隧道レポート 大仏公園 謎の穴  第3回

所在地 青森県弘前市石川
探索日 2006.12.14
公開日 2006.12.19

続々 公園の地下に眠るもの

これを最後と誓って…


 午後4時31分、私は再び細田氏を残し、洞内の探索を再開する決断を下した。
おそらく、今一度入洞すれば、前回を越える長時間の探索となるだろう。
私は崖下に一人で残る細田氏を案じ、車に戻っていても良いと言ったが、彼はそこに待つと答えた。
私はそれ以上問わず、むしろ、この探索の成功は彼の希望でもあると捉えた。
一度は痩せ細り、洞内からの虚しい逃亡を惹起せしめた我が気魄。
しかし、仲間の態度が示す力強い声援と、5分間の清風を浴び、本来の気魄が甦ってきたのを感じる。
ここまで来たからには、中学生ども(スイマセン言葉悪いです)には負けられない!
本当の素人魂を見せてやる!!

 喝!  再入洞!



 3分後、私は再び奧の広間まで戻ってきた。
ポシェットにしのばせているメモ帳とボールペンを、ライト2本と一緒に左手に握りしめ、ここまで簡単にマッピングしながら進んできた。
右の地図は、その地図をもとに書いたものだ。
図中の黒い部分が通路や部屋で、赤い破線部分は目視によって存在を確認しているものの、まだ踏み込んでいない部分である。
図の上方向が北で、縮尺は任意である。

 広間には、入口へ通じる通路のほか、さらに4つの通路と1つの大きな窪みがある。
この広間の位置が地上と対応させるとどこかと言うことだが、これは今回の探索では不明だった。
ただ現実問題として、これが本当に中世の抜け穴なのだとしたら、市の教育委員会辺りが既に調査済みだと思うので、学術方面に私が出る幕はないだろう。
ともかくいまは、己が神経の限界に挑むチャレンジの最中だ。
まずは手始めに、この4つの穴を全て、攻略してやる! 
時間的にもこれが最後の挑戦だろうし、ここまで連れてきてくれた細田氏が待っている事を考えると、自然私は功を急いだ。
だがそのことが恐怖心を忘れさせてくれた様に思う。


 まずは、だ!




 広間の床よりもやや低い方向へ口を開けている「通路1」。
背を丸めて踏み込むと、1メートルほどで真っ正面に壁が立ちはだかった。
しかし、代わりに空洞は左右へ均等に分かれている。
早くも分岐だ。

 まずは左へ行ってみる。




 低い位置にあるせいか、床にはうっすらと水が溜まっている。
ゴツゴツとした岩盤の様子も入口付近の雰囲気とは異なる。
そして、この通路は呆気なく行き止まった。
分岐からは10mほど真っ直ぐ続いただけだった。

 行き止まりの壁を確認し、手にしたメモ用紙に書き入れてから引き返す。
今度は右の道へ行ってみよう。



 この通路も同じように水っぽく、また壁の一部が崩れていた。
壁には見るからに不快感を誘うカマドウマ達が棲息しており、その数こそポツポツ程度だからいいものの、この狭い洞内に犇めくように居たとしたら、私は堪らず逃げ出したに違いない。

 今度はすぐに終わらず、左にカーブしている。
これでも洞内では比較的高さのある通路だが、中腰で進むのが精一杯である。



 再び行き止まりとなった。
広間からここまでは20mくらいしかなかっただろう。
これで、広間から分かれる通路のうち1本の根を断った。
得体の知れぬ洞内もやはり有限であるとの一例に接し、私は励まされた。
残りは、あと3本だ。


 だが、2本目の通路は一筋縄では行かなかった。


2本目の通路

 続いて、へ突入!


 …だが

ここは、いきなり嫌になるほど狭い。
固い岩盤に、無理矢理人一人が通れる穴を穿ったといった感じ。
初っ端から匍匐前進である。
だが、この時の私は強かった。
相変わらず片手にはマグライト2本を鷲づかみにし、さらにボールペンとメモ用紙も握ったまま、頭から突っ込んでいった。



 ぐわーー! この穴は本当に通路なのか?!
換気口じゃないのか?!
しかも、進むにつれ洞床はゴツゴツした岩の欠片が山となり、そこを両肘で掻き分けて進むもんだから、当然痛い。
そのうえ、進むほどに瓦礫は厚みを増し、いまにも通路を塞ぎつつあった。

 もとより狭い通路だったのだろうが、或いはこの穴は後世で埋め戻されようとしたのかも知れない。
流石にこの展開には、頭がクラクラした。
逃げ出したくなってきたが、物理的にどうしようもなく進めなくなるまでがんばりたい気持ちも、またあった。
どうなってしまうんだ!! 俺は!



 なお諦めず、どんどんと狭くなっていく穴を這い蹲って進むと、思いがけず救いの手が差し伸べられた。
もうこれ以上は進めなくなるすんでの所で、天井が一気に高まったのだ。
そして、直角のカーブとなって、更に先へと通じていた。
いま潜り抜けた穴を振り返る(写真右)

 相当に固い岩盤を、苦心して、人が一人通れる最小のサイズで掘った様に見える。
やはり、足下を埋める瓦礫は崩れたのでなく、人為的に運ばれてきたものに違いない。
なお、この時私は手にしていたメモ紙(マッピング用!)を落としていた。
やがて再発見することになるが、この写真にもしっかりと落としたメモ紙が写っている。
この写真を撮ったにもかかわらず、私はこの時点では落としたことに気付かなかった。
いかに洞内が薄暗かったか、また私が極限的な精神状態にあったのかが窺えよう。



 いま考えても、よくもまあこんな事が出来たと思うが、とにかくこの時の私は、馬鹿みたいにその身をねじ込んでいった。
一種のトランス状態、ハイ、トリップの類だったかもしれない。
時間的にも仲間を残してきていることからも、これが最後の挑戦だと思える状況、天井まで届く瓦礫の山と、その酷い狭さ、全てが私を興奮させた。

 そのとき、私は信じられない体験をした。
大袈裟かも知れないが、この時の私にとっては、まさに信じがたい事だった。

 ……頬に、冷たい風が触れたのだ。

たしかにそれは、風だった。
この針穴の先のような穴の向こう、風が吹いていた。


 なんということか、そこにはコンクリートの穴が現れた。
穴の中に、更に隧道!
周囲は、大量の瓦礫に埋め立てられ、或いはここに関しては自然の崩落もあったかも知れない。
これまでの狭い穴をそのままコンクリで覆ったかのような猛烈に狭い隧道が、瓦礫と土砂に埋もれて、しかし僅かに口を開けていることを認めた。
ここは地下なのに!!
そして、確かに風はこの向こうから、漏れてきている。
極限的状況でこの風の存在は、どんなにか私を励ましたことか。
少なくとも窒息の恐怖からは解放された。



 巾60センチ内外、高さ1m程度。
立って歩くことなど出来ない、きわめて狭い隧道が出現した。
そして、この穴の正体が、ますます分からなくなった。
これは後世の補強なのか、そもそもコンクリートの時代に掘られた穴だったのか…。

 ともかくいまは、この風の正体を突き止めねばならない。



 振り返れば、そこには重苦しい土の壁。
もう、ここに戻るのは勘弁して欲しい。
私は、殆ど零度近い外気温ながら、もう汗だくになっていた。肩で息をする有様だった。



 不気味に押し黙った白亜の壁。
そこには、生有るものを受け入れまいとするような、一種異様な圧迫感があった。
私は、立ち止まる事も出来ず、憑かれたように突き進んだ。
背を丸めても肩は壁に触れる。
歩くと、肩が壁を摺るざらざらと耳障りな音が、私の心を掻き乱す。
ただ唯一、ここにある清冽な空気に励まされるように、私は進んだ!



 すぐに結末はやってきた。
待ちに待った、外の風。
だが、無情にも、そこには鉄壁の扉。
否! 嵌め殺しの鉄格子であった。

 穴は、確かに外界へ通じていた。
おそらくそれは、少年達が大冒険の末に辿った道の逆順だった。
しかし、25年は長すぎた。
大人達は、こんな怪しげな穴が長閑な公園の一角に口を開けていることを許さなかった。
入口を塞ぐに飽きたらず、洞内にも瓦礫の山を築いて埋め戻したのだろう。
私は正常な大人達の思考を超え、塞がれた筈の通路を突破してここへ来たのではないだろうか。
ともかく、「謎の穴」には2つの出入口が有ることが確かめられた。

 読者の情報はこれで確認された。
本探索は、これで一応の成功を約束されたことになろう。



 鉄格子の隙間にレンズを向けて、闇に覆われた地上を撮る。
洞内での私のドタバタで、坑口付近には目に見えぬ埃がかなり舞い上がってしまったようだ。
このとき、外の暗さに驚いて時計を見ると、再入洞から11分を経ていた。
今ごろ細田氏は、あの痩せた崖の中途で寒風に曝されているはずだ。
探索している私の苦労もさることながら、細田氏もまた辛い状況。

 私は、この成果を以て本探索を完結させることを考えながら、ともかく退路を確保するべく洞内へ戻った。
進路を完全に絶たれ、あの窮穴が唯一無二の生還路となったことを実感する状況。
生きた心地がする筈もなかった。



 もと来た穴を戻る。
あの狭さも、這い蹲って進む痛みも、変わらなかった。
匍匐前進の途中で、目前に見覚えのある紙切れを発見し拾い上げると、それは自分が地図を書いていた筈のメモ紙だった。
ここの狭さは、本当にきつかった。
誰かに潜っている姿を撮って欲しいくらいだったが、そんな馬鹿げた希望は誰も叶えてくれなさそうだ。



 通路3


 広間へ着いた。
時計を見ると時刻は4時44分。戻りは3分かかっていた。

 細田氏を置き去りにしてから15分が経とうとしている。
一回目に潜ったときは6分ほどだったから、較べるとだいぶ掛かっている。
だが、彼は私との探索の経験が豊富で、或いはそれなりに時間が掛かることを考慮してくれているはずだ。
一応の成果が挙がった喜びもさることながら、極限的な狭さから解放された安心感から、どうせなら、あと2本の通路を見届けてしまいたいという欲が湧いた。 それを私は甘んじて受け入れることにした。

 通路3へ突入する。

 写真を見てのとおり、この通路は広間の天井に接する、最も高い位置に口を開けている。
不思議な光景だ。


 この通路は、まっすぐ10mほど進んで、ブツリと途絶えた。
高い位置にある割りに湿った通路で、壁には水が滴り、洞床にも僅かに水が浮いていた。

おわり。

 のこり1本!



 通路3から広間に戻ると、ちょうどその入口が高いことから、広間内を見渡すことが出来た。
見渡すと言っても、3m四方程度の広間なのだが、この地底にあっては十分な広さに思える。

 はたしてここは、殿さまが作らせたものなのか、鉱山の跡なのか。
未だ決定的な遭遇はないが、もし城と関連があるのだとしたら、この部屋ではどんな謀議がなされたものか、わくわくする。
歴史では津軽氏に攻められ自刃して果てたという南部高信も、あるいは何処かへ逃げ延びていたのかも知れないではないか。




 いよいよ、洞内の未探索部分は少なくなった。
ここまで累計で約30分、距離にして200m内外の隧道を解明した。
残るは、この広間から伸びる通路1本と、途中残してきた縦穴に近いような部分。
ただし後者はおそらく探索不可能であるから、次の「通路4」で最後になるだろう。

 私は、この興奮状態が解けぬうちに、一気に探索を完了させるつもりだった。
そして、すぐに最後の穴へと向かった。





 しかし、

    偶然とは恐ろしいものだ。

或いは、私の熱狂が呼び込んだ必然であったのか。



 最後に踏み込んだ その穴こそが、

     いちばん 怖 い 穴 だった!!