国道127号は房総半島の西海岸を南北に縦貫する全長55kmあまりの路線である。
そのルートは半島南端の館山市より始まり、安房郡富浦町、同富山町、同鋸南(きょなん)町、富津市、君津市を通り、木更津市で国道16号東京環状へと繋がっている。(このうち富浦町と富山町は2006年3月に周辺数町村と合併し南房総市になった。)
この路線の特色としては、海岸通りに多くの隧道を持つ事が挙げられる。
その多くは戦時中に軍事国道として整備されたもので、なお現役で利用されているほか、更に古い道筋が周辺に散見される状況にあり、全国でも屈指の旧隧道密度を誇る路線と思われる。
以下にこの道の歴史を簡単な年表にした。
藩政期以前 | 江戸から千葉を通り半島西海岸を北条(館山)まで下る房総往還(房総本街道とも)が、脇街道として利用された。 |
明治初期 | 房総往還はそのまま房総西街道となった。君津市以南は地勢が厳しく思うように改良が進められない状況であった。 当時の輸送の主役は沿岸の海運や舟運にあった。 |
明治19年 | 当時房州一と言われた木の根隧道が竣工し、南無谷崎を迂回する新木の根街道が完成し県道に指定された。 |
明治21年 | 難工事のすえ鋸山の沿岸を通る明鐘街道が開削され、馬車の往来が可能となった。漸次陸上交通が発達する。 |
明治28年 | 要塞司令部条例によって、木更津付近から半島南端までの西海岸一帯は対岸の三浦半島とともに東京湾要塞地帯に指定された。(終戦まで続いた) |
明治30年頃 | 南無谷崎に新道が拓かれ、新木の根街道から県道が移った。 |
大正8年 | 国鉄北条線(後の内房線)が北条(館山)まで開通し、陸上輸送の主役が鉄道に移る。 |
大正9年 | (旧)道路法施行。県道6号千葉北条線となる。 |
昭和18年 | 木更津〜富崎(館山市布良)間72kmが「特37号国道」に指定され“房総国道”と通称された。 路線番号が“特”で始まる路線は正式には特別国道といい、軍事上重要な地点を結ぶ軍事路線であった。 |
昭和20年 | 敗戦により特37号国道は形骸化し改築工事も中断される。 |
昭和25年 | 改修工事が再開される。 |
昭和28年 | 道路法施行。二級国道127号館山千葉線に指定される。 |
昭和40年 | 道路法改正。一般国道127号となる。 |
この年表からも明治時代より累々と改築が重ねられてきた様子がお分かり頂けるだろう。
私の初めての房総の旅は、この道が各時代に忘れてきたものを拾い集めることを目的とした。
ハイライトは特に難工事となった明鐘岬と南無谷崎周辺であるが、それ以外にも無数の旧道と遭遇した。
木更津から富浦まで一日がかりの旅を、3つのレポートに分けて紹介したい。
レポート区間 | |||||
1 | 木更津市桜井〜富津市上総湊 “Warming Up” | 1/2 | |||
2 | 君津市上総湊〜鋸南町保田 “明鐘岬 驚愕の明治隧道” | 1/2/3/4/5/6/7
3 | 鋸南町保田〜南房総市富浦 “南無谷崎 戦慄の崩落隧道” | 1/2/3/4/5/最終回
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