2007/4/10 6:20
今回は「後編」であるが、時系列的には「前編」よりも前に位置している。予めご了承いただきたい。
自宅最寄りの駅を始発する西行きの中央本線に乗って40分少々で、いとも容易く山梨県大月市の梁川駅に到着した。山小屋風の小さな無人駅でさえSuica対応の改札があるのに驚く。
駅の真ん前には、狭い道幅いっぱいに大型車が唸りを上げる国道20号「甲州街道」が通っているが、駅前に目立った商店も家並みもない。
自転車を組み立て、午前6時20分、この日の探索を開始した。
まずは駅前にある大きな橋で桂川の対岸へ渡る。
この橋の名は梁川大橋という。
もし将来、県道が本当に梁川駅前まで延長されてくれば晴れて県道に昇格するのだろう。
現状でも、昭和62年に開通したばかりとあって十分に立派な橋である。
現橋のすぐ上流に旧橋の主塔が二本とも残されている。
コンクリート製の巨大な主塔だが、現橋から見ればその頂部でさえ欄干の下である。
今では廃道となっている旧橋前後の取り付け道は、桂川の切り立った崖を転げ落ちるような道である。
その様子は橋の上からつぶさに観察することが出来る。
橋を渡ると梁川駅前にはなかった家並みが見られた。
どうやらあの駅を主に利用しているのは、川の対岸にあるこの月尾根地区の人々らしい。
このまま足元の舗装路を辿っていたのでは、目指す道へ進めない。
集落の中程にある、この写真の(なんの変哲もない)分かれ道へ入らねばならない。
当然すんなり行ったわけではなく、少し彷徨った末に辿り着いた。
…早くもこの段階で気付いてしまった。
どうやら、ここは県道ではなさそうだ。(…全て私の妄想だったのね…)
いくら何でも、余りに何もなさ過ぎる。
「これが県道だ」とかぶち上げたいが、嘘は良くない。
出発早々にして、この道を進む理由が無くなってしまったような気もしたが、まあ良い。
不通県道というネタにはならなくても、昭和30年代の地形図には記載されていた道が現在の地図で跡形もなくなっていることの調査といえば、全然“アリ”なのだ。
それに、数時間後には、この大分先の沿道にて沢山の古碑を見ることになる。
モータリゼーション以前の“大道”が、この辺りにあったのだ。
有名な甲州街道ではない、何かが。
駅から5分。だいたい700mほど進んだところで、道は桂川に突き当たってぶっつりと終わってしまった。
終点は袋のように広がっており、「車の転回場所につき終日駐車禁止」という掲示がある。
峡谷に立ち籠めていた朝霧が朝日に透かされ散り散りになった、その名残のような小さな白い塊が目の前に浮かんでいる。
それは、何か不思議な景色だった。
最早にして道は怪しい。怪しすぎるくらい怪しい。
行き止まりから左右に、畦道が分かれていた。
その先には鉄塔が見える。
しかし、鉄塔より先ではいよいよ川が山に接しており、そこにこれ以上まともな道を期待するのはどうかと思う。
観念したい気持ちになった。
まだ今なら諦めて引き返すのも容易だし、気持ちのハードルも低い。
しかし、一度足を踏み込んでしまえばなかなか引き返さないことを、私は知っている。
少しだけ…
いつも、その粘りが私を困難へと誘うのだ。
今回も、全く同じパターンだった。
鉄塔の下まで来た畦道は、そのまま谷へと下っていく細道となった。
畑の周囲を取り囲むようにして設置されている電柵(害獣から農作物を守るための通電した柵。数ボルト〜数万ボルトまである)が道の入り口を邪魔している。
解除の仕方も分からないので、チャリを担いで乗り越えた。
感電したことはないが、どの程度の電圧が流れているか分からず怖い。