頭上に鉄塔を確認。
あそこまでたどり着ければ、後は鉄塔の管理歩道もあるだろうし、何とかなるだろう。
時間的にもギリギリになっており、もしこれで鉄塔の周囲に全く道がなかったりしたら…。
そう考えてしまうと恐ろしく、はやく道の存在を確認して安心したい一心で、歩幅を増して私は先を急いだ。
だが、私は困ってしまった。
この写真の場所までは確実に道が続いていたのだが、ここから鉄塔までのほんの10mほどの斜面には、全く道が見あたらない。
或いは鉄塔を建設するときに道を埋めてしまったのかとも思われたが、やむなく草むらへと突撃した。
引きちぎり掻きむしってグリーンベルト突破!
草の実を体中に身に付けて辿り着いた鉄塔の下。
そして、そこには望んだものがあった。
鉄塔の土台の奥に、尾根の上へと続く道が(写真右)。
あっ、そういえばトリさんは?!
なんとか尾根に辿り着いた我々だが、かなりへとへとだった。
特に、堰堤からここまでの九十九折りは非常に堪えた。
もう少し早い時間に入山していれば気持ちの余裕もあっただろうが、なれた山と侮ったのが良くなかった。
次第に空模様さえ怪しくなってきたではないか。
写真は我々が登ってきた藪を振り返って撮影。
そこには全く道があったという痕跡は見られず、もし峠側から明治道を辿ろうとした場合、100パーセントここで頓挫したに違いない。
14:51 【現在地】
出発から5時間20分。
やっとここまで来た。
あとはこの尾根を峠の直下まで進み、最後にもうひと登りで“あがり”の筈。
距離的には1km少々だろう。
見えてきたぞ!
前人未踏?の明治道踏破が!
鉄塔の元から堀木沢の向かいの尾根を見渡す。あっちは3系統も鉄塔が通っており、さらにその上を旧国道が、稜線上には最も古い藩政期の秋田街道が通っている。
明治道は孤独である。
(写真左)鉄塔土台より東、すなわち県境側を眺望する。
尾根が見えるが県境となる主稜線ではない。
我々のいる尾根と向こうの尾根は、北へ進むと一つに交わり、そこが目指す「新仙岩峠」である。
(写真右)同地点より南方を俯瞰する。
堀木沢から生保内本谷を経て、遠くは和賀山塊まで見通せた。
14:56
5分ほど休憩した後に、鉄塔の元を離れ北へと続く道へ入る。
この道も明治道には違いはないが、鉄塔の管理歩道として今も使われているようだ。
期待したとおりの展開で、まずは一安心。
久々に藪を掻き分けなくても進めることに、大きな幸せを感じた。
それに、鉄塔のまわりは風通しが良く、涼しい風が常に得られた。
気分は良好である。
道はすぐに稜線から右に外れ、ブナの茂る山腹を緩やかに登りつつ北進を続ける。
道幅は明治道のそのままと思われるが、中ほどに踏み跡が付いている。
徐々に右手に沢が近づいてくる。道も上っているのだが、それ以上のペースで堀内沢の支流が追い上げてきている。
途中、何度か背の低い石垣が残っている場所があった。
この辺りの道の雰囲気は、あの「南八甲田十和田湖連絡道路」によく似ているように思う。
同じ北東北で奥羽山脈のただ中で、しかも廃止後半世紀以上を経ているとあれば、自然似てくるのだろう。
遭難の危機は去ったが、蓄積した疲労度は我々にこまめな休息を強いた。
特にトリ氏は、先の激藪でオヤジスイッチが入ってしまったようだ。
しかしそれでも、これまでに比べたら出来すぎと思えるくらいに良いペースで歩けている。
道はもう廃道ではなく、快適な歩道であった。
やがて前方に県境の稜線。すなわち目指す峠の稜線が見え始める。
この時私は全てがうまくいくと疑わなかった。
だが…。
いよいよ峠の稜線が目前に迫ってきたが、そこで道は突如左へ急旋回。
待ってくれ。
古地図にはこんな動きは無いぞ。
道はいきなりものすごい角度のついた九十九折りとなって、一気に稜線上を目指そうとするかのようだった。
だが、これは明治道ではないような気がする。
あくまでも鉄塔管理路として用意された道なのではないか。
ここまでもかなり急なところはあったが、この登っていく角度はおかしい。
馬車が通っていたとは考えられない勾配だ。
私は、このヘアピンカーブを無視して真っ直ぐ進む道があるのではないかと考えた。
試しに笹藪の中をのぞき込んでみると…。
あった! 道!
危なかった。
地形図を確認していなければ、このまま“なあなあ”で終わってしまうところだった。
そう。本当の明治道はこっちだ。
まだ廃道は残っていた!!
これが峠へ至る最終最後の区間だろう!
15:18 【現在地】
流石にトリ氏は「もう終わりでも良い」と思っていたらしく、再び藪へ突入するのは渋々といった感じだった。
だが、気持ち的にはお互い大分楽である。
何しろ、生還への道筋はもうしっかりと付いている。
この先の明治道に挫折したとしても、少し振り返れば、確実に旧国道へ導いてくれるであろうエスケープルートがあるのだ。
こうなれば後は意地の問題だ。
ここまで来たのだから、明治道で峠に立ちたいではないか!!(と私は思った)
鉄塔の有り難みを、今更ながら痛感することになった。
これはあの九十九折りと何ら変わらないどころか、もっとひどい廃道だ!
明治道の中でも特に荒れていると言っても良い。
峠まで、実質300mほどに迫っているはずなのだが、再び酔歩のごとき歩みとなった。
分岐から100mほど進んだ。
ここまで微かな痕を辿ってやってきたのだが、巨大な擂り鉢の底のような場所で行き止まってしまった。
眼前にそびえるのは、ずいぶん前から木々の隙間にチラチラ見えていた岩盤で、まるで屏風のよう。
仰ぎ見れば灰色の空。
地形図によれば、ここは堀内沢支流の源頭であって、まさに県境の主稜線から直に落ちている。
すなわち、この岩盤さえ登り切れば、そこに旧国道と峠がセットで待っている筈。
だが、明らかに氷河地形を意識させる俎のような岩盤は、とてもとても素人に登り切れる物ではない。
それに、本来の明治道はどこへ消えたというのだ。
命がけの近道をするくらいなら、ちゃんと最後まで明治道を辿りたい!
私は、擂り鉢の底を一面覆い尽くした夏草の湖の対岸に、ここから見えはしないが、きっと道が隠されていると読んだ。
それは半ば祈りのような気持ちでもあったが、もう行って確かめるしかない!
だが、ここで大切な仲間を一人失うことになった。
トリ氏、 沈 黙。
彼女とは旧国道筋で合流することにした。
動けないわけではない。ただ動きたくなくなっているだけなので大丈夫。
藪道でないところならば、彼女はまだまだ動ける。(と本人が申しておりました)
遂にここで別行動となって、私は単身“湖”へ。 アップ…アプ
“対岸”へ辿り着く。
それはまさに草の海を「泳ぐ」という表現がぴったりな感じだった。
あまりに夏草が元気で、体重を乗せても地面までちゃんと足が着かないのだ。
それで、なんだかフワフワといった感じになる。
もちろん気持ちよくなんて無い。肌触りはゴワゴワだし、汗だくの体の至る所に小さな切り傷が出来て痛いのなんの。
源頭を振り返る。
さっき登ろうかと思った岩肌が右の方に見えていて、その上の稜線に沿って見える崖は旧国道の法面である。
いつの間にかこんなに近づいていた。
私がここまで登ったことを見届けて、トリ氏が一人引き返していく。
道はあった。
確かに道はある気がする。
写真ではもう判別不可能に近いのだが、浅い掘り割り道が緩やかに登っていくのを感じる。
うがぁ!
もう、前が見えやがらねぇ!
こうなったらもう頭から突っ込むっきゃない。
人間藪魚雷だ!
古タイヤ発見。
しかし、この道を通った車の物ではないだろう。
これはきっと、現道から捨てられてここに辿り着いたのだと思う。
遂に分からなくなった!!
道ロストー!(涙)
しかし、引き返すことももう出来ない。
前方には藪と空しか見えなくなっている。
私は確信した。
峠はソコだ!!
イテテ イテテテ
イテ-
イテ イテえよー!
耳!
イテ そこ耳穴!
イテ、そこ目ダヨー。
ウガーーッ!
鉄塔だ!
そして、あの鉄塔こそは見覚えのある鉄塔。
峠の鉄塔だ!!
遂に来たー!
最後は、灌木の茂る丘を強引に登る!
足がビチンビチン打たれてメチャメチャ痛い。
15:56 【現在地】
ざしゃー!
峠に辿り着きました。
峠の茶屋から約6kmほどに6時間20分も掛かった。
まったく、なんてしんどい道だったんだ。
峠はえらい静か。
だって、気づけば誰もいない。トリ氏はちゃんと旧道に出られているだろうか。
もう午後4時近い。日は隠れているが、きっと夕暮れなのだろう。
峠に辿り着いたとはいえ、終わったという感慨がひとしきりあった他はこれといって…。
だって… 何度も来た峠だから…。
なお、この場所より雫石側の明治道については、不完全ながらも踏破済なので此方のレポをご覧頂きたい。
帰り始める前に、今来た道を振り返っておこう。
もう、二度と辿ることなんて無いだろうから。
振り返ったところで、なにも道なんて無い訳だけれど。(悲しい)
この写真の草むらを斜めに横断して登ってきました。道がどこだか分からないまま…。
3分後。
さてと…。
胸の動悸も収まったし、帰るか。
車の待つ峠の茶屋までは、旧国道を7km以上も歩かねばならない。
楽な方法なんて無いのだ。ここまで来てしまったら。
トボトボと旧国道を下り始める。
間もなく、道を反対側から上ってくるトリ氏と合流。
良かった。無事だった。
トリ氏にも峠に立ちたいかを問うたが、「何度も行っている場所ならイイ」とのことだったので、連れだってそのまま下山する。
結局、トリ氏が歩いた管理歩道の残りもなかなかに厳しい道だったらしく、時間が掛かったようだ。
旧国道との合流地点は、予想したとおりの所だった。(この写真の広場である)
空中回廊だ。
何度見てもすごい道だが、今日はここを歩いて帰る。
……遠いな…。
初めてこの旧道へ来た頃は、峠側からなら車で下まで降りることが出来た(ゲートがあって通り抜けは出来なかったが)。
しかし、数年前に遂に致命的な崩壊が起きて、今では二輪が精一杯。
また、旧道の岩手県側にも去年頑丈なゲートが出来てしまい、新仙岩峠も遠い場所になりつつある。
旧国道も着実に明治道の後を追っている…。
空中回廊付近から堀内沢をのぞき込めば、我々にとって希望の灯台となったアノ鉄塔がよく見えた。
今までは意識しない景色だったが、また一つこの山に愛着が深まった。
疲れた足を無心で動かし、二人は黙々と下っていった。
いよいよ辺りは暗くなってきた。
旧国道の中間地点、湖山望だ。
今の峠の茶屋も、以前はこの場所で小さな店を開いていた。
今年も建物は残っていたが、いよいよ谷へ向けて崩れ落ちそうに見える。
変わらないのは、ここから見る田沢湖のすばらしい眺めだけだ。
ぽつぽつと明かりがつき始めた生保内(おぼない)の町。
この町にしたって、最初に来たところは新幹線の駅もなければ、バイパスも通ってなかったと思う。
その割にあまり変わったように見えないのは田舎だからか。
そういえば、町の名前さえ変わってしまった。
今では「仙北市」田沢湖生保内だ。
旧道も、湖山望までは景色が次々移り変わって良いのだが、その先はひたすら九十九折りを重ねるばかりでやや単調となる。
途中、なぜかスパイダーマンの“キン消し”(いや、“スパ消し“と呼ぶべき?)が落ちていて、そいつと戯れながら下った。
午後5時45分。
我々は無事に「通行止」ゲート。すなわち出発地の峠の茶屋へと辿り着いた。
下りとはいえ、明治道よりも長い距離を歩くのに2時間も掛からなかった。
残念な所もあったが(橋が砂防ダムで無くなっていたのが一番残念)、ともかく誰も歩いてなさそうな仙岩峠を踏破した。
その喜びは、後からじんわりとやってきたのであった。
トリ氏も喜んでくれたようで、何よりだった。
おつかれさまでした。
最後に、分かりにくい二つの仙岩峠の関係についてまとめてから、このレポートを終えたい。
今回我々が目指したのは仙岩峠は仙岩峠でも、昭和37年に旧国道が通ったことで新しく仙岩峠と呼ばれるようになった場所である。ここを便宜的に「新仙岩峠」とよぶ向きもあるようなので、私もそれに倣った。