国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第5回

所在地 秋田県仙北市田沢湖
公開日 2007.5. 4
探索日 2006.9.26

 雲上の稜線を目指せ 明治仙岩峠最大の登り

堀木沢底に道を失う


<2.4km地点>13:36

 我々の眼前に、異質なものが飛び込んできた。
谷を塞ぐ巨大なコンクリートのかたまり。砂防ダムの姿だった。
出来るなら、この山中で出会いたいとは思わなかった。
特に今は、とてもタイミングが悪いと思った。
なぜなら、ここまでなだらかに谷底へ下ってきた道が、いまちょうど橋を架けられるくらいの高さまで降りたところだったのだ。
人跡未踏を期待させた山中で、橋が存在する最後のチャンスがこの場所だった。

 その大きな砂防ダムによって、我々が進むべき道は手ひどく蹂躙されていた。



 その砂防ダム「堀木沢砂防堰堤」は、昭和40年の銘板を身につけていた。
どうやら県発注の治山事業によるもののようだ。
当時はまだこの谷の下流に国道は開通しておらず、むしろこのはるか上流にようやく“空中回廊”こと旧国道が開通したばかりだった。
暮らしから遠く離れた山奥に築かれた砂防ダムは、果たして何を目的としていたのだろう。
一つ思い当たるものとしては、昭和41年に開通した国鉄田沢湖線がある。そのレールはこの谷の下流を橋で跨いでいる。

 なお、もう一点特筆すべき事柄としては、我々が辿っている明治道が正式に“お役ご免”となったのは、旧国道が開通した昭和37年以降であったはずである。それにもかかわらず、40年にはその道を切断するようにして砂防ダムが建造されている。それはすなわち、この明治道は廃止される時点で全くと言っていいほど使われておらず、既に廃道に近かったのではないかとも考えられる。


 道は砂防ダムによって完全に切断されている。
直前の路面の高さよりも堰堤のピークは2〜3mも高く、このために堰堤上部にあっては道の形が全く見られない。
まさにこの場所に橋が架かっていたはずであるが、無念! 橋台さえ土砂の底に隠されてしまったようだ。
この堀木沢の橋梁は、長い仙岩明治道の道中でも最大の構造物と目されていただけに、本当に残念に思った。

 しかし、無念とばかりも言ってられない。
この先の道を見つけ、ゴールを目指さねばならない。
現在地は道中のほぼ中間地点。進むにも引き返すにも、一番自由の効かない場所なのだ。



 これはひどい!

…砂防ダムによって長年堰き止められた土砂は、完全に谷を埋め尽くし、溢れんばかりになっていた。
それは、左上の写真からもよく分かる。
砂防ダムによる生態系が分断されるという話は聞いたことがあるが、これがその実例というわけだ。ひどいな。



 ここに砂防ダムが造られてから約40年を経過しているが、一つの砂防ダムでこれほど地形が変わってしまうのかと驚く。
堰堤から上流に向かって歩くと、殆ど平坦で全く水流のない川砂利の帯が延々と続いていた。
両岸には美しい原生林がそのままに残っており救われるが、それでも本来的でない景観に強い違和感を憶えることは否めない。
堆積した砂利に根元まで埋め尽くされた巨木も多く、枯死が心配される。

 砂防ダムの場合は普通のダムと違って、作ったら作りっぱなし。途中で浚渫したりはしない。
当然のように上流には土砂が限界まで溜まるわけで、こんな風な谷の“砂漠化”(礫漠化?)が進む。



 100mくらい進んだところからは、チョロチョロと流れる小川が表面に現れていたが、さらにもう100mも辿ってようやく、本来の流れが小さな滝として現れた。
腰丈ほどに小さくなった滝は、そう遠くない将来消え去ることだろう。そして砂利の砂漠は更に上流へと進むだろう。
いったいどれほどの砂利が堆積しているのか。
底面の一辺が6mの正三角形で高さ100mの正三角柱を模式的に考え、その容積を求めると約3100立方メートルある。
膨大な量の土砂が谷を埋め尽くしていると思われる。



 谷のあまりの惨状と橋が喪失していたショックから、歩くには至極楽な谷底を遡ってきてしまったが、先へ進む道を探さねば。
堰堤の上流にて左岸稜線へと迫り上がる斜面を見上げたのが右の写真だが、そこはものすごい急斜面となっていてとても道なしで登っていける状態ではない。

 大量の砂利で埋め尽くされた沢筋の何処かから、この尾根の上に続く登り道が始まっているはずなのだ。
いかにもその捜索は難しそうだったが、時間がないのですぐに行動に移った。
もし見つけられなければどうしようかと、どきどきした。



 そして案の定、失われた道の切れ端はなかなか現れなかった。
この谷底に最初に立ってから15分はあっという間に経過し、さらに念入りに矢頭までもう一往復して戻ったときには25分を経過した。
ここで午後2時になった。
流石に私はヤバイと思った。トリ氏もその緊迫感を肌で感じたようである。
私は2時15分まで探しても見つけられなければ引き返すことを提案した。状況はそれほどに逼迫していた。(日没は午後5時頃である)
当てずっぽうで歩いて道に出会えるほどこの山は甘くない。

 祈る気持ちで臨んだ最後の往復。
だがどうしても道は見つけられない。
駄目なのか…。
そう諦めかけたときだった。
頭上遙か高くを渡る高圧線の存在に気がついたのは。
高圧線は複数が谷の上を悠々と跨いでいるのが見えた。
すぐさま地形図に照らし合わせる。



 私は新旧両方の地形図を大切に持ってきていた。
まずは現在の地形図に描かれた高圧鉄塔線の位置から現在地を把握する。
それを注意深く古い地形図上に重ね合わせてみると…。

堰堤のある位置が橋の位置に等しく、橋を渡って道はすぐに九十九折りになる。

という重大なヒントが得られた。
私が小さな滝まで遡ったのは、図中のピンクの小点辺りで、複数見えた電線が位置特定の決め手となった。
また、前回の「見晴台」から見えた尾根上の鉄塔(画像)は青色の小点の位置にあり、道はそこを目指して上ることが分かった。



 ここまで情報が集まれば、あとは是が非でも鉄塔の尾根を目指すぞ!



 谷底からの脱出! …その苦闘 


 14:10

 現在地がほぼ特定できたことは大きな勇気となった。
たとえこの谷底から脱出する本来のルートを見つけられなかったとしても、何処かに尾根まで登れる斜面はあるだろうから、とにかく鉄塔目指して登ることに決めた。
というのも、鉄塔の周囲には必ず管理歩道が存在しているからである。ここまで来たら引き返すよりは断然突破した方が近いのだ。

 堰堤の存在は目を背けたかったからか、その真横の斜面が比較的なだらかであるにも関わらず、そこに道の存在を疑っていなかった。
だが地図というヒントを得たことで、そこを重点的に捜索したのである。




 やった!
  道がある!

 左岸の堰堤上に立つと、目映い緑に覆われた斜面が見渡す限りに続いている景色を見た。
そして、その一様に見える斜面を注意深く観察していくと、斜めに横切るような平場が少なくとも一本以上見えたのである。

 それは、紛れない明治道の続きであった。



 よく見ると堰堤の袂からなだらかに登る道筋が存在していた。
だが、容易に見つからないわけである。
堰堤のあるまさにその場所に橋が架かっていたのであろうが、橋を渡って右岸にとりついた道は一旦堰堤よりも下流の方向へ進路を向け、そこから九十九折りの登りになっていたのだ。
これでは、いくら堰堤よりも上流を探しても見付けられないわけであった。

 写真は堰堤を渡って最初の登りを振り返る。
左奥に堰堤が写っている。また、トリ氏がいる場所は道である。



 危機一髪とはまさにこのことだった。
上流だけ探して諦めていたら、大変な帰路になっていたに違いない。途中で夜になっただろうし。
我々を雲上の稜線へと導く幽かな光明に、なんとかしがみついたのだ!

 九十九折りの道形が明らかに残っている。



 謎のキノコ大量発生に遭遇。
食えるのか? 食えるのか???



 この九十九折りの道は、仙岩峠明治道にあって最大規模の九十九折りであろう。
特に雫石側には随所に九十九折りがあったが、生保内側ではここにある一連のそれが唯一である。
そしてこの九十九折りが稼ぎ出す高低差は150m近くにのぼり、道が沢沿いから尾根上へと大きく転換する、その切れ目なのである。

 そのような重要な九十九折りの道だが、もう使われなくなって半世紀も経ているのであろう。
全体がひどいブッシュと化しており、その勾配以上に我々の体力を奪っていった。



 ものすごい勾配で次の段と結ばれている箇所もあった。
おそらく土砂崩れによる崩壊の結果だろう。
我々はとにかく道を見失わないように、4つの目で四方を見張った。
同じような景色の中を、同じようなカーブが3つ4つと連ねていく。
石垣など発見と呼べるものも特になく、ただただ無風に近い森の中、25度を越える高い気温にもめげず登り続けた。
時々振り返ると、トリ氏がかなり恨めしそうに藪と格闘している姿が見えた。



 沢から離れるにつれ、藪は更にその勢いと深みを増していくのであった。
周囲には、大きく空の見える場所が多いことに気づいた。
道から離れた場所にはブナとおぼしき巨木が多く見られるのに、道の上と来たら頻繁に朽ちた巨木が横たわっていて我々を苛つかせた。
急な斜面に無理矢理九十九折りの道を削り過ぎた結果、斜面が荒れて倒木が増え、さらに植生が藪へと変わってしまったのだろう。
苦しい展開…ただひたすら暑い…。



 背丈を超える深さとなった一面の笹藪。
もはや路面の感触を足で確かめながらともいかず、倒木で躓くことしきり。
時々背伸びをして道がどっちへカーブしているかを観察し、あとは勘に従って地道に地道に登っていくより無かった。
こんなにゆっくりの足取りでは、虻たちの大群に群がられるのにも対処のしようがなかった。



 虻にたかられたチキンレッグ。
ズボンに付いた黒い点は全て虻である。数秒立ち止まっただけでこれだ。
幸い、滅多に刺してはこない。



 したたる汗をぬぐうのも億劫になる。
登っても登っても、狂ったように緑一色の森。
そこに微かな道の名残を見いだして、掻き分けるように進んでいく。

 稜線はまだか!



 遂にトリ氏がふて腐れた!!!

 朽ち木に転げるように座り込むと、間食用の珍味を貪り始めたのである。
山中に珍味の香りが漂う。
私はそれにメロンパンで応酬した。
トリ氏が口に運んでいるボール状の煎餅菓子と、彼女は知らず腰掛けている倒木の裏にビッシリと張り付いているキノコとが異様に似すぎており、目の前でそれを見ていた私は思わず苦しくなった。



 稜線はもう近いはずだ!
ある時、それまでは緑しか見えなかった景色の中に空が割って入ってきた。
そして、さっきまで砂防ダムやら谷間の景色が見えていた場所に、堀木沢の向かいにある尾根が現れた。
あの尾根は一目見ればすぐに分かる。
なぜなら、あまりに痛々しく道が刻まれているから(=旧国道の通称“空中回廊”)。



 6回目のヘアピンカーブを越えたところだったろうか。
突如目の前に道が見えなくなった。
ご覧の通り、広葉樹の低木やらヤマブドウやらの緑に地表が隠されてしまった。
そこで我々は姿勢を低くして進むことに。

 すると…



 みみみみ みっち!

 厚い緑の底には、当時の道形が鮮明に残っていたのである。

心なしか、轍が残っている気さえする。
或いは本当にここは車が通った可能性もあるかも知れない。
もちろん普通の車では無理だが、砂防ダムを建設するときに使われた可能性はある。



 あ! 

  境界標らしき標柱を発見。

もしや鉄塔がかなり近づいているのではないか。
ここまでこういったものは一度も出会わなかった。

私はおもむろに立ち上がり、葉っぱの海から顔を出して上を見た。







よっしゃー!

 出た出た!
  鉄塔だ!

 谷底から脱出だ!




 苦難に満ちた峠路も、遂にファイナルステージへ!