国道291号清水峠

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 この攻略区の終点としていた「柄沢尾根」まではあと1kmほど。
1kmとは言っても、廃道の1kmは最低でも2割り増し以上の距離になる。
なぜならば、路上を中心線に沿って真っ直ぐ歩くなどと言うことは有り得ないからだ。
路上を完全に制圧した植物の群れの少しでも浅いところを、路幅の中から常に選んで進む必要がある。 (本文より)

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 全身を使って倒木を跨いだり潜ったりするのも、100mに一度どころではない。
それこそ、10m進むのに1分を要する様な展開も珍しくなかった。
そして徐々に、時間あたりの撮影枚数は減ってくる。
また、ある程度道が鮮明なところ以外では写真を撮ることも止めてしまった。 (本文より)

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 !!!

ちょっ! 
  足元全部石垣だー!   

(本文より)

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 道路における石垣は、もとは江戸時代の築城技術から育ってきたものだと思うが、江戸時代の道(いわゆる街道)に石垣があまり見られないのは、当時の山道にさしたる路幅が必要とされなかったということなのだろう。
それが、明治に入って世の中が変わり、少なくとも政府は旧制を一新しようと躍起になって、藩政時代には山岳道路としては考えられなかったような幅の広い道を、馬車の通行を根拠として建造するようになった。
鉱山技術を元にした削岩や、築城技術を元にした石垣築造などが、古来からの道というものに新しいカタチを与えたのだ。
それは、歴史家や土木研究者、それに廃道マニアの間で知られる、「明治道」の姿である。

 そんな明治道の中でも、おそらくこの清水国道ほどに豪壮(広幅員×長大)で、かつ荒廃した道も無いだろう。

 なんといっても、120年。
120年の、廃道としての歴史を有するのだ。
それこそ、開通式以後にこの道を通った人なんて、合わせても1000人くらいしか居ないのかも知れないのだ。  (本文より)

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