2007年10月に藤沢市在住の高橋さまよりいただいた情報によると、おとなりの鎌倉市大町3丁目の住宅地に、気になる「廃トンネル」があるとのこと。
場所は、JR鎌倉駅から東南東に800mほど離れた、鎌倉市街を取り巻く山地のなか。
確かに大縮尺の地図には、それらしいトンネルが描かれている。
もっとも、その先は行き止まりのようであるが。
それにしても、「鎌倉市大町三丁目」とは、初耳のはずなのになぜか聞き覚えがあるような…。
そうだ分かったぞ。
秋田県人でラジオを良く聴く人ならば耳に覚えがあるだろう。
「かまくら家ってどこにあるの? わさび家のとなりのとなりだびょーん!
わさび家ってどこにあるの? かまくら家のとなりのとなりだびょーん!!
えーッ!! わっかんなーーい!!
大町三丁目 かまくら家 わさび家」
細部は間違っていそうだが、こんなCMが秋田では結構頻繁に流れるのである。
「かまくら」、そして「大町三丁目」…。
行ってみるか!!
2008/6/27 12:48
目指す隧道は、ちょっと入り組んだところにある。
近くにももう一本隧道が描かれているのが気になるので、そこを通っていくことにした。
現在地は、鎌倉市小町3丁目。
駅前のメーンストリートから東へ入ったところにある、「東勝寺橋」という小さな橋だ。
下を流れる川は滑川という。
鎌倉というお土地柄、さりげない橋や川にも、深い歴史や伝説が宿っている。
そして、親切にもその案内をする看板も豊富にある。
みな紹介していては、名所案内や歴史考察の世界へ入ってしまいそうなので、ズバッとスルーして私の目指す場所へ向かう。
橋を渡っていくつか分岐がある中で、最初の十字路を右に曲がる。
まあ、右の道が太いのでわかりやすい。
と思ったら、曲がった先は俺も細かった(笑)。
しかも、すげー急坂。
道は、そのままどんどん谷戸の奥へと入っていく。
ちなみに谷戸というのは、丘に挟まれた谷や窪地のこと。
関東地方では特に谷戸集落といって、古くから耕作のため人が入り、住む場所としても定着している。
もっとも、谷戸のこんな奥に人が住んでいるのは、単に都会の土地不足のせいであろう。
おかげで、本来ならば山道になってもおかしくないのに、アスファルトの道が続いている。
幅と勾配は山道スペックのままで。
あっという間に息が上がる、チャリ殺しの坂だ。
何となく猫のいそうな雰囲気に、はじめはキョロキョロしながら登っていたが、下しか見たくなくなってきた。
12:52 【現在地(別ウィンドウ)】
うおっ!
結構キテルな。
ただの通り道のつもりだったけど、こいつはイケル。
しかも、普通ならば“引き”の絵があってから“ここ”なのに。
登るだけ登っての右カーブ(上の写真)をそして曲がると、
即、これが待っている。
インパクト大、である。
ちなみに、こんなにも狭い。
高さも幅も、2〜2.5mほどしかない。
長さは70m少々だが、それでも長く感じられるほどだ。
この隧道、狭いだけじゃない。
坑門のデザインが、なかなか凝っている。
平凡なコンクリート製ではあるのだが、そこにコンクリートブロックを模した布積み目地の模様が刻まれている。
アーチ環を作る迫石も、その天端の要石までもが“描かれて”いる。
上部の笠石だけは本物だが。
この規模の隧道としては稀に見る、充実した意匠と言える。
銘板が有れば完璧だったが、それが無いせいで、名前がいまだに分からない。(ご存じの方がおられれば教えてください)
鎌倉市のサイトにもこの隧道に関する情報は無いようだが、戦前のものだと思う。
思わぬ収穫にホクホク顔で進入する。
しかし、内壁のほぼ全面を鋼製セントルが覆っており、ちょっと興ざめ。
まあ、暮らしの中の隧道としては、仕方のないことかも知れないが。
なお、規制などは無いので一応クルマも通れる事になっているが、よほど慣れた人、地元の人以外はやめた方が良いだろう。
歩行者との行き違いさえ困難そうだ。
洞内も下り坂だったが、外はさらに急な下り坂になっているようだ。
まさに、谷戸と谷戸を結ぶ形のトンネルである。
セミ時雨がうるさい大町三丁目に脱出。
大町側の坑口も、意匠は同じである。
コンクリートが妙に白化していることと、梯子やら電線やらが取り付けられているせいで、ほとんど目立っていないが。
また、扁額はやっぱり無い。あっても良さそうなのに残念だ。
もしここがほとんど知られていない山奥の隧道ならば、「小町大町隧道(仮)」とか名付けてしまいたいところだが、これだけ生活に密着した隧道であるだけに、仮称でも勝手な名付けは憚られる。
12:52 【現在地(別ウィンドウ)】
登ってきた分は、あっという間に放出してしまった。
ブレーキの利きがいつだって弱い私には、爽快どころか単に苦しい下り坂だった。
そして、150mほど下ったところにあるこの写真の丁字路が、問題の隧道へ至る唯一の入口である。
一度行きすぎたのは、内緒だ。
右折しても細い道。
行く手には、早くも隧道のある気配だ。
つか、何か見えている気もする。
うあ…
かなり、強烈そう…。
なんだこりゃ……。
なんつーところにあるんだ。
しかも、妙に縦長だ。
しかし、話が違うぞ。
2007年10月にいただいたメールでは、「廃止はされているが、通り抜け出来る」ということであったのだが…。
なんか、坑口前の駐車スペースのコンクリは、まだ養生も終わってないんじゃないかってくらい新しそう。
つまり、この1年以内で埋め戻されてしまったと言うことなのか。
…くぅ
遅かった… orz
それにしても、凄い坑門だ。
先ほどの隧道がちゃちと思えるほど、重厚である。
立地的に否が応でも見上げさせられるのが、また独特の威風を演出している。
まずは対等の立場になろうじゃないか。
よっこいしょ
こいつはマジ変わり種だ。
しかし、第一印象ほどには古くないと思う。
当初は石造隧道かと思ったが、アーチはコンクリート巻であり、さらに坑門の切石積み目地にもモルタルが充填されている。
そのあたりの公園にあってもおかしくない、少し大仰な古風演出に見える。
しかし、扁額が…
凄い扁額がついてる。
ゴシック建築と日本の切妻造りを混ぜたような、独特の台形をした坑門上部。
その中央に飾り石付きで納められている扁額は、不釣り合いなほど大きい。
そして、そこに陰刻されている文字は、堂々たる右書きの3文字。
五 岳 荘
これは隧道名ではなく、明治期の隧道で見られたような記念の文字なのかも知れないが、他に名前になりそうなものがないので、「五岳荘隧道」と呼ぶことにする。
新しいの? 古いの?
ますますこの隧道の由来が分からなくなってしまった。
しかも予想外の閉塞だよ…。
…隣にあるこの穴。
もしかして新道ですか?
なんか、隣の隧道の縦を縮めて、その分横に広げた程度の、
えっらい狭い隧道ですけれど…。
行くしかないな。
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