隧道レポート 仙北鉄道築館線 葉ノ木山隧道  <前編>
公開日 2005.7.18


 仙北鉄道は、宮城県北部にかつて存在した軽便鉄道で、登米(とよま)線と築館(つきだて)線の2本があった。
登米線は大正10年の開通で、その経路は東北本線瀬峰駅より東進し登米までの16km、惜しまれつつ昭和43年に廃止された。
一方の築館線は大正12年開通、瀬峰駅より北西へ進路を取り、築館に至る若干12kmの路線であった。
こちらは、アイオン台風の影響により昭和23年と早い時期に廃止されている。
往時には貨物列車も通い、仙北地方の縦断交通路としてそれなりの存在感があった仙北鉄道であるが、その沿線風景は殆どが平坦な水田地帯であり、駅を除くとあまり大きな構造物は無かったようである。


 その全線におけるただ一つだけの隧道が葉ノ木山隧道であり、築館線の中程にて築館町・迫(はざま)町・瀬峰町の三町の接する丘をくぐっていた。







1. 築館側から接近 


 葉の木山隧道へと、築館町側(北)から接近を試みる。
それまで廃線跡の小道と並走してきた主要地方道河南築館線が、鉄道らしくない上り坂に差し掛かる地点こそ、ちょうど廃線跡との分岐地である。
目印としては、道ばた大きめのため池がある。

 なおこの探索は、2005年3月16日に、私・細田氏・ふみやん氏の3名により実施された。



 前方に立ちはだかる丘を、鉄道は隧道で通り抜けていた。
県道は素直に登っていくので、並走はしていても、間もなく廃線跡の視界から消える。
 廃線跡はいくらも行かぬうちに、凄まじい笹藪に阻まれる。
超濃密な笹藪は、ほんの1mも立ち入ることが出来ないので、仕方なく一段下の田んぼの畦を歩いて進んだ。




 100mほど歩くと、田んぼも尽きて、いよいよ前方の視界から歩ける道が無くなる。
今度は、背丈よりも高い葦の原っぱに突撃。
幸いにして、足元はそれほどぬかるんでいなかったが、夏場はおおよそ不快なことこの上ないだろう。
慎重に進路を選びながら、廃線跡の痕跡を探しつつ進むも、路盤跡はまるっきり見あたらない。

状況に変化が現れるのは、葦原をひとしきり歩いたあとだ。




 唐突に、前方の視界がひらけた。
するとそこには、鮮明な路盤が続いているではないか。
左手には県道に続くコンクリートののり面が、右手は猛烈な笹藪だ。
ややぬかるむ枯れ草の路盤跡を、次第に先細りになる風景に期待を高ぶらせつつ、進む。



 相当の量の不法投棄物が県道から投げ落とされている。
テレビや冷蔵庫などの電化製品が、路盤まで転がってきていた。

 深さを増す掘り割りは、一直線で隧道へと突き進んでいく。
廃止後57年を経過した路盤跡には何も残ってはいないが、その地形は鉄路があったことを鮮明に感じさせる。



 落ちていた物で一つ目を引いたのは、この怪しげな瓶だ。
写真からは分かりにくいが、

 これ 実はかなり巨大。

太い部分の直径は、30cmくらいある。
とっても寸胴なデザインの、やや青みがかったガラス瓶。
この正体について心当たりのある方は、ぜひ鑑定板へ…。







2. 築館側坑口の怪異な姿


 県道から歩きはじめておおよそ12分。夏場ならこの2倍は掛かりそうだが、ともかく、坑口へと辿り着く。

 人工的であるかは不明だが、坑口付近の路盤跡は大量の土砂でなだらかに埋め立てられ、ココにも膨大な廃棄物が転がっている。
坑口直上には、民家らしい小綺麗な建物が見えており、粘土質の土色との組み合わせは、なんとなく落ち着かない。
すぐ左手には県道に続く急斜面があり、ガードレールが見えている。
その気になれば、直接ここに降りてくることも出来なくはないだろう。



 何じゃこりゃあ!

 200mほど先に出口の光がハッキリ見えているのだが、とりあえず侵入するのにこれほどためらいを感じる隧道も少ない。
土砂に埋もれかけた坑口は、天井までほんの50cmほどが残っているに過ぎず、その僅かな隙間でさえ、猛烈に危うい。



 天井のアーチが中央で割れており、限界を突破している。
いつ全壊してもおかしくない。
それこそ、我々が少し触れただけでも、崩れてきそうなほどだ。
 坑口の異常はそれだけではない、ほんの2mほど入った先の天井が、スッポリと抜けている。
そして、そこから外の光が差し込んでいる。
こんな風にして坑口が後退していけば、真上の民家はたまったものじゃないだろう。

 色鮮やかな煉瓦が覗くそれは、地域に根ざした仙北鉄道の数少ない構造物として貴重であり、ともすれば地元の有志によって保存されていたりといった姿も想像できたのだが…、現状の姿は、余りにもかけ離れている。
もはや、塵芥にまみれた危険なスクラップでしかない。
余計なお世話だとは思うが、周辺には集落や小学校もあり、現状で放置することは得策ではないと思う。







3. 決死の入洞  しかし…


 土臭い隙間を、背筋に寒々としたものを感じながら、出来るだけ素早く通り抜ける。
そして、天井にぽかりと開いた穴の真下にしゃがんで、初めて洞内の様子を観察できる。
案の定、洞床には水面が広がっている。
しかし、恐れていたよりはよりは、だいぶ水位が低いようにも見える。

 足元は粘土質の急斜面になっていて、一度降りてしまうと、登るのはなかなか骨が折れそうだ。
仮に水位が高かった場合、滑り落ちてそのままドブンと行く怖さがある。
一人ずつ、慎重を期して、背中を洞内に向けて下ってみる。



 ご覧の通り、天井がスッポリ抜け、膨大な土砂が坑内を埋めつくさんとしている。
天井の斑模様は、煉瓦表面の剥離によって生じたものだ。
すなわち、現役当時に煤によって汚れた黒の部分が正常で、綺麗に見える部分は、自然に表面が剥げ落ちたのだろう。
そんなことが起きるのは、単純な老朽化ではなく、煉瓦自体に大きな偏圧が加わっているのではないだろうか。

 この天井が、今にどすんと来る可能性は大いにあるだろう。



 しかも、隙間からは常時相当量の水が洞内に流入している。
雨の後というわけではないのだが、この水量だ。
非常に不安定な状況にあるという印象を受けた。

 見通すことが出来る以上、隧道全体が酷く荒れているというわけではさそうなのだが…。
この坑口と酷似した崩壊の例としては、「二井山隧道」や「橋桁隧道」が挙げられるが、ご存知の通り、いずれも既に閉塞している。
二井山に至っては、ここ数年の間に突発的な大崩壊が生じ閉塞してしまったのだ。





 次回、

   初めて明かされる“危険”隧道の洞内には、

     果たして何が!?











後編へ

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