細田様より頂戴しました廃隧道情報を引っさげ、森吉町米内沢郊外へ。
切り通しになった峠のすぐ傍、もはや道の痕跡も失せた雑木林に、金網で封印された坑門が、ひっそりと、口をあけていた。
今回、その内部へ究極侵入!
本城トンネルという名は、私が最寄の地名から便宜的につけたものに過ぎない。
正式な名称は、扁額も無いために現地で得ることが出来なかった。
コンクリートで覆われた平面的な坑門は、何の面白みもなく、興は冷める。
しかし、峠の規模からして長い延長ではありえないのに、内部には暗闇だけが広がっている。
…この情報提供者は言っていた…閉塞したようだ…と。
確かにこの状況は、閉塞を十分に理解させる。
それ故に暗闇なのだし、危険ゆえに、厳重に封印されているのだ。
さて、一度現道に戻り、改めて反対側の坑門を目指そうかと思ったとき、鉄壁と思われた金網の封印に、“穴”を見つけてしまった。
この穴は、一体何なんだろう。
近所の悪ガキが遊びに使っているのか?
ケモノの仕業なのか?
夕闇がそこまで迫った静かな秋の森の中、この穴を見つけてしまったことは、間違いなく、不幸だった。
すくなくとも、この時はそう思った。
…だって、この小さな隙間だが、痩せた私には、辛うじて通れそうなのだ。
封印された隧道に、入ることが現実に出来るのだ。
魅力的な選択肢だ。
だが…
――恐い。
さすがに荷物までは運び込めないし、その必要は無いと思ったので、単身身軽になって、金網に開いた小さな隙間を潜って入洞した。
ひんやりとした内部には、風は無い。
地下水の滴る音も無い。
背後の金網の外には、寂しい夕暮れの森。
そして、私の前に広がっているのは、未知の暗闇。
ヘッドランプを点灯しても、その細い光は、じっとりとした暗闇を射抜くことは適わなかった。
坑門付近の路面は、まだ光が届くので、シダ植物が僅かに生えている。
しかし、それらは弱々しく、冬が来たらひとたまりもなさそうだ。
また、舗装されていたと思われるが、厚く土砂が堆積しており、本来の路面は全く見えない。
足跡も、全く無い。
悪ガキの侵入した形跡は、残念ながら、無かった。(秘密基地ならば、足跡だけでなくゴミのひとつも落ちているだろうから)
数歩進んで、振り返る。
普段なら、まだまだ心細くも無い距離だが、通れるとは言え金網がそこにあることの重圧は、大きい。
私が入ってきた穴が、帰りには消えてしまっていたら…。
そんなありえないことにまで、臆病になってしまう。
意を決して、奥へと進む。
やはり、風は無い。
光も、無い。
静かな洞内を、一歩一歩踏みしめて進む。
足元には、しっとりとした泥の感触。
どこまでも茶色一色で、それがかえって不気味な滑らか泥の路面。
漏水によって変色した部分が目立つ、これまた不気味なコンクリートの壁面。
得体が知れないだけに、この隧道は、恐い。
路面を撮影。
平坦に見えた路面には、微かな波の文様が描かれていた。
時期によっては水没することもあるのだろうか。
これだけ大量の泥は、一体どこから運ばれてきているのか?
坑門の外は、乾いていたし…。
やはり、閉塞という情報は、間違いなさそうだ。
私がいる場所も、危険な状況なのかも知れない。
一見、鏡のようにというのは言いすぎだが、染みがある以外は、内壁のコンクリートの状況は良い。
部分的には、新設されたばかりのように、ツルツルしている。
古い隧道の内壁にありがちな大型車のこすったような擦傷もみあたらず、これまた、未供用だったのではないかという疑惑を支持する。
さらに進むと、内壁の様子に変化が現れた。
おもわず、あっ、と声を上げそうになったのだが、ここより奥は、見たことも無いような鉄筋によって覆われていた。
まるで、建設中の隧道のようではないか(実際に現場を見たことは無いが)。
隧道の壁を必死に支持しているかのように見える鉄筋は、見渡す限り奥まで続いている。
一体、この隧道に何が起きているのか?
もしくは、何が起きて、廃止されたのであろう?
この鉄筋が、見た目通りの存在(つまり補強用)だったとしたら、鉄道用ならいざ知らず、車道用としては、極めてまれなケースではなかろうか?
少なくとも、私はこれまで見た事が無かった。
不思議なほどに平凡だった隧道が、一つの“異常”を、私の前に露呈した時より、まるで堰を切ったかのように、破綻が始まった。
一歩進むごとに、見る見る朽ち果ててゆくような異常な状態だった。
あれほど穏やかだった内壁が、いまではもう、鉄筋の支えが無ければ全て剥がれ落ちてきそうだ。
実際に、至るところに細かく砕けたコンクリートが落ちている。
欠陥工事でなかったとすれば、一体今もどれだけの圧力が、この壁にかかっているのだろう。
さらに、壁を支えていたのは鉄筋だけではなかったようだ。
鉄筋と、ボロボロになったコンクリートの内壁の間には、錆びきった白い鋼板が数枚残されている。
どんどんと密になって行く支え。
入洞から30m。
たったこれだけで、もう、隧道は限界を超えそうだった。
そして、入洞から約50m地点。
全長が分らないが、地形的には多分、中間地点くらいだろうと推測される。
そこに繰り広げられていたのは、紛れ無き閉塞の状。
まるで、コーヒーの様な色をした柔らかい土砂が、天井に開いた穴からこれでもかというくらい、落ち込んできていた。
この土砂の量は、恐怖だ。
もしこんな崩落に巻き込まれれば、圧死なのか、窒息死なのか、どっちにしても苦しんで死ぬだろう。
情報提供者の細田様は言っていた。
彼が18歳の時には、反対側の明かりが見えていた、と。
そして、26歳になった最近行って見たら、見えなかった、と。
これが意味することは、閉塞だろう。
だが、私はこの目で見るまでは、信じたくなかった。
もしかしたら、もしかしたら…。
現実は、この通りであった。
補強は、功を奏したのか、無駄だったのか?
分らない。
でも、とにかく、誰かがこの隧道を保守しようとしていたことは確かなようだ。
なぜ、この隧道は放棄されたのだろう。
敢えて切り通しの峠を別に設け無ければならぬほどに、狭い隧道ではない。
難しいアプローチでもなかったはずだ…。
現役時代に、何らかの変状が現れ、使用停止を少しでも先延ばしにしようと、あわただしく補強がなされたのであろうか?
隧道が珍しく見せた“生への足掻き”が、なんとも痛々しい、崩落だった…。