「廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡」は秀作ですね!
久し振りに読みながらワクワク・ドキドキしいます!
ただ一つ疑問があります。
川床に人一人が歩くのがやっとと言うようなV字谷に
どのような路盤を、どのように築いたのでしょうか?
皆さんは川床に残された「橋脚孔」にどのような橋脚を立て
路盤を維持したと想像しますか?
特に「第10回」にある隧道先にある滝などは
どのように越えたのでしょうか?まるで高架橋ですよね。
正直、私には想像することが出来ません。
「第6回」にあるように(1枚の画像から隧道を疑った)
この掲示板の読者の皆さんのレベルの高さ疑いようがありません。
そこで皆さんにお願いがあります。
どのような木造桟橋を、どのような橋脚を立て路盤を保持したを
予想・想像で構いませんので「図解」で解説していただけないでしょうか?
「第3回」の後半でヨッキさんが予想した路盤の姿の現実的なヤツです。
いろいろな意見があると思います。
皆さんで自分の意見を出し合いませんか?
また、古写真等で参考になりそうな画像をお持ちの方は
公開していただければ幸せです。