今回の探索は、当サイトの掲示板が発祥地である。
具体的には、平成26(2014)年10月27日に、ぶるにゃん氏によって立てられた、「御所隧道?」というスレッド(書き込みNo.8599)だ。
ぶるにゃん氏はそこに次のような隧道の情報を投稿した。
HPいつも楽しく拝見させていただいております。
私が父から聞いた情報なのですが、金沢市御所町の星稜高校・中学の横を入って行くと加茂神社がありますが、そこから山の方へ向かった農道のつきあたりに古いトンネルがあるというのです。
そのトンネルは軽自動車が一台やっと通れるほどの大きさで結構長く、通り抜けた先は福光が見下ろせる場所なのだそうです。
父は御所町で生まれ育った弟から聞いて、実際に一緒に小型トラックで通ってみてきたと言っています。
その父の弟である叔父が調べたところによると、加賀藩が秘密裏に掘った近道だとわかったらしいです。
私は最初、夕日寺隧道じゃないのかと思い入口の写真を見せたところ、こんなきれいに舗装されたものじゃなく、岩盤素掘りの状態だとのことです。
わたしはどうしても気になり先日見に行ったのですが(今年の6月頃に人がクマに襲われた場所なので怖かったのです。捕獲用の檻もありました)、道を進むと堰堤に突き当って行き止まりでした。只途中左側の山肌に車一台分の大きさでブルーシートをかぶせた部分がありました。この山は御所八塚古墳なので、古墳の入口なのではないかとも思います。
私が調べてみて思うのですが、福光を見下ろせるというのは位置的に無理があると思いますので(父と叔父を信用しないわけではないのですが)、父が通ったのは、コンクリートで舗装される前の夕日寺隧道ではないのかと。夕日寺隧道でも福光を見下ろすのは無理だと思いますけど。
どなたか他に情報を知っている方はいらっしゃらないでしょうか。よろしくお願いします。
上記の情報でピンときた人はいるだろうか?
情報の舞台は、石川県金沢市内である。
その中にある御所町は、県庁などがある市街中心部から北東に4kmほど離れた山沿いの地区である。
ぶるにゃん氏の御尊父によると、御所町の星稜高・中学校あたりから始まる農道の突き当たりに、古いトンネルがあるという。
そのトンネルは、軽自動車一台がやっと通れるほどの狭さだが、結構長く、潜り抜けると、福光が見下ろせる場所に出るという。
福光(ふくみつ)は、隣県である富山県南砺市にある地名だ。御所町からは県道を20kmほど東へ走った山の向こうであり、ぶるにゃん氏が訝しがっているように、御所町からは少し遠い。
そして、ぶるにゃん氏はこの情報を頼りに御所町の隧道を探しに行ったそうだが、発見に至らなかったという。
そこで彼は、情報の隧道は御所町にあるのではなく、そこから2〜3km東の東長江町と夕日寺町の境にある隧道(夕日寺隧道)のことではないかと考えたようだ。
この書き込み、私は当然読んでいるが、当時は金沢市を一度も訪れたことがなく、隧道情報に興味は感じつつも、現地調査へ赴くことはなかった。
また、スレッドを読んだ読者から新たな情報が書き込まれることもなく、氏の期待に反してスレッドは塩漬けとなり、私もいつしかこのことをすっかり忘れてしまっていた。
だが、最初の書き込みから4年が経った平成30(2018)年5月、彼はこのスレッドに二つ目の書き込みを行った。
場所が判明しました。
左・1994年 右・1970年の地図です。
今度現場に見に行ってみたいと思います。
たった3行、だが急展開!
このときにぶるにゃん氏が掲載した新旧2枚の地形図を、私が勝手に重ね合わせたものが右図である。
さすがは石川の首都たる金沢の郊外だけあって、二十数年の間で地図風景は大幅に変わっていた。ひとことで言って都市化が進んでいた。
そしてその変化のなかで、1本の隧道が、ひっそりと消えていた。
隧道が描かれていたのは、昭和45(1970)年発行(=昭和43年修正版)の2万5千分の1地形図「金沢」だ。
この図では、最初の書き込みの通り、御所町の星稜高・中学校(図中の「経済大学」の隣にある)付近から山へ入る破線の道(=徒歩道)の行き止まりに、意外に長い1本の隧道が描かれていた。
だがその場所は、平成6(1994)年修正版の地形図では「御所町一丁目」という新市街地に呑み込まれかけており、隧道の表記は消えていた。
ぶるにゃん氏は、「今度現場に見に行ってみたい」と書き込みを結んでいた。
果たして、1ヶ月後、彼は成し遂げた。
写真撮ってきました。
今度はたった一行の書き込みである。
これまでこのスレッドが味わってきた孤独を思えば、ぶるにゃん氏としても長文をしたためる気にならなかったとしても不思議はない。
だが、彼はいかなる長文よりも心に響く現物を手にしていた。
当然、このときからスレッドは孤独ではなくなった。数人の読者が書き込みを行うようになった。
そして現金な話だが、その書き込みの第一番手が私だった。
私はここに至って初めて情報提供への謝意とともに、
「金沢を訪れた際には、ぜひ探索したい」
ことを表明した。彼はそれに対し、
「(前掲の)写真は東側の入り口になります。住宅地のすぐそばにもかかわらず近年熊がよく出没する地域ですのでくれぐれもお気を付けください」
と、親切なレスを下さった。
いただいた1枚の写真からは、内部の様子はうかがえない。だが、そこにもぶるにゃん氏の愛情が込められているのかも知れなかった。これでは、気になって仕方がないのである!
私はこの年の11月13日、自身初となる金沢市訪問において、探索を決行した。
今回はいつにも増してお膳立ての揃ったうえでの探索であるが、たまには楽をしたってバチは当たらないはずだ。
ましてやこの日、前哨戦のつもりで訪れた夕日寺隧道(未執筆)では、散々な難行を強いられたのだから……。