最終列車運行! 2004.12.15
2−1 驚くべき全長!
1,800m
それが、田代隧道の全長である。
開通を報じる昭和32年の「上北新聞」には、間違いなくそう書かれている。
私は、これを知っていた。
知っていただけに、生半可な気持ちでは立ち入るべきではないと考えた。
1800mという長さは、チャリで普通に漕いで走っても通過に5分を要する距離だ。
まして、これが徒歩となれば、普通に20〜30分を要するに違いない。
しかし、私は気が付くともう、目の前に口を開けてしまった隧道の先端へ、チャリのハンドルを押し入れていた。
内部がどうなっているのかを身軽な体で確認して、確認したら引き返すというのがベターである。
なにも、1800mの全てを体験しなくても、田代隧道がどんな隧道だったかを報告することは出来るだろう。
それなのに、私はこの隧道を、チャリとともに貫通し、この隧道を生み出した上北鉱山の、その姿を、この目で見たいと希い。
そして、その欲望のままに、 進入してしまった。
読者様へ、
この隧道への進入は、絶対に真似しないでください。
詳しくはレポの中で述べますが、命に関わります。私も二度と入るつもりはありません。
坑口に掲げられた、「酸欠注意立ち入り禁止」の表示は本物です。
12:45
私が坑口を塞ぐ扉に立て掛けられていた二本の鉄パイプをヨッコイショと脇に寄せると、木のフレームにトタンを掛けただけの扉は、鍵もなく容易に開いてしまった。
蝶番などといった気の利いた物はなく、単に扉もあてがわれていただけである。
扉自体も外し、一度脇へ寄せる。
木の腐ったような甘ったるい匂いと、かび臭さが、一気に鼻腔へ入る。
風が頬に当たる。
ゆっくりだが、洞内から風が吹き出している。
やはり、貫通しているのだろうか?
チャリのハンドルを持ち上げ、入口の木の樋を跨ぐ。
しかし、洞内がチャリの走行には余りにも不適な状況であることが、次第に暗闇に慣れてきた目で明らかになると、躊躇ってしまった。
そして、まずはチャリを坑口に置き去りにしたままで、単独にて少しだけ入ってみることにした。
10mほど進んでみた。
隧道は想像していたよりも遙かに狭いものだった。
記録では、幅2.4m、高さも同じ2.4mとされている。
しかし、これは有効内空間ではないと思われる。
比較的整備されていると思われる坑口付近でさえ、このスペックには及ばない。
もっと天井は低く、Iビームの鉄骨に背伸びすれば届きそうでさえある。
洞床も平坦ではなく、まずなんと言っても、レールが敷かれたままになっていた。
このレールの軌間はとても狭い物で、林鉄や一般的な鉱山鉄道の762mmにさえ及ばない。
おそらくは50cm台の幅しかないだろう。
とにかく、歩いて入る分には歩けそうだ…。
チャリだって、押せないことはないだろう…。
チャリを取るために坑口へと戻る。
人一人が屈んでやっと入れるスペースしかない坑口の様子。
もっと頑丈に封鎖されていることを想像していたが、施錠されていないばかりか、まともな扉でさえなかった。
もちろん、辺りには管理人や監視者のいる気配もなければ、そもそも、人里からは離れた山中である。
ちなみに、洞内に敷かれているレールは、洞外に3mほど引き出されたところで忽然と姿を消していた。
私が、いざ隧道の突破を狙ってチャリを引き入れる時に行ったことは、外に寄せてしまった扉を、出来るだけ元あったように入口にあてがうことだった。
扉を開けたままにしておくことは何かと問題もあろう。
そう配慮して扉を内側から何とか閉めようとしたが、もはや建て付けも限界まで悪化しており、扉で蓋をするので精一杯だった。
もちろん、最初は立て掛けられていた鉄パイプを元に戻すことは、内側からではとても出来なかった。
内側から扉を閉めても、建て付けの悪さ故明かりが漏れ入って来るのは、せめてもの救いだった。
自ら退路を断つ感覚は、気持ちの良い物ではない。
しかも、チャリを入れてしまったので、身軽さという意味では過去最悪である。
廃隧道にチャリを入れて突破しようなど、我ながら正気ではないなと、声を出して笑ってみた。
自嘲的に。
そんな無意味な笑いもまた、たった一人で、長すぎる暗闇に挑む不安感がさせたことだった。
正直に書くが、私は本当に自分がここを無事に出られないかも知れないと思った。
未知の酸欠という恐怖に、震えた。
本当に怖いのに、何で止めようという決断を下せないのか。
自分が情けなく思えた。
だから、本当に自嘲的な気持ちになっていた。
こんな事がしょっちゅうあるわけではない。
殆どの場面で、私はとても慎重で、臆病で、出来る限り安全に探索しようと努力している。
そうでなければ、今まで山行がを続けられずもう、死んでいただろう。
雑多な物が散乱する隧道内部。
中央のやや右寄りにレールが敷かれており、左側には胴体ほどの太さの鉄パイプが設置されていた。
これは、「送泥管」である。
入口傍の沈殿地に繋がっているようだった。
隧道内の出水を排水していたのだろう。
入って最初は小回りな左カーブになっているが、これを過ぎると後はもう、延々と直線だった。
直線に変わると、内壁の施工がコンクリートに変わった。
施工は昭和30年から32年に掛けてであるから、コンクリートの施工は当たり前である。
2−2 最終列車運行!
12:52
内壁のコンクリートの亀裂から覗いた、腐りきってさせ細った骨。
粗悪な鉄筋である。
そして、その腐汁が壁の表面にも析出しており、全体が茶色っぽく変色している。
そんな骨に括り付けられた針金とプラ板。
そこには、
「1700M」の文字。
なんか、すでに鉄臭いような気がするし…
…もう 帰りたひよ…。
あわわわわぁ…。
トロッコの残骸が壁に立て掛けられている。
これ以上原始的な形はないだろうというほどに単純な2軸トロッコ。
もちろん、洞床に敷かれた軌間に一致した車輪である。
錆びきっており、もはや動くとは思えない。
木製の台車も原型と殆ど留めていない。
この隧道の奥深くで私が酸欠で死んだら、おそらく何年先か分からないが、誰かが見つけるんだろうな…。
こんな姿になった、私の愛車を…。
私の亡骸と一緒に。
どうしても、話し相手もない私の思考は、極端にネガティブな結論を結びがちだった。
あーー。
足元のレールの上にも、トロッコが一両だけ載っていた。
まるで橇のようなデザイン。
台車の上に置いてあるトラロープは、何に使ったのだろう?
私は、半ば反射的にこのトロッコを、体重を掛けて押してみた。
ギギ…
ゴロ…ゴロ…
こ、 こいつ… 動きやがる…。
乗車完了!
出発進行!!
田代隧道トロッコ、
最終電車にお乗りのお客様は、私の愛車だった。
私は、押せば押しただけズルズルと動くトロッコにチャリを乗せ、押し始めた。
まだオイルが効いているようで、人の力でも簡単に動かせた。
悪いことをしている気がしたが、未知の体験への好奇心と、実質的なチャリを運ぶ労力の軽減を考えると、もう途中下車しようという気にはならなかった。
隧道内部には、照明と呼べる物が設置されていない。
しかし、電話の配線はあり、所々に黒電話も設置されていた。
電線らしきものもあるのだが…。
坑口には「1715M」そしてその先に「1700M」の札。
これが、出口までの距離を現していることは明らかだったが、余りにも数字が大きく、この数字が3桁に、そしてやがてふた桁になる状況をイメージすることは、まだ出来なかった。
そしてやっと、「1650M」と書かれた札が、現れた。
入洞から、すでに10分を経過した。
私は常日頃から濡れても良い足回りで探索を行っている。
以前は、濡れないように長靴を着用したり色々と工夫したものだが、散々濡れまくって濡れまくって辿り着いた結論は、
「濡れても良い装備」「濡れても冷たくない装備」というものだった。
これはすなわち、トレッキングシューズ プラス
ネオプレンプレーンソックス という組み合わせで達成された。
さて、この田代隧道内も、入洞から100mを前にして、大変な泥濘に洞床が支配されている。
その深さはすぐに靴を埋め尽くし、「じゅっぽじゅっぽ」という不快な音とヘドロ臭さが私の周りに充満し始めた。
問題は、足ではなく、トロッコだった。
写真の段階ですでに、チョコレートのような泥の海に枕木が完全に沈没し、レールさえうっすら見える程度になっている。
当然のように、押すのに要する力加減も急激に増し始めた。
田代隧道最終列車に、早くも危機が訪れていた。
2−3 エマージェンシー!
12:57
内壁の施工は、いつの間にかコンクリから、木に変わった。
ますますチョコレート色一色に染まる洞内。
洞床の泥は深さを増すばかりで、レールのある部分の両側には固形化した泥が山と積み上がり始めていた。
レールの上を車輪が回っているのが半ば奇跡的に思えたが、それでも、俯きながら、私は必死に押した。
もう、押すことしか考えなかった。
それが、どんな結果を呼び起こすかを考えないわけではなったが、ひどく他人事のように思えていた…。
そして、1600mの標識を見るまでもなく、その時は訪れた。
押しても進めず、一際重く体重を掛けた瞬間、左の前輪に浮遊感を感じた。
そして、次の刹那、得も言われぬ不快な感触が私の体を襲った。
脱 線
支えを失ったトロッコは泥の海に全ての車輪を脱輪させ、3cmほど沈み込んで、沈黙した。
私は、事の重大さに気が付き、トロッコの前に回って引き戻したり、色々と力を掛けてみたが、もう後の祭りだった。
びくりともし無かった。
トロッコを押すことも出来ないような泥の海に、私は、チャリなどを持ち込んでしまっていた。
これが重大なミスだと言わず、なんと言えばいいだろう!
それに、まずあり得ないとは思うが、もし対向列車が来たりしたら… 衝突事故になる。
いや、まあそれはあり得ないのだろうが… でも、生まれて初めて操作した列車を脱線させてしまったショックは、相当だった。
申し訳ない気持ちで一杯になった。
折角、生きながらえてきたトロッコを、私が、 殺してしまった。
このことが、私がこのレポの執筆と公開を今まで躊躇ってきた理由の、大きな一つである。
トロッコ列車に別れを告げ、チャリを地面に降ろした。
案の定、チャリを押す事がとても辛かった。
タイヤが10cm以上も沈んでしまい、押しても進めず、引きずり上げて進まざるを得なかった。
瞬く間に、私は粟のような汗を額にした。
冷たい風が通っていたはずの洞内が、生暖かく感じ始めたのは、この頃だった。
やはり、チャリを連れてきたのは失敗だった。
行動の自由度が大幅に制限される上に、退却を決めたとしても、もはや身軽ではないのだ。
それに、重い物を運ぶために多くの酸素を使ってしまう自分は、どうしょうもない。
まだ、入洞から200mに満たない。
今なら、引き返せる。
余りにも、この隧道には不確定な要素が多すぎる。
いまだかつて、1800mにも及ぶ廃隧道を突破した経験はないのだ。
まして、こんな異常な状況の隧道は、考えたこともなかった。
引き返した方が賢明だ。
せめて、チャリだけでも、捨てに戻ろう。
引き返す決断を下さなければならないのに、私は周囲の変化に目を奪われた。
内壁が、突如荒々しい素堀へと変化したのだ。
成形されていないままの岩壁は、まるでコンクリのように灰色で、それが地中深くの、普段地上の我々が目にすることのない岩であることを感じた。
それと同時に、やや足元の泥が浅くなり、再びレールが見え始めてきた。
魔が差すとはこういう事か。
私は撤収の決意を呆気なく撤回し、チャリを押したまま、さらに奥へと進み始めた…。
素堀の隧道を、赤錆びた鉄骨の支保工が支えている。
屋根も覆われており、そうでなくとも内壁に崩れたような痕跡は殆ど見られず、崩落の恐怖は感じない。
また、通常の隧道(林鉄隧道を含む)よりも一回り以上も狭いが、これについてはむしろ私にとっては味方する。
実は、この日は愛用の照明「
GENTOS スーパーファイア SF501」を忘れてきたらしかった。
この日の私の照明は、ミリンダ細田氏からたまたま借用していた小さなマグライトと、ホームセンターで以前に買った小さなヘッドライトだけだった。
これは、「SF501」の明るさに比べれば余りにも貧弱であり、もし隧道が広い場合は、全体に光が行き届かず、むしろ不安を感じるだろう事が想像できた。
私に関して言えば、狭いよりも、広い方が不安なのだ。
2−4 地の底 底の底
13:01
午後1時をまわり、1500mの表示が現れた。
行く手に何ら明かりが見えないのは当然としても、もはや振り返っても何一つ明かりは見えない。
匂いさえするような濃密な闇が、私が照らし出す僅かな空間の外の、すべてである。
徐々に、緊張感が緩み、得も言われぬ恍惚感が、私を支配し始めた。
私が久々に感じる、
極限の空気だった。
可能な限り素早く、そして出来るだけ酸素を消費しないように呼吸も浅くして、先へと進んだ。
酸欠で死ぬということは、聞くところによると、別に苦しいと思う暇もなく、即座に意識を失ってそのまま亡くなるらしい。
だから、「あ、苦しいな。 よし引き返そう。」などという事が現実的には不可能だといわれている。
それが、まさに背後に付きまとっているのに決して目で見ることができぬ死に神のようで、酸欠への圧倒的な恐怖感に繋がっている。
1450m地点。
ここは、本邦一の硫化鉄鉱石鉱山。
洞内の何もかもが、鉄分を含んだ地下水の涌出に冒され、エイリアンの母船の如き異形と果てている。
空気を吸うことさえ躊躇われる景色だった。
内壁に合わせ土嚢が積まれている、1400m地点。
こればかりではなく、洞内のそこかしこには、内壁の一部を交換したような痕跡が見られた。
そして、そこには交換年を示すと思われる「S」や「H」で始まる数字が記されている場合が多かった。
新しい物では、「H12」という物もあり、比較的最近まで、この隧道は管理されていたのかも知れない…。
全くの勘違いである可能性も捨てきれないが。
洞内の泥沼に、足跡らしき物見見られないし…。
ペースに乗って、ザックザックと歩みを進めていた。
…様な気がしていた。
最初の50m、100mがあんなに長く、永遠にさえ思えたのが嘘みたいに、一呼吸の度に50mずつ進んでいる
…気がした。
それは、この隧道が継ぎ接ぎだらけという意味では変化に富んでいるが、それさえ単調に思えるほどに真っ直ぐで真っ暗で、ひたすらに続いている事による、感覚の麻痺であった。
もはや距離あたりに撮る写真の枚数もめっきり減って、余計なことを考えもせず、淡々と歩いていた。
しかし、写真のタイムスタンプを見ると、1500mからこの1300mまでの200mに4分を要しており、時速は3km/h。
決して早足でもなければ、むしろゆっくり歩いている速度だった。
地中の人となって20分。
すでに私の自我意識は、莫大な質量で取り囲む地殻と融け合い、ひどく曖昧になりつつあったのかも知れない。
隧道の全体行程の三分の一。
入洞から600mの地点である。
このまま、何事もなく通り抜けできるのではないかという淡い期待が、祈りのような心境の中に芽生えた。
ここまで進むと、地下水の量も少ないのか、泥も引けており、赤茶けてヨレヨレになったレールの下には、木製の枕木がはっきりと現れていた。
天井が低い!
さすがに息苦しい。
息苦しいよ…。
え 、この息苦しさッ…?!
遂に、地球の肉に こんにちわ。
全面素堀と化した隧道は…
のこり1200m