2005年12月末に実施した読者アンケートには、この一年の山行がに対する満足度を問う設問があった。
多くのご意見を戴いた中でも、ある一つの意見が、私の胸にグサリと刺さった。
イタタタタタタタタ…
すっげー、痛いところを突いてきてる。
私自身、隧道探索という点ではパンチの弱い一年だったことを認めざるを得ない。
もはや、近場に決定的な隧道が(おそらく)存在しないこともあるし、たとえ遠方まで出張っていったとしても、なかなかどうして並みの廃隧道や、他のサイト様で貫通されている物などでは、私自身が無理に興奮出来るとも思えないところがある。
申し訳ないが、わたしはもう。他のサイト様が「すげー」とか「こえー」と言っている隧道の大半を、平然と鼻歌を歌いながらくぐる自信がある。
隧道の怖さの最大の原因である闇は克服したし、狭さも慣れた、幽霊話は信じないし、コウモリの大群も見慣れた。
せいぜい、閉塞や酸欠と言った現実的な不安を常識的に感じる程度だ。
私が隧道レポを、かつて無い盛り上がりでお伝えすることは、もう、そう簡単なことではないのである。
いまから3年くらい前、山行ががただのチャリ旅ローカルサイトから、各地の皆様に一目を置いていただけるように成長した、そのウリが、廃隧道に決死で進入してレポートをするという、バカの一つ覚えのようなスタイルだったのだから。
いまや、おおくのサイトオーナーが平然と廃隧道に潜るようになっているが、数年前はある意味タブー視されたことだったのだ。
昔話が過ぎた。
実は、今回これからお送りするレポートは、お蔵入りの予定だった。
余りにもレポートの内容が危険で、救いがないほどに、真似して欲しくないからだ。
だが、実はもう、探索から丸一年以上を経ている。
時効などと言う物があるとも思えないが、ともかく、このレポートを公開しないことには、なぜ、わたしが今や隧道に多少醒めているのかを理解していただけないと思う。
はっきり言えば、この隧道の前では、世間一般の廃隧道など子猫だ。
少なくとも、私はあれから一年を経た今も、そう思っている。
いまだ、これを越える隧道には巡り会っていないのだ。
2003年、2004年と、おぞましい廃隧道達を次々と撃破してきたこの私が辿り着いた、廃隧道探索の一つの極み。
山行がの隧道レポの神髄を、
ご覧頂こう…。
舞台はまた、 あの 八甲田 である。
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