和歌山県の広報紙「県民の友」に、現・天田橋が開通したときの記事が載っていました。既にコメントで他の方のご指摘がありますように、昭和28年の大水害が契機となっています。5年も前のミニレポに対して今更と思われるかもしれませんが、仮設橋の写真もありますのでご参考いただければ幸いです。(当該レポのコメント欄に書こうとしたところ、思いのほか長文になったので掲示板にて失礼いたします)(1)昭和28年8月15日号 P.4http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s28_29/pdf/s280815.pdf『問題は道路の復旧 =その見とうしは=』▲国道和歌山ー松坂街道日高川天田橋と塩屋橋の開通は九月二十日ごろになるので、自動車の通行はそれまで不能である(2)昭和28年9月15日号 P.2http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s28_29/pdf/s280915.pdf『開通した天田橋』▲天田橋▼九月七日に仮橋完成、荷重四屯まで通行できる。【中略】(写真は開通した天田橋)(3)昭和30年1月1日号 P.9(日高・御坊版P.4)http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s300101.pdf『取りはずし自由な組立式の天田仮橋』七・一八水害で流失した天田橋は、紀北と紀南を結ぶ幹線道路和歌山ー松阪線(旧国道四十一号線)の一部であり、交通量が多いので応急復旧の木製仮橋ではすぐ駄目になつて、非常に不便を感じていましたが、本工事完成までの仮橋としてベイリー式KSK組立式構桁が採用され十月二十五日からお目みえしました。(4)昭和30年12月1日号 P.1http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s301201.pdf『本県縦貫の要衝 =天田橋堂々完成=』一昨年の七・一八水害で流失した国道和歌山ー松阪線の天田橋は、【中略】去る十一月二十一日、めでたく渡り初め式が挙行された。【中略】天田橋は流失後いちはやく木造の仮橋を架設したが、昨年六月三十日の豪雨でまたまた流失、その後はベイリー式KSK組立式構桁を使用していた。(1)の「塩屋橋」とは何か、となるのですが、昭和橋周辺の地名が御坊市塩屋町であること、また他に日高川を渡る箇所はないことから、旧昭和橋の通称だった可能性があります。時系列で並べると以下の通りで、凸凹の旧昭和橋は2年ほど現役国道として使われたものと思われます。■昭和28年7月18日 水害で旧天田橋と旧昭和橋(塩屋橋)が一部損壊。国道が不通になる。(1)■昭和28年9月7日 国道暫定復旧。天田橋は木造仮設橋を新設、昭和橋は従来より狭い幅で再建。(2)■昭和29年6月30日 水害で天田仮設橋が流失する。■昭和29年10月25日 ベイリー式KSK組立式構桁の天田仮設橋(2代目)が完成。(3)■昭和30年11月21日 新天田橋(と新昭和橋)が開通、国道が新ルートに切り替えられる。(4)余談ですが、この「県民の友」は昭和22年から現在まで70年分以上のバックナンバーを全てPDFで公開というなんとも太っ腹なサービスをしています。交通インフラの整備が県として喫緊の課題だったゆえか、幹線道路の建設や開通に関する記事も少なくなく、廃道界では有名な池田隧道の写真付き記事もありました。(昭和30年10月1日号 P.3)http://www.big-u.jp/prefg/000200/kenmin/s30_35/pdf/s301001.pdf