2008/3/15 11:01
現在の遠藤トンネルの東側200mほどの地点で旧道が左に分かれる。
分岐地点には。丸山町がかつて町の各所に立てた風車のモニュメントがあって分かりやすい。
2車線で舗装された現道に対し、旧道は未舗装でしかも轍のあいだに草が生えた、如何にも畦道だが、廃道ではない。
それこそ、両側の田畑の耕作路として現役である。
気付いた?
新・旧遠藤トンネルは、現在では共に南房総市に合併した安房郡丸山町と同郡三芳村との境になっていた。
100mほど歩くと、右手の現道は丘の向こうに隠され、前方には濃緑色の山並みが近づいてくる。
森の木々には落葉しないものが多いようで、早くも若草が一面に芽吹いた畦の様子と共に。いかにも房総らしいと私なんかが感じる景観である。
ねえ、 気付いた?
イイ感じの木陰の下をくぐり、アールいくつなんていう数式で表現できない微妙なカーブがいくつも現れる。
狭まりつつある谷筋に道は依然動じる様子もなく、穏やかな轍を連ねていた。
ここに、近代道路が強制した効率の道は無い。
交通が、いまよりずっと“地面と仲良し”だった時代のままの、自然の道が続いている。
地図を見る限り、もう遠くなく隧道は現れよう。
そうすれば、今の蜜月の関係も劃されることになるだろう。残念である。
隧道は楽しみだが、この短い旧道の風景に… 私はあっという間に虜となっていた。
(左写真)
分岐から250mほど進んだところで、遂に道の状況は車輌交通に適さない荒廃を見せた。
依然として、畑の畦が整備されて続いているが、本来の道は私が写っている右の濠のようになっている場所だ。
(右写真)
それにしても、道は相変わらず緩やかなままで、峠へ登ろうという気迫が全く無い。
それどころか、この小さな沢の中の最も低い場所を道が陣取ってしまっている。
しかも、行く手には薄暗い右カーブが…。
どうやら、登りらしい登りもなく隧道に達したようだ。
今回の記録係は私ではない。
商業誌にも登場しているプロのカメラマンである「湯島のとも」氏が撮影してくださったものを拝借している。
画質は落としに落としているが、その表現力の(いつものレポートとの)違いに気付いた人もいると思う。
今回のレポートは、彼の写真をデフォで使用させて貰った。私が撮影したものは注記を添えた。
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事前調査では安否が不明であった旧遠藤隧道は、下手に手を加えられた様子もなく、全く健在な姿で光を通していた。
ここまで一滴の汗もたらさず、余裕綽々の到達だ。
そして隧道健在と言うことで、私が期待する発見への、“第一にして最大の関門”が突破された。
どことなく胎内を連想させる艶めかしい岩盤の波紋様によって自然と視線が奥へ誘導される。
自然のままだがとても美しく、整った印象を受ける坑口だ。
(もうばれたか? ここから少し私の撮影)
『丸山町史』には、明治19年の竣工とある。
明治隧道が多い房総の中でも古い部類に入る。
昭和9年に現在位置に新道が出来るまで、房総半島を横断する重要な県道として盛んに利用され、大正時代には登場したばかりの自動車も往来したという。全長などの諸元は記録されていないが、地図や現地の目測を総合すればちょうど100mくらいだ。幅は2間(3.6m)、高さは4mと見る。
今日的な車道トンネルとは較べるべくもないが、一車線のものと考えれば結構ゆったりしている。
地山そのものが露出する内壁には波紋のような凹凸と、鑿の跡と思われる擦過創が見られ、外光がつける陰影が美しい。。
また、その路面は公園路を彷彿とさせるような美しい玉砂利敷きであり、両側に水を湛えた側溝まで完備しているあたり、現役でないことが不思議に思えるほどの「完全状態」である。
その気になれば、普通自動車で容易に通行が可能だと思う。
隧道自体は「完全状態」だが、我々が接近した丸山側坑口前の線形はよろしくない。
ご覧のように、70°くらいのブラインドカーブに直結していて、洞内で車同士がすれ違えないことと合わせ、モータリゼーション下におけるユーザビリチーには問題がある。
風蝕に晒されて角が大分取れた印象の内壁。
房総の多くの素堀隧道で見られるものと大差ない、海洋性の堆積土壌である。
天井の一部に崩壊によって高くなったと思われる凹みがあるが、落下した土砂は処理されており、前述の通り現役さながらの「完全状態」にある。
だが、この遠藤隧道にはいくつか謎の部分もある。
その一つは、通常の素堀隧道に較べて圧倒的に石灰分の析出が多いことだ。
地山から沁み出た水が、壁にクリーム色の鍾乳石を無数に形成している。
コンクリート製の廃隧道でよく見られる「コンクリート鍾乳石」と似ているが、しかし壁はコンクリート製ではないはずだ。
とはいえ、素堀隧道に天然の鍾乳石というのも如何にもおかしい。
地山の成分に秘密があるのか。
ともかくこれは本隧道の謎である。
房総は酸性雨の被害が多く発生してきたエリアだけに、関連性を想像することも出来る。
隧道内には照明などはないが、かつてそれがあったかも知れない痕跡はある。
写真は、壁に取り付けられていた合板と思われる板の切れ端。
電線、電話線、照明機器、このいずれかが取り付けられていたものと想像する。
洞内生活者もいる。
私が目撃したのは、この余り美味しく無さそうなサワガニと、さほど多くないカマドウマである。
空気が良く流れているので、廃隧道にありがちな陰鬱としたムードはほとんど無い。
もうひとつ、謎の構造物。
壁に 鼻輪 のような穴。
穴の直径は5cmほどで、目線くらいの高さの側壁に“く“の字形に穴が通されている。
見たところ、同じようなものはあたりに見られず、これ一つだけである。
しかし、前に伊豆半島の某地底石切場に連れられて潜ったときにも、似たようなものを見た憶えがあるし、他でもどっかで見た気もするんだが…。
いずれ、この構造の意味はいままで解らないままだ。
何かロープを通していたような穴にも思えるのだが…。
心当たりのある方は、是非教えてください。