とうとう、千葉の外房エリア攻略ですか。待ってました。表題が国道128号のところ129号になってます。表示されなくてもかまいませんが、訂正のほどお願いいたします。
いやいやいやいやヨッキさん。驚きましたね 50年以上も前のおせんころがしを舞台とした大事件 よくご存知で このように廃道や旧道にまつわる歴史上の事件や事故を紐解くのも興味がわくと思います。尚、死刑となった犯人栗田源蔵は私と同郷の秋田県人です。これには不名誉な事で残念です。
ボクも先日行ってきました。もしかして、この先慰霊塔のある崖を行ったんでしょうか?第2回がたのしみです。
いつも楽しく読ませていただいております。現道開通まで拡幅もされずに残っていた小湊隧道ならびにその前後の道ですが(大沢あたりの隧道も)、さすがに高度経済成長以降の自動車交通に対応し切れなかったのか、昭和45年1月発行の「ミリオン・デラックス 詳密関東道路地図帖」によると、128号線小湊−行川アイランド間が勝浦方向への一方通行、興津から植野、西原を経由して小湊へ下りるルートが鴨川方向への一方通行という運用がされていたようです。つまり、小湊の卵型のアーチ橋をくぐる小道が鴨川方面への国道代用ルートとして使われていたということになります(橋として描かれていますが、これは恐らく地図の誤りでしょう)。興津−行川アイランド間はちょうど、いろは坂の中禅寺湖−明智平間と同様に対面通行だったようですね。スキャンした画像を添付しますので、参考にしていただければと思います。ただ、いろは坂とは違って普通に人々が暮らしている地域ですので、これだけ上下線の離れた一方通行は、生活に支障があっただろうと推察します。厳密に運用されていたかどうかは、疑問が残る所でもあります。引き続きレポートを楽しみにしております。
うわー、懐かしいな、おせんころがし!2年前には毎週のように早朝に通ってた変態さんです。慰霊碑までの道は旧々道の一部なんですよね。2年前の夏に豪雨でこのアクセス路が土砂崩れ起こして慰霊塔まで行けなくなったことがありましたが(もちろん、乗り越えて慰霊碑拝みに行きました)、レポートではちゃんと復旧していてほっとしました。今の状態ならまた車で特攻出来そうですね。(写真は特攻中に撮影)ちなみに、慰霊塔の裏の岩によじ登ると柵も何もなく下を覗けます。飛び込もうと思えば簡単に飛び込めるし、突き落とそうとしたら簡単に…ということで長居出来ない場所ですが。