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長野電鉄河東線は千曲市の屋代駅から飯山市の木島駅までつないでいた鉄道です。1922年に開業し、2002年に信州中野駅から木島駅までが廃線。残る屋代駅から須坂駅までも屋代線という名称に変更されましたが2012年に廃線になりました。現在は一部が道路などに転用されていますが、線路の跡が確認できます。須坂駅から信州中野駅までは長野線の一部になり現役の路線です。 |
全然回答になっていなくて申し訳ないですが、具体的ルートが検討されていたとは知りませんでしたのでちょこっと調べてみました。 |
河東鉄道は長野電鉄より前にありました。神津藤平という人物を調べるとわかります。河東鉄道自体は、志賀高原までの観光需要(特にスキー)を主な目的として建設されました。志賀高原という名称を付けたのも神津藤平です。 |
歴史的経緯を独断と偏見に基づきざっくり書かせてもらいますと... 大正期、河東鉄道は飯山鉄道と十日町(上越線に接続)までの延伸を事実上「争って」いました。最終的には飯山鉄道が信越電力(現東電)から発電設備の資材運搬を担うという形で資金援助を得て「勝利」しました。発電設備には、ちょうどヨッキさんのレポートにある中津川発電所や、西大滝、信濃川発電所などがあります(後2者の工事用軌道もあったそうです)。 |
>しかしこれだけ発電所建設に貢献しているのに飯山線自体は電化されていないという。電気は東電さんが首都圏に送っちゃうからかな? なんて。 |
なるほど、端的に言えば「弱小路線」ということですかね。 |
> なるほど、端的に言えば「弱小路線」ということですかね。 |
どうも参考になります。鉄道趣味の人の意見は面白いですね。 |
しばらく見ないうちに情報がこんなに・・・。 |
延伸区間の終点は、飯山菜の花公園の下段を走っていたようです。 |
先日、何気なく今昔マップon the webさんの関東1928〜1945の木島平付近を見ていましたら、その先に集落(平塚、中村、戸那子)では見えなくなりますが、その先野沢温泉の手前、中尾というところまで、道床のような実線が続いているように見えるのですが。 |
どうなんでしょうねえ。 |