ここは、檜倉沢の三本目の枝沢だった。
そこに… 他の荒廃を思えば奇跡的といってもいいだろう。
この沢に限って120年の間、大きな出水に見舞われることがなかったらしい。
高さ1mほどの橋台が、2mほどの沢を挟んで向かい合って形を留めていた。
これは石垣に次ぐ、清水国道で二つめの道路工作物の発見であった。
そこ、ショボイとか言うな! 俺が泣くぞ… (本文より)
…我々のこの訪問。
最後の炭焼き人が山を下りてから、余りに時間をおきすぎてしまったようだ。
せっかく彼らの踏み固めた仕事道も、いまや所々に苔生した窯跡を残すだけとなっていた。
法面の岩場から、沢山の水がわき出していた。
あたりの路面は湿地のようになり、水辺の植物が多く生えていた。
きっと見る人が見れば山菜の宝庫だと思う。
そういえばこの近くで、新芽が山菜の王様のように持てはやされるタラの木が、背丈の何倍もあるような木に育っていた。
もう何十年も摘まれていないのだろう。
獰猛な山菜採りにさえ、清水国道は見捨てられていた。 (本文より)
14:52
第四の九十九折りに到達した。
まず現れたのは、奇妙な位置にある石垣だった。
道に面しているが接してはおらず、路面より3mほど上部の斜面に、道と平行になるように、数十メートルの長さで築かれていた。
別に上段の道の路肩というわけでもない。
もはや登って確かめる気力もなかったのだろう。
申し訳ないが写真もこれっきりである。
…ほんと、申し訳ない…。
とりあえず、山腹の改良工事跡だとだということにしておこう。 (本文より)