> やはり片側交互通行でしたが、一部分だけ交互で、
> 全体的に見れば「たいした事無い」感じでした
川端康成の「掌の小説」の中に「ありがとう」という題の短いお話があります。「半島の先の港町」から、貧しい母が娘を「十五里北の停車場のある町」へ売りに行く話で、旧道下田・修善寺線を路線バスで行く様子が書かれています。大正時代に書かれた話で、私は最初、漠然と西伊豆か東伊豆の海沿いを走って沼津か熱海にでも行くんだろうと思っていました。
ところが興味を持って調べてみるとその頃は海沿いに道はなく、東海バスの本社に取材して当時の路線を特定し、その頃のバスの写真(今のバスよりずっと小型の数人乗り)を入手して実際に天城トンネル付近の旧道を歩き、離合できないほど狭かった道で馬車や大八車を追い越すたびに「ありがとう」と礼を言うこの話に強いリアリティを感じました。それと共にヨッキさんがいつも周到に調査し、確かな裏付けを持って文を書かれていることが、レポに生き生きとした力を与えて感動を生むのだとつくづく感じ入りました。ヨッキさん、いつも有難うございます。
川端康成は伊豆が好きで「伊豆の踊り子」に代表されるような伊豆半島の話を幾つか書いていますが、この話はループ橋の旧道区間(とその先々の旧道)を文学という別の面から知るのに最適と思います。私もいずれループ橋の旧道区間を歩いてみたいと思います。