藤琴林鉄粕毛支線の隧道群 第2回 
廃隧道のある街
秋田県山本郡藤里町 藤琴


 
 簡単な地図を用意した。(→)

前回紹介した隧道を、便宜的に粕毛1号隧道、今回紹介する隧道を、粕毛2号隧道と呼ぶことにする。
現時点では、3号までを確認しているが、それより上流は素波里ダムに水没しているなど困難で、未探索となっている。

そんな粕毛線の中でも、この二本の隧道は特殊な立地にあるといって良い。
地図の通り、藤里町の役場にも近いし、辺りには町の主要な機能が散在しているただ中に、隧道があるのだ。
まあ、とは言っても過疎地。
実際の景色は、農村の中にある隧道といった感じなのだが。

さて、前回に続いて、今回は二号隧道に迫る。





 1号隧道から2号隧道へ向け、来た道を戻る。
実際には、工事区間を迂回して、だが。
とにかく戻って、軌道跡を車道化した集落道に架かる橋の先は、さっきこちらへと曲がってきた県道との十字路であるが、この県道の反対側の高台に、既に2号隧道の坑門ははっきりと見えている。
余り見ない、林鉄隧道と民家の組み合わせ。


 坑門の直前までは、一軒の民家の生活道路となっており、簡単に坑門へとたどり着ける。
ここまで簡単だったのは、林鉄隧道史上初かも知れない。
しかも、入り口には簡単な柵があるものの、反対側はしっかりと見えており、通り抜けすら楽勝なのか。

そう期待したのだが、実際には。



 とその前に、坑門から振り返った景色。
雪の上の足跡は、もちろん私のものだ。
すぐ先には、民家が見える。



 内部は、ご覧の通り、綺麗さっぱり水没していた。
水深は、見たところ20cm程度。
長靴で十分に突破できそうであるが、あいにく持ち合わせておらず、なによりも、反対側の坑門もまた、容易に到達できる場所にあるものと(地図上から)判断し、突破はしなかった。
そもそも、チャリを置いて進んでも、引き返してこなければならない訳だし。

隧道は、全長300mほど。
真っ直ぐで、完全にコンクリート巻きになっている。
すぐ傍だというのに、1号隧道とは断面の形が違う気がするが、如何だろう。
坑門部は地下水の影響か、ひび割れが著しいものの、崩壊は免れている。



 坑門付近の内壁の損傷は、先ほどの1号隧道とよく似ており、構造上の欠点があるのかもしれない。
このような切れ間からは、絶え間なく水が落ち、洞床の湖の原因の一つとなっている。
まだ大きな崩落に見舞われてはいない本隧道だが、危険な状況にあることは間違いなさそうだ。



 また、これは坑門の破損部から吹き出す地下水だ。

この高台の上は、中学校のグラウンドとなっており、入り口の柵は子供達の侵入を警戒していると思われる。
というか、大らかだなー。
都会だったら、絶対にもう、埋められているはず。
都会とは言えないが、二ツ井町仁鮒の中学校の直下にも、やはり林鉄隧道が近年まであったが、私が探索した時にはもう、埋められていた。
この水没ぶりでは、中で遊ぶ人もないのかも知れないが…夏場など、良い水遊び場になっていたりして。
さすがに、不良生徒も水に入ってまで、「モグ」吸ったりはしないと思うが。




一旦引き返した後、反対側の坑門へと迫ったのは、この2時間以上もあとだった。
途中、3号隧道に苦戦していたせいだ。


 藤里からの帰り道、今度は二号隧道の南側坑門にチャレンジ。
軌道跡は山際の築堤となって田圃の向こうに丸見えだが、まだ2月末、平地といえども藤里ではこの雪で、容易には接近させてくれない。
積雪50cmくらいある畦道に、真新しい足跡を作りながら、一歩一歩。
思わず額から汗が落ちた。
これは、重労働だ。



 疲労困憊となりながら、いよいよ築堤に接近。
だまって、最初から築堤上を歩いた方が、楽だったような気がする。

奥の小山には、中学校の野球場のネットの一部が見えた。
隧道は中学校の敷地を潜っているのだ。



 築堤上も、しっかりと雪は残っていた。
3号隧道で私を苦しめたのも、やはりこの残雪であり、さすがに2月の林鉄探索は、いくら平野部でも難しいということが、嫌というほど分かった。

しかし、もうあと一歩だ。



 築堤が粕毛側の川岸にぶつかると、そこで90度山へと進路を変え、行く手に隧道が現れる。
これが、2号隧道の南側坑門である。
北側は街中にあって容易に辿り着けたことを思えば、田圃の脇に口を開けているとはいえ、此方側は予想外の難度だった。
また、雪がない時期は、築堤上の藪が深そうだ。




 坑口のすぐ傍まで急なカーブが続いているが、目の前に立てば、やはり出口まで通視できる。
此方側の坑門の方が状況がよく、木の柵さえなければ、現役のトンネルと見間違えそうだ。
上部に小さな帯石が拵えられており、シンプルながら好感の持てる造りだ。




 振り返れば、白一面の水田が広がっている。
その手前には、短い掘り割から続く築堤が、90度のカーブを描いている。
この軌道の車窓は、変化に富んでいて飽きなかったと思う。
街から橋へ、トンネルへ、そして集落の間を縫うようにして、またトンネル、急カーブから水田を見下ろす長い築堤へ。
いつしか車窓は瀬を洗う粕毛川が主体となり、さらに進めば断崖の続く素波里峡へ。
そこには林鉄らしい荒々しい眺めが待ち受けていたはずだ。
…そこはもう、今では深い水の底だ。




 内部は、やはり水没しており、直線の向こうに小さく見える出口は、近いようでいて遠い。
やはり、内壁の損傷は著しく進んでいて、地下水による浸食だけでなく、写真でも感じられると思うが、向かって右の内壁は、かなり内側へと湾曲している。
坑門の穏やかな様子とは一変して、内部はもう、危機的な状況なのかも。

洞内には、水の注ぐ音が、絶え間なく響き渡っていた。



 洞床の様子。
相当の水量が天井から落ちているのが、お分かり頂けるだろう。



こうして、二本の隧道を確認したが、ダムより下流に確認されている隧道は、もう一本。
その「3号隧道」は、少し離れた、長場内地区にある。
以前、長場内は一度だけ登場したことがあったと思う。
たしか、ミニレポの第一回だ。

その旧長場内橋のすぐ傍で、隧道をなんとか発見したので、次回紹介しよう。




つづく

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2004.4.8