船岡森林軌道  宇津野隧道 《後編》
鬱の隧道…
秋田県仙北郡協和町 船岡

   
 船岡森林軌道にあるただ一つの隧道は、意外に集落の傍である。
里山然とした森を少し歩けば、そこに現れる穴。
しかしそれは、容易に接近できたのとは裏腹に、進入したい気にさせない隧道だった。

そこで、私が下した決断とは?!







 コンクリの内壁と、石垣をコンクリで固めた坑門。
何となくちぐはぐなこの組み合わせは、やはり相性が悪かったのか、間に大きな亀裂が生じている。
特に地山の圧力が大きいようにも見えぬ低山だが、それは素人考えであり、相当のプレッシャーが掛かっているのかも知れない。
内壁の歪みといい、坑門の剥離といい、自然による破壊が進んだ隧道なのは明らかだ。


 うーーん、坑門から水位は意外にあり、長靴は半分沈んだ。
この様子では、内部はもっと深いだろうから、まず乾いたままで探索は終えられまい。
正直、私が思っていた以上に積雪があるので、これ以上今日の探索を続けるかと言われれば、これで終わろうかとも考えていた。

これで終わりにするなら、もう、濡れても、いいか。

いいかなー。

でも、水。
冷たいだろうな。

やだな。



 まず、奥まで行くかは置いておいて、このまま帰っても後悔しそうだし、行けるだけ行ってみようか。

入洞です。


この頃は、まだヘッドライトだけでした…私の照明。
そんなひ弱な明かりでは、せいぜい日光が届いている場所しか見えない。
その範囲に限ってみても、黒い水面が滑らかに洞床を覆っている。
やはり、行く手に明かりはない。
長い隧道ではないはずだから、閉塞、か。



 入ってすぐに振り返って撮影。
水深は、既に長靴一杯一杯。
慎重に歩を進めないと、波が浸水してくる。
その足元の感触だが、例によって泥っぽい。
とりあえず、コンクリの内壁がかなり内側に歪曲しているのが、気になる嫌なポイントだ。

さらに進むと、行く手に崩落と、その崩落によって出来た陸地が照らし出された。
先ずは、あそこまで行こう。
洞内にジャボジャボという無様な音を反響させながら、私は進む。
陸地目指して。



 陸地は、側面が崩壊したことによって生じたものだった。
数メートルの距離を置いて、左右の壁が同程度ずつ崩壊し、地山が露出している。
泥っぽい土が洞床の沼を完全に堰き止めており、流れはない。
いずれは、坑門付近の内壁の膨らみも、こんな末路を辿るのだろう。
内壁の崩壊は、全体の崩落の一過程に過ぎないのであろうが。
そう考えると、至る所に側壁の剥離、崩落、変状が見られるこの隧道は、既に末期的状況にあると言える。
自然的崩壊の最終局面だ。

大正8年と言われる竣工から、既に85年を経過しており、コンクリで強度を補ったところで、老衰と、その先の死は免れない。



 まるでえぐり取られたように崩れた内壁と、そこに現れた消し炭の様な木材。
おそらくは、コンクリの外で地山を支保していた木材だと思われるが、コンクリが僅か5cm程度の厚さしかないことに驚き。
ちなみに、現代のコンクリートの内壁は厚さ35cm以上が普通である。
山形県内のとある新トンネルでは、業者の手抜きが社会問題になったが、内壁の最も薄いところでは、わずか3cmしかコンクリ厚がなかったらしい。
その業者には、この隧道の末路を見て頂きたい。
それでも改心しないなら、ここに埋まって頂きたい。

実際に崩れて人が大勢死んだ後では、遅いのだ。




 振り返る。
向かって右側の内壁の変状は、坑門まで一直線に続いており、これが内壁の剥離崩壊だけで止まるのか、そのまま隧道全体がペシャンコになる予兆なのかは、分からない。
いずれにしても、この隧道が今の形で存在できる時間は、かなり短そうだ。
コンクリの隧道で、ここまで酷く崩壊している例は、余りない。



 さらに奥へと行こうとすると、いよいよ足元に問題発生。
堰き止められている地底湖はさらに深さを増しており、堆積している泥の深さも増している。
もう、動こうとすれば、それだけで長靴は死亡するだろう。
無論、長靴の死亡は、私の足の喫水を意味し、それは、今後の快適な旅の絶望と同義である。

透き通った地底湖なら、私は遠慮しなかったかも知れない。
だが、この隧道のそれは…。
チョコレート色。
歩けば、水中に煙のような茶色が舞い上がる、泥の海である。
なんか、得体の知れない白いものも浮いているし。

かなり、健康に悪そうな、地底湖だ。




 えーい、ままよ!

ドブッ
  ドプッ

   ドップン… ドップン…

…ジャブジャブ…

つ、つめてー。
足が、締め付けられるー。
またも、一線を越えてしまった。
しかし、下手に入洞してしまった以上、閉塞か否かを確認しないと、引っ込みが突かなくなってしまったというのが率直なところだ。
まあ、入洞の時点で、覚悟は、あった。



 そんな私が、先ほどからずっと気にしているものがあった。
それは、上の写真にも、左の写真にも写っているのだが、洞内中央にうっすら見える、白い“何か”である。
光が届かず、フラッシュも届かず、それがなんなのか分からない。
とにかく、白い。
異様に、白い。

白いもの…
洞内で、白いもの…
連想するのは、あんまり有り難くないものばかりだ。

連想1、シーツを被ったような古典的なオバケ。私は個人的にあのデザインが大嫌いだ。なぜなら、恐いから。
連想2、巨大なキノコか、もやし。いずれにしても、真っ白で巨大なそれは、想像するだけで、十二分にキモイ。

いったい、なんなんなんなんだ!




 なお進む。
水深はさらに深まり、もう濡れてしまえばモモまではオッケイなのだが、マジにモモが近づいてきた。
白いモノの正体も気になりつつ、転倒しないように泥の沼を慎重に進む。
再び、内壁が著しくはがれ落ちた場所あり。
そこに露出していたのは、まるで肉のような真っ赤な地山。
先ほどに見た地肌ともまた違う、岩盤である。
そこには、小振りなコウモリが数羽から十数羽、微動だにせずプラ下がっていた。




 白いモノの正体が判明した。
それは、コンクリの内壁の残骸だった。
辺りは、ここまでで一番酷い崩落箇所で、再び瓦礫の島に上陸を達成した。
そこには、もう健在な内壁はなく、四方全て落ちている。
辛うじて内壁の形を残しているのは、この残骸だけだ。
もうこうなると、コンクリの支保など全く意味がなかったのでは、と思ってしまう。
これだけ崩壊しているのに、まだ先に空洞が続いているのが奇跡的だ。

ここまで来て出口の明かりも何も見えないというのは、閉塞は間違いなのだろうが。
この先は、どうなっているのかな…。






 さらに先へ進もう、再度入水を覚悟したが、今度は深い。
深すぎだ。
なにせ、水が青いもの。
この青さは、経験上水深50cmを越えないと出てこないものだ。
痛いほどに冷たい水は、脚だけで勘弁してくれ。
私の足がよほど短いと思われるかも知れないが、実際そうなのかも知れないけど…、とにかく、この色の水に入れば、私の下腹部の平穏は保たれまい。
しかも、もう一つ私を押しとどめたのが、藻なのか?
おそらくは、藻なのだろう。
なにやら、凄く長い黒い糸が、大量に浮かんでいるのだ。
ここまでの地底湖には無かったものだ。
なんか、体に絡みついてきそうで嫌なのだ。 実際絡みつくだろうし。
嫌な藻なのだ。


 先へ行くことは諦めて、そこから先を何枚か写真に納めて帰途に就いた。
そのうちの一枚を、帰宅後確認してびっくり。
なんと、赤く浮かびあがるように、閉塞部と思われる土砂の斜面が写っているではないか。
やはり、あの場所の20mほど先で閉塞していたようである。
まずは、一安心だ。
閉塞していて安心というのも、変だが。





 私が到達した最奥地点から、入口を振り返って撮影。
ここまで80m程度だが、もはや満身創痍を越えて、傷だらけの死体である。
帰りも泥の足触りに肌寒さを感じながら、肌寒いのは主に水温のせいだという話もあるが、とにかく、生きて帰った。

嫌な、閉塞隧道であったというのが、私の感想である。
次は、無い。






 もう、腿までびしょ濡れである。

寒いし、着替えもないし、さっさと帰って寝てしまいたくなったのだが、それをぐっと抑え、反対側の坑門の様子だけでも確認しに行くことにした。
この反対側は、滝ノ沢集落までの大部分が林道化しているようだが、その林道を以前走ったときには全然気が付かなかった。
林道と、隧道との分岐点も不明であるが、林道を経由してアプローチするのは面倒なので、このまま強引に杉の森を越えていくことにしよう。

逆光の杉林を、真っ直ぐ稜線めがけて登る。
息が切れるが距離はなく、1、2分ほどで下りとなった。





 南側斜面である下り側は、深い雪が緩んでおり、うっかり胸まで嵌ってしまった。
脱出しようにも、体重をかけた場所が崩壊し、どんどんと雪の大穴を広げていくばかり。
濡れた下半身が、ますます冷えてしまった。
木立を使ってなんとか脱出し下ると、そこには軌道跡らしき窪地が続いている。
完全に雪の下であり、通常の利用状況は不明であるが、地図上ではもう1kmほどで、林道にぶつかるはずである。
滝ノ又の、本森林軌道の起点までは3km程度だろうか。

進路を変えて、隧道の方へ向く。
が、坑門らしきものは見えない。


 残雪の谷となった軌道跡を十数メートル進むと、山の行き止まりとなり、その直下に坑門があった。

しかし、様子がおかしい。
接近する。


 もう、お亡くなりでした。

宇津野側と同様の石組みとコンクリのハイブリッド坑門だが、その立派な坑門だけを残し、すっかり隧道は押しつぶされていた。
残雪が深く、崩壊面を見ることは出来なかったが、おそらくは穴はあるまい。
その延長を考えると、内部で見た閉塞点こそが、この場所である可能性が高い。
これで、探索当日の私の中でも、この隧道との決着が付いたという理解になった。

さあ、これで心おきなく帰還できる。

足も冷たいを通り越して痛いし、帰ろう。


この後チャリに戻った私は、山間の探索は諦めて、一路本荘を目指し走ることになる。
久々に、無目的ののんびりサイクリングを濡れ足で楽しんだわけだが、
まさかその先で、再び残雪に苦しめられるとは、思わなかったのである。→『道路レポート 鬼ヶ台と中ノ又峠』





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2004.6.27