第119回 山梨県道513号 梁川猿橋線 前編

所在地 山梨県大月市
公開日 2007.4.30
探索日 2007.4.10

 本線は極めてマイナーな道である。
山梨県道513号梁川猿橋線は全長4542mの一般県道であり、地図とその延長と照らし合わせてみる限り既に全線が供用されているようである。地図によっては途中をかなり細い線で描いているものの、国道20号と桂川を挟んで平行するそのルートは、バスも通る生活道路のようだ。

 次の地図をご覧頂きたい。


 だが、私はこの路線はまだ、本懐を遂げていないと考える。
本当は、梁川駅付近まで伸びたいのではないか?
その根拠はずばり、路線名に対し今の県道は中途半端に感じられるという点に第一を置く。
また、地図に描かれた終点の状況も、私の目にはどこか不自然に感じられる。
さらに、古い地形図にのみ描かれた、「その先の道」の存在も重要な根拠である。

 ただし、これはあくまでも私の妄想である。
現在の起点は下畑という場所にあるのだが、ここは大字で見るとギリギリ大月市梁川町に掛かっている。本当にギリギリだが。
よって、路線名「梁川猿橋線」は、現状でも矛盾していない。

 そう。
私の推測は、あくまでも推測。
しかし、昭和30年代の地形図には確かに、地図中の赤い点線のような道が存在しているのである。
これは、果たしてかつて存在していた県道が廃道となったものなのか。
或いは、全くの勘違いなのか。

 その謎を解くには現地調査が一番だ。


起点の真贋を問う

山梨県大月市梁川町下畑  地図上の県道起点


2007/4/10 8:23

 これから、この県道513号の起点となっている下畑へ行ってみる。
手持ちの複数の地図はどれも、下畑集落内の“あるT字路”から県道の色分けを始めている。
また、この道を維持管理している大月市のHPによっても、起点はやはりその場所で間違いなさそうである。

 猿橋側から当の県道を辿ってきても良いのだが、この日は国道20号より下畑橋を渡るルートでアプローチした。



 国道20号「甲州街道」は山梨県を東西に縦貫する最重要幹線道路で、中央自動車道に平行はしているが一年を通じて通行量は多い。
そこにある下畑への分かれ道は、信号はおろか右左折帯などもなく、交差点として認知されているかもはなはだ怪しいような有様だ。
写真は甲府方から東京方を見ているが、右に分かれるのが下畑への道だ。

 大月市道となっている道へ入ると、すぐに「2トン」というかなり厳しい重量制限の標識が現れる。
この先に重量制限を予感させるものとしては、桂川を渡る下畑橋しか無い。
しかし、桂川はかなり大きな谷であって、そんな危なっかしいような橋が渡れるように思えない。
果たしてどんな橋が待ち受けているのか。楽しみではないか。



 ざ、残念…。

橋は、すっかりと新しくなっていた。
親柱に埋め込まれた銘板によれば、竣工は平成15年とあるから本当に最近だ。
重量制限の標識は取り残されてしまったのだろう。

 しかし、写真を見てもお分かりの通り、かなり巨大な橋である。
前後の道はそっくり未改良のままであるから、旧橋もこれとほぼ同じ長さと高さがあったと考えられる。
それで2トン制限とは… 吊り橋だったのだろうか? 渡ってみたかった…。



 2車線分の幅があるのは橋だけで、渡ってしまうと突然軽トラサイズの道となる。
しかも、結構な急勾配で県道の起点が潜むという下畑集落へと上っていく。
桂川の河岸段丘上に多くの集落は立地している。



 なんだこの桜は。
ソフトクリームのミックスみたいで美味しそうだ。 ジュルッ



 道なりに暫く走っていくと、前方に小さな十字路が見えてきた。
地図ではT字路のように描かれていたが、実際には真っ直ぐに行く小道もあるので十字路である。
そう。ここが地図にある県道梁川猿橋線の起点の交差点である。

 右の道から、路肩を示す白線がこちらへ曲がってきて間もなく途切れているのが見える。
県道である右の道には白線が敷かれているのか。
果たしてどんな県道なのか。



 狭い!


 もの凄く狭い道だが、「ここからは県道だぞ」とでも言いたげに真新しい舗装と白線に身を包んでいる。
残念ながら、県道の起点を示すような標柱なり標示は見つけられなかった。
この写真の方向には狭いながらもちゃんと猿橋まで道は通じており、距離は約4.5kmである。

 今回のテーマはこの後側。
果たして本当にここがこの道の真の起点なのかどうかということである。



 振り返ってみた。
左の小道から私は来たのである。

地図にもあるとおり、道は真っ直ぐにも続いている。
しかし、これは梁川まで繋がって描かれてはいない。
古い地図ではその限りではないのだが…。

この交差点には何ら県道の起点を示すモノを発見できなかったので、梁川へ向けて直進してみることにした。
この先に県道の証を何か一つでも見つければ大発見なのだが…。



 ん?
意外なことに道はしっかりしているじゃないか。
ひび割れのある古い舗装だが、それなりに車通りもあるように見える。
このまま梁川まで続いていたりして…?

 それに…  あれは石碑群だ。



 それぞれが別々の石匠の手によるものと想像される様々な石碑石仏が、道ばたの少し高い日なたに並んでいた。
その中にはずばり「道祖神」と刻印された石塔もあり、ここが古い道であったことを雄弁に語っている。
様々な石碑の中でも地蔵や道祖神の碑というのは村の出入り口に置かれる事が多かった。
村へ悪しきものが(賊や疫病など)立ち入ることを防ごうという信仰の表れであり、逆に言えば、ここが下畑集落と外を繋ぐ重要な道であったことを示しているのだ。

 何気ない石碑ではあるが、この時点で古い地図の通り、道が通じていたことは決定的となった!
後は現在通れるのかどうかと言うことだ。



 間もなく集落は途絶え、桂川の名も無き支谷が深く削り取った沢へと降りる。
そして小さな橋を跨ぎ、少し上ったところで道は急な上りとなって、舗装は途絶えた。
さらに道に平行に立つ鳥居が現れた。
神社がある。
道を挟んで鳥居の反対側には、今は使われていないような公民館の建物と朽ちかけたブランコやシーソーが置かれている。
村はずれの公園であった。



 公園の先にはもう道はなかった。
いや、まだ踏み分け程度はありそうな気もしたが、ある訳があって、これ以上進む必要はなかった。
ともかく、まともな車が通れるような県道が通じていないということは分かった。

 あとは、梁川側の状況を確認することである。
この下畑側はこれ以上追求せず、以上で引き返した。
ここは、とてもうら寂しい場所だった。



 県道起点とされている交差点へ戻った。
廃道出現が決定している梁川側のレポートを開始する前に、県道の終点である猿橋まで走ってみたので、この間を先に駆け足でレポートしたい。
敢えて取り上げるほどに特別な何かはないのだが、古いものが随所に残る情致十分な道であった。




下畑〜猿橋まで 駆け足でレポ


 8:32

 下畑の集落を出た道は、緩やかな河岸段丘上の畑地を進む。
左手には、道志村との境を成す手の届きそうになだらかな山並みが、右手桂川対岸には、鳥沢地区の家並みや国道、それに赤い橋梁が所々に目立つ中央自動車道が幅を利かせている。しかしその背景は雄大な奥多摩の山々だ。
また正面には、青く聳える笹子峠の山脈が視界を劃している。  



 暫く行くと、道は丘陵から桂川の崖縁へと降下し、深い支谷を渡る。
ここに掛かる赤い欄干の橋は新下畑橋というが、沢の名前が変わっており「やんぼろ沢」という事を銘板から知れる。
これより同じ大月市でも大字が梁川町から猿橋町に変わる。
橋の向かいの袂はT字路となっており、右には別の大きな広い橋が架かっている。
これは桂川本流を跨ぎ国道20号と直結する虹吹橋である。



 県道の線形は、いま私が来た正規のルートではなく、虹吹橋のほうへと自然に誘導するような形になっている。
下畑集落の起点は二重に隠蔽されているような気がする。被害妄想か?

再び丘陵上へと上り始めた道の途中に、道中唯一の県道標識が建っている。
現在の所、これ一本だけである。



 猿橋町小篠の集落に入る。
立地は下畑にそっくりだが、こちらには既に県道のバイパスが開通しており、あのような狭い道はもう無い。
この写真の場所は新旧道の分岐地点であり、左が旧道である。
距離的にはどちらを行ってもあまり変わらない。



 長閑な家並みを過ぎると再び畑の中の道となる。
数年前に旧道となったばかりの道だが、ここもかなりの狭さだ。
前方には、またも沢山の石碑が現れた。
そしてここにも「道祖神」と彫られた石碑があった。



 石碑群の背後の河岸段丘の縁に独り聳え立つ巨木。
根元に案内板があり、大月市の指定文化財となっている「イトヒバ」の巨樹と分かる。
イトヒバとしては県下随一の巨木とのことだが、私はこの木を初めて見た。
また、石碑群と関連して、ここには古くは寺院があったのではないかと案内板には記されている。
少なくとも、対岸の大道「甲州街道」の存在ゆえ忘れられがちな南岸にも古くから大勢の歩いた道が存在していたことだけは間違いがなさそうだ。




 驚くほどに狭い旧県道。
流石にここはバスの通らない区間だったが、普通乗用車でもギリギリだ。
奥の方には出来たばかりの立派なバイパス道が見えている。



 旧道は小さな支谷を跨ぐのにもいちいち九十九折りの真似事をしたりする。
いまでは付近の畑の持ち主くらいしか通る人もないようだ。



 上の写真の直後に新旧道は一時的に接する。
そして10メートルも行かず再び分かれるのであるが、残念ながら新道の方はここで打ち止めである。
この猿橋町藤崎から先、終点の国道20号交差点まで残り2.5kmほどについてまだ殆どが1車線だが、将来的には全面2車線化するのであろう。
しかし、それがいつになるかは皆目見当が付かない。



 形の良い山を前にスパッと途絶えるバイパス。
旧道は左手の山裾を丁寧に上り下りして先へ続いている。
また、この集落内からは猿橋までバスの便があり、狭い道を器用に走る濃い緑のバスの姿は特定のファンを有するようだ。



 そこから大分端折って、写真は終点間近の猿橋町四季の丘界隈。
幾らか笹子の嶺が近づいてきたのが感じられよう。

そして、目立たない終点。




 次回、 廃道出現に備えよ!