2007/4/10 8:23
これから、この県道513号の起点となっている下畑へ行ってみる。
手持ちの複数の地図はどれも、下畑集落内の“あるT字路”から県道の色分けを始めている。
また、この道を維持管理している大月市のHPによっても、起点はやはりその場所で間違いなさそうである。
猿橋側から当の県道を辿ってきても良いのだが、この日は国道20号より下畑橋を渡るルートでアプローチした。
国道20号「甲州街道」は山梨県を東西に縦貫する最重要幹線道路で、中央自動車道に平行はしているが一年を通じて通行量は多い。
そこにある下畑への分かれ道は、信号はおろか右左折帯などもなく、交差点として認知されているかもはなはだ怪しいような有様だ。
写真は甲府方から東京方を見ているが、右に分かれるのが下畑への道だ。
大月市道となっている道へ入ると、すぐに「2トン」というかなり厳しい重量制限の標識が現れる。
この先に重量制限を予感させるものとしては、桂川を渡る下畑橋しか無い。
しかし、桂川はかなり大きな谷であって、そんな危なっかしいような橋が渡れるように思えない。
果たしてどんな橋が待ち受けているのか。楽しみではないか。
ざ、残念…。
橋は、すっかりと新しくなっていた。
親柱に埋め込まれた銘板によれば、竣工は平成15年とあるから本当に最近だ。
重量制限の標識は取り残されてしまったのだろう。
しかし、写真を見てもお分かりの通り、かなり巨大な橋である。
前後の道はそっくり未改良のままであるから、旧橋もこれとほぼ同じ長さと高さがあったと考えられる。
それで2トン制限とは… 吊り橋だったのだろうか? 渡ってみたかった…。
2車線分の幅があるのは橋だけで、渡ってしまうと突然軽トラサイズの道となる。
しかも、結構な急勾配で県道の起点が潜むという下畑集落へと上っていく。
桂川の河岸段丘上に多くの集落は立地している。
なんだこの桜は。
ソフトクリームのミックスみたいで美味しそうだ。 ジュルッ
道なりに暫く走っていくと、前方に小さな十字路が見えてきた。
地図ではT字路のように描かれていたが、実際には真っ直ぐに行く小道もあるので十字路である。
そう。ここが地図にある県道梁川猿橋線の起点の交差点である。
右の道から、路肩を示す白線がこちらへ曲がってきて間もなく途切れているのが見える。
県道である右の道には白線が敷かれているのか。
果たしてどんな県道なのか。
狭い!
もの凄く狭い道だが、「ここからは県道だぞ」とでも言いたげに真新しい舗装と白線に身を包んでいる。
残念ながら、県道の起点を示すような標柱なり標示は見つけられなかった。
この写真の方向には狭いながらもちゃんと猿橋まで道は通じており、距離は約4.5kmである。
今回のテーマはこの後側。
果たして本当にここがこの道の真の起点なのかどうかということである。
振り返ってみた。
左の小道から私は来たのである。
地図にもあるとおり、道は真っ直ぐにも続いている。
しかし、これは梁川まで繋がって描かれてはいない。
古い地図ではその限りではないのだが…。
この交差点には何ら県道の起点を示すモノを発見できなかったので、梁川へ向けて直進してみることにした。
この先に県道の証を何か一つでも見つければ大発見なのだが…。
ん?
意外なことに道はしっかりしているじゃないか。
ひび割れのある古い舗装だが、それなりに車通りもあるように見える。
このまま梁川まで続いていたりして…?
それに… あれは石碑群だ。
それぞれが別々の石匠の手によるものと想像される様々な石碑石仏が、道ばたの少し高い日なたに並んでいた。
その中にはずばり「道祖神」と刻印された石塔もあり、ここが古い道であったことを雄弁に語っている。
様々な石碑の中でも地蔵や道祖神の碑というのは村の出入り口に置かれる事が多かった。
村へ悪しきものが(賊や疫病など)立ち入ることを防ごうという信仰の表れであり、逆に言えば、ここが下畑集落と外を繋ぐ重要な道であったことを示しているのだ。
何気ない石碑ではあるが、この時点で古い地図の通り、道が通じていたことは決定的となった!
後は現在通れるのかどうかと言うことだ。
間もなく集落は途絶え、桂川の名も無き支谷が深く削り取った沢へと降りる。
そして小さな橋を跨ぎ、少し上ったところで道は急な上りとなって、舗装は途絶えた。
さらに道に平行に立つ鳥居が現れた。
神社がある。
道を挟んで鳥居の反対側には、今は使われていないような公民館の建物と朽ちかけたブランコやシーソーが置かれている。
村はずれの公園であった。