決して明治道は荒唐無稽な進路ではなかった。
むしろ、巨大な橋や隧道といったアクロバットが効かない明治期に選んだ道としては至極当然、無駄のないルートだったと思える。
現に、途中数箇所の難所を除いては、ご覧のような比較的穏やかな場所を坦々と続いている。


 ふと、振り返る。

 トリ氏の姿がない。

 少し待つ。

 おっ、 ガサゴソと動く薮がある。

 おー、出てきた出てきた。 ピヨッ

 あなたは、この写真にトリ氏の姿を見つけることが出来るだろうか?



 気持ちの良い木洩れ陽の道。

…見ている分にはそうなのだが…、実際にはこれがなかなか重労働。
人一人分の刈り払い跡さえない、まっさらな薮である。
一歩足を踏み出す度に、足はかなり引っ張られる。
この重みの積み重ねは、着実に疲労を蓄積させていった。
我々は額に汗して廃道を進んだ。
あまりに手つかずで、自分達だけの道だと、そう思えるような廃道を。
人とは違う道に興奮を憶えるオブローダーとしては、その冥利に尽きる贅沢な時間だったとも言える。
東北有数の主要国道の代表的峠の旧道でありながら、ここまで放置されているとは、予想外だった。



 ときおり開ける下界の光景は、生保内川の白い河原だった。
そして、目を凝らすと川を繰り返し跨ぐ鉄橋が見えた。
それは、仙岩峠のもう一人の主役。
秋田新幹線こまち号の通る道、JR田沢湖線だ。

 線路よりもずっと近くにある国道を往く車のエンジン音も、ときおり聞こえていた。
現道は険しい山腹をトンネルと橋の連続で通過しており、この辺りに限って云えば明かり区間よりトンネルの方が多いくらいだ。
おそらく、ここでの明治道と現国道は100〜200m程度しか離れていない。
だが、仮に下っていったとしても、現道にぶつかれる可能性は低いだろう。

 また、もう少し行くと明治道は生保内川に面する山腹を離れ、いよいよ峠への進路を明確にすることになる。
そして、やがてエンジン音も聞こえなくなるのだった。



 赤キノコ大量発生!

 通る者の無くなった路面には、至る所に赤い小さなキノコが傘をさしていた。
クリッとしたその姿は何とも愛くるしい。
あのイタリア人なら、どれほど巨大化するだろう。 ッモリモリモリ!

 個人的に、私はキノコを見て楽しむのが好きである。
(マイPCには、キノコ画像フォルダがある、また、着メロはH○KUT○…)
このキノコに心当たりのある方は、ご一報いただきたい。
この辺りには採りきれないだけたくさん生えていた。  


 薮は深く進行のペースは遅かったが、道の痕跡ははっきりしていて、見失う心配は感じなかった。
だが、ここに来て異変が発生。
行く手に水平な場所が無くなり、シダや低木が生え揃う斜面と化している。
道はどこへ逃げることも出来ないから、崖が崩れて本来の道が埋もれてしまったのだと考えざるを得ない。
(シダ植物は、経験上瓦礫の斜面に根付く事が多い様に思う。つまり崩壊地だ。安定した土壌を好む笹とは決して被らない)
このようなとき、道を見失わないコツは、出来る限り水平移動に徹することである。



 またしても、安堵。
20mほどはまるっきり道の痕跡を見失ったが、その先には、くっきりと道が現れた。
そこには、ここまでで最大規模の岩の法面があった。

 この辺りまで来ると、生保内川の支沢の斜面に入り込んでいる。
便宜上、対応する国道橋の名前をとって桂巣沢と呼ぶことにする。
明治道は、この沢を初めとして何本かの支沢を越えて行くが、そこには当然橋の存在が期待されていたのであった。



 この森は巨木の森である。
道端にある巨木の幹に注目した。
そこに一本、奇妙な傷が付いた幹を見つけた。
漢数字の“三”を縦に並べたような、不思議な模様。
これはなんだろう…、ナイフで削ったように見えなくもない。

 もしかしたら、マタギ文字かも知れない。
この一帯は和賀山塊の北端にあたり、かつて自由に県境を跨いで狩猟に生きたマタギ達の活躍の場だった。
彼らは、仲間内で通じる独特の文字を持ち、猟の記録や目印を残したという。



 急激に沢が立ち上がってきた。
椀のように抉られた広い谷底には、殆ど水流はないようだ。
もう少しで橋だろうか。
橋を渡った先では、今度は対岸をいまと逆方向に進むはずである。

 そう思って、緑一色の対岸に道を探すが、崖ばかりでそれらしい物が見当たらない。
数ヶ月前、雫石側で道を見失い、谷間に放浪した苦い思い出。
谷は、道迷いの最大の危険地帯である。
慎重に進まねば…。
そう自分に言い聞かす。
2人というのは、慎重さという意味でも非常に心強い。



<1.3km地点>AM 11:36

 スタートから1.3km地点となる桂巣沢渡り。ここまでで1時間15分を経過。
数字にしてみるとかなりゆっくり目のペースではあるが、薮が深くてなかなか距離を稼げなかった。

 結局、無理はせずに谷が自然に上ってくるのを待った明治道。
ここには橋があったに違いないが、残念なことに、その痕跡は石垣の一欠片も残っていなかった。
そんな馬鹿なと思われるかも知れないが、穏やかに見える森もひとたび冬を迎えれば3m近い積雪に覆われ、それらは容赦なく谷を浚って雪解けを迎えるのだ。
その作用を百年近くも受けてきた事を思えばやむを得ないことである。



 失われた橋の前後では、数メートルずつ斜面を上り下りして沢を越えねばならなかった。橋がないのだから当然である。
崩れやすい土の斜面になっており、手掛かりとなるものは柔らかい「アイコ」の茎の他になかった。
アイコ、すなわちミヤマイラクサは秋田では人気の山菜であり、癖が無く食べやすいといわれる。
それが、この谷には見ての通り、一面である。上から下まで、ぜ〜んぶアイコ!

 ただ、このアイコにも困った癖がある。
目では見えないほどの小さな毛のような棘が茎にあって、これに触れるとピリピリと電気が走るように痛いのだ。
この痛みはなかなか侮れないものがあって、慣れないと蜂に刺されたのかと錯覚するほど。
放っておいても腫れるわけでもなく、一時間もするとすっかり解消されるのだが、ときに軍手やズボンの木地を通り越して刺さってくるほどに鋭く細い針なのである。
ただ、こんな沢を歩くならアイコの痛みは避けられぬものでもある。
ましてその茎を頼りに斜面をよじ登るとなればね…。



 あと引くピリピリと引き替えに、桂巣沢の源頭を突破。
対岸からは見えなかった道も、危ういながらしっかりと存在しており、進むにつれよりはっきりと現れてきた。
難所の内一つを終え、次なる展開に期待が満ちる。

 この写真のカーブを曲がっていくと、行く手には、唐突に空が見えた。
あれ? まだまだ峠は遙か遠いはず。


 そこには、衝撃のシーンが!





<1.5km地点>AM 11:47

 巨大切り通し出現!

 前を歩いていた私は、景色を理解した瞬間にはもう小走りで近付いていた。
そして、10mくらい後を歩いているトリ氏がカーブの向こうに現れるのを待った。
自分でも分かる、満面の笑みというヤツだ。

そして、言った。
自分の手柄でも何でもないのだが、言った。

 見れ! と。




それは、まったく忘れ去られた “谷” の光景だった。

ただ切り通しだと言って納得してしまうには惜しいほどの巨大さ。


人々は、人力に頼りこの道を切り開いた。


しかし無情にも、彼らの造作物は地に還りつつある。

ここで働いた人たちの多くとも、もはや会うことさえ出来ない。


彼らが、きっと誇らしく思っただろう景色。


親となる道が死ねば、沿道の風景も悉く消えるという現実。


 写っているトリ氏と比較して、切り通しの大きさを見て欲しい。
隧道も有り得たと思えるほど深く、また長い堀割り。
堅牢そうに見える岩盤はまだ保っているが、落ち葉や土が堆積し、中央部は何メートルも埋もれていた。



 しばし放心状態だった私だが、ここはまだ目的地ではない。

 ややして振り返ると、もうあの荘厳な景色は、穏やかな森に隠されていた。



 最大の感動のあとに待ち受けていたもの。
それは、うんざりする夏藪だった。
そして、現実に引き戻されるような杉林。


 まだまだ序盤、峠は遙かに遠かった。