田代隧道   最終回 
公開日 2005.12.31



 窒息隧道の恐怖!!
 2004.12.15

4−1 窒息隧道の恐怖!!

13:16

 私は、足元の深い泥沼から発せられる、炭酸の弾ける音と、沸き立つ泡に気が付き、背筋が凍った。

何かのガスが、泥から発生していた。
それも、私が足元の泥沼に足を入れかき回すと、初めて泡が立つ。

 周囲の金属の異常とも言える腐食ぶりを見れば、隧道内の地下水や空気が酸性を帯びている事が、想像できた。
しかし、こうもはっきりとガスの沸き立つ様を見せられると、冷静でいろと言うのが難しかった。



 私は、奥へと進んだ。

なかば、反射的にそうした面もあった。
狭い洞内でチャリを方向転換する面倒さ、もちろん時間的なロス。
これまで辿ってきた洞内にも、泥沼が何度もあった。
今戻れば、私が通ったことによって攪拌されガスの発生が活発になった事により、狭い洞内に有毒なガスが充満している恐れもあった。
隧道内には、僅かだが、行く手から風の流れがあった。

 今は、前に進んだ方が安全だ。

私は、咄嗟にその結論を導いた。


 呼吸したくない気持ちが顔に出て、口を真一文字に結んで鼻で呼吸した。
出来る限り早足に、チャリを押し進んだ。
走れば泥を不要に巻き上げてしまう。それは危険だ。
発生しているガスはおそらく、…重いガスだ。
不用意に身を低くしなければ、安全なはずだ。 しばらくは。


 泡の発生に気づいたのは、ちょうど隧道の中間地点である、900m付近だった。
そして、私はそこから暫く、写真を撮るために立ち止まることもせず、黙々と進んだらしい。写真がない。

次に写真が撮られているのは、850mの表示の辺りからだった。
この写真を見ると、洞床の泥沼はだいぶ浅くなっている。
まるで継ぎ接ぎだらけで、物語の中に出てくるヨーロッパ中世の鉱山の様だが、こんな隧道を旅客運行していたのだ。
無論、当時は近代的なジェット送風装置などはなく、酸欠事故はすぐ傍にある死だったのだ。

 私もまた、地底の隧道からはおそらく遠くない、地の底の獄へと滑り落ちるところだったのかも知れない。

…もう、後ろには、戻りたくない…。



 やっと半分を過ぎ、出口に向かう方が近くなった。
それは何故か私に活力を与えたが、冷静になって考えれば、一番取り返しの付かない危険な場面は、どちらの坑口からも1km近く離れた、この辺りだったに違いない。

 廃隧道とはいえ落盤の恐怖は一度も感じなかったが、とにかく、空気だった。
通常、大気中には21%の濃度で酸素が含まれているが、これが18%になると、工場などでは酸欠注意を表示する義務づけがある。
15%以下になると様々な体の変調が起こり、一桁となればいつ卒倒し、死亡してもおかしくはない状況となる。
毎年、酸欠事故で何人もの方が亡くなるが、その大半が、地中のマンホール工事や、洞窟の中など、地面の中に関係している。
隧道内部を専門にしているような「山行が」の中で、まだ一度も酸欠に関する事故が起きていないのは、十分な対策を講じていない以上、 たまたま なのかも知れない。



 事故が起きてからでは遅いので、これ以上隧道内部探索をエスカレートするなら、然るべき対策を講じる必要があると感じた。
そして、2005年はその準備が整わなかったので、鉱山関係には足を運ばなかったというわけだ。
…一般的なトンネルや、閉塞していない隧道、仮に閉塞があっても空気の流れがあったり、低温であるなど 腐性ガスが貯まっていなさそうな環境ならば、おそらく危険性は低いと思われるが…。
こと、鉱山関係に関しては、この田代隧道の一件以降、私の中で酸欠事故が他人事ではなくなった感がある。

 写真は、すっかり泥沼から脱した850m表示のある場所。
もう、安全なのだろうか…。




 洞内では、多くのことを考える精神的な余裕はなかった。
単純に、得体の知れないガスが出たから逃げなければ、そんな気持ちだった。
 しかし、こうしてレポを書いていると、もう1年も前の事だったのもあって、真実を知りたいと言う気持ちになる。
あのガスは、なんだったのか?
間違いなく、見間違いではない。

 この鉱山は、当初、硫化鉄鉱を産出していた。
そしてこの硫化鉄鉱は、硫酸の原料である。
硫酸は、粘性のある酸性の溶液で、その酸性度は強くはないが、体に触れると火傷のような症状が出る場合がある、不揮発性の危険な液体である。
広く工業用に使われており、例えば秋田県の小坂鉄道は現在、(ほぼ)硫酸専用の貨物路線である。
そして、水に溶かすと発熱する特徴がある。

…私がずうっと洞内で感じていた、外気よりも温かいようなポカポカは…。
地熱などではなく、もしかしたら…。

ただ、気泡となって生じたガスは、おそらく硫酸とは直接関係が無く、むしろ粘性の高い硫酸が大量に含まれたヘドロを攪拌したために内部に貯まっていたメタンガスか、一酸化炭素の気泡が現れたものだろう。

 いずれにしても、致死性のある毒ガスだが。

ともかく、低い場所に充満する性質はいずれのガスにも見られ、速やかに先へ進んだのは正解だったと思われる。
(複数人で探索してなくてよかった…)



 洞内では、いまだガスの恐怖と格闘する私がいた。
洞床にガスを発生させる液体状のヘドロは無くなったが、さらに粘性の高い、キャラメルのような泥がレールを埋め尽くすほどに堆積しており、チャリを執拗に足止めした。

 私の動転ぶりがうかがえるのが、、左の写真だ。

何かの拍子に手に持っていたマグライトを落とし、危うくそのまま立ち去るところだった。
頭にはヘッドライトを付けていたので、気づかず30m位歩いてしまった。
たまたま振り返ったので、「なんだあの光は!」となって取りに戻れたのだが…、30mとはいえ、引き返すのに気が気でなかったのを覚えている。




4−2  足元に絡みつく 死の影 

13:25

 標題は少し大袈裟かも知れないが、ともかく現地にいる私は、早く外へ出たくて出たくて、執拗に絡み付く泥が、敵愾心をむき出しにした怨霊のように感じられた。
無理矢理そういう話しに持って行けば、この隧道工事でこそ人死にがでなかったとはいえ、青森県第二のミステリースポット(第一はもちろん、杉○村だ?!)に上げる人も少なくない上北鉱山。
開発の歴史は決して長くないが、国策鉱山として朝鮮人労働者や、戦中は敵国の捕虜達が酷使された鉱山だ。
タコ部屋や人柱の噂には事欠かず、怨念浅からぬ地なのである。

 ゴメン、上の話なんて探索中には知らなかったよ。
とにかく、ガスが怖くて怖くて、はやく、一秒でも早く外の光が見たかっただけ。
それなのに、ここの泥と来たら…。
写真を見て欲しい。

こんなんじゃ、車輪は回りはしない。
実際、私は回らなくなった前輪を諦め、太ももに泥が付くのを躊躇わず、チャリの前部を抱いて進んだくらいだ。
同じく回らない後輪は、引きずった。




 自分撮りをしている余裕なんてあったのかと突っ込まれそうだが、山行がを長い読者様なら知っているだろう?

私が、命の危険を感じるとほぼ必ず、自分撮りをすることを。

辞世の句ではないし、遺書なんかではないのだが、ともかく、万一に備えて何かを残しておきたいと願う現れなのかも知れない。

 額に注目。
白くテカっているだろう。
これはすべて、汗だ。
12月中旬、標高700m、雪の積もり始めた八甲田の山中。
隧道内地中1000mで汗を垂らす私の姿は、さながら、鉱夫そのもののようだったに違いない。


 頑丈そうな半円形の金属アーチに支保され、アーチとアーチの隙間を鉄板が埋めている。
隙間からは白っぽい岩盤が見えていた。

700m地点


 入洞からもう2分で45分を経過する。

 650m地点。



 これまで以上に幅広の素堀となった。
送泥管が無ければ複線にも出来るだろう。
そういえば、この隧道には鉄道隧道に例外なく見られる待避口が存在しない。

 600m地点。
やっと、残り三分の一。
しかし、未だ出口の光は見えない。



4−3  失われた 坑道

13:32

 今までとは明らかに違う字体で描かれた、500m標

前人未踏の“チャリによる”田代隧道制覇が、いよいよ現実味を帯びて感じられてきた瞬間だった。

鉄道の通っていた隧道であることを考えれば、この先幾ら下り勾配があったとしても、進めないほどの水没は考えにくい。

行ける! 行けるゾ!!








なんだここは!

突如現れた、これまでにない広い空洞。

素堀の隧道が、右側に大きく膨らんでいる。
そして、そこにはなにやら、木材で組み上げた、何か が。


 木製の木組みは腐食が酷く、原型を留めていない部分が多い。
残っているのは、金属の支柱ばかりだ。
そして、その金属の棒には、今まで見たことのない、褐色をした碍子が、幾つも取り付けられていた。

 これまで、全く感じられなかった、電気の痕跡が、ここで初めて現れた。
碍子だけではない。
もっと大きな、電線の束のような物が取り付けられた、キノコ型の物体もある。
電線は物体から離れるとすぐに途切れ、それがなんであったのかは分からないが、ここに何らかの巨大な電気機械があったことは間違いないだろう。

 


あー!

よ、横穴を埋めた 跡!

森吉5号隧道で見た、あの景色が蘇る。

間違いなく、瓦礫によって横穴が埋め戻されている。
ちょうど、広くなった部分の横っ腹だ。

ここには、未だ知られざる洞内分岐が、かつて存在したのだろう。
分岐地点に置かれた巨大電気設備の跡とも、きっと無関係ではないはずだ。
はたして、何がこの先にあったのか…・。

閉塞は密であり、その先を覗くことさえ叶わなかった。
おそらくは、永遠に闇の中だ…。




 けっして、手の内を全ては明かさぬ田代隧道…。

山行がの誇る“大ネタ”の条件を見事に備えているな(笑)

ただ、再訪問は、おそらく無い。


 泥に枷をはめられて自走困難となった我が愛車。
未だ路面は泥深く、スタンドもないチャリなのに、自立していることに注目。




 まだ、カウントダウンには早いだろうか?

 のこり 300m。


 素堀になって、250m標。

木製の朽ちた支柱に碍子が一つ取り付けられていた。

洞内で、分岐地点より田代側では碍子を見ることはなかったが、その鉱山側では碍子が散見された。
洞外から電線を引き入れていたのだろうか?
となると、分岐地点にあった装置は変電設備か何かで、横穴坑道内に電気を送っていたのかも知れない。





 静けさを取り戻し、

 のこり 200m。


 いよいよ地表が近づいているはずだが、地質があからさまに変化した。
これまでは主に白っぽい砂礫岩で、所々は血のように赤い、鉄分を多く含んだ岩盤だった。
 それらに増して堅そうな岩盤が現れた。
洞内の闇の色を吸収したかのような、漆黒色の岩盤。
叩けばこつんと音が鳴りそう。
カメラのフラッシュを反射して光るその岩は、まるで石炭のようだが、ここで石炭を掘っていたという記録はない。
硫化鉄鉱山では併せて磁鉄鉱という、その名の通り磁力を含んだ鉄鉱石も採掘される場合もあるそうで、これがそうかも知れない。

 もしそうなら、ここにいるだけで肩こりが治りそう〜♪




4−4 生還への カウントダウン 

13:42

 あと3分で、なんと入洞から1時間を経過する。

すでに、連続隧道内探索時間の山行が記録を更新中である。


しかし、ここは隧道。
入口があれば、出口もある。
無ければ困る!


 101…100…99…

生還へのカウントダウンが、隧道自身によって始まった。




 このカウントは洒落で作られた物ではなく、どうやらアーチ状の支柱全てに一つずつ振られているようだ。
だから、1mに一つというわけではない。
例えば、今から45分も前に脱線事故を起こした場所は、天井に「692」の札が取り付けられていた。

 だが、距離標の方も負けじと、100mを刻んだ。
両者の数字は、偶然にも競り合っていた。

そのどちらもが、最後は、ゼロになり。

 …私は解放されるのだと、 信じた。



 相変わらずめまぐるしく洞内の様子は変化した。
まさに、継ぎ接ぎだらけの隧道と呼ぶに相応しい。

外界が近いせいか、洞内の靄が一段とひどくなった。
気が付けば、全身の汗も顔や首筋から冷え始めていた。





 来た! 50m!

始めの頃は夢のようだった、二桁。


あともう、たった50m。

やった! 突破できるぞ!!




 ますます濃く、粒子の一つ一つが見える霧。
視界は、かつて無く悪化していた。

 だが、原因がそればかりとは思えない、ある問題が、私の脳裏を過ぎった。







まだ


出口の明かりが見えないのって、

おかしくない?!




 ガクガクブルブル

  ガクブルブルブル…


 ガクガクブルブル

  ガクブルブルブル…


 …29…28…27…




 オイ … 嘘だろ…。






 …19…18…17…

 


 うっ、嘘だ!



嘘だ! 嘘だ!嘘だ!!


嘘だと言ってくれ〜!





 確実に、のこり20m以内。


 しかし、出口の明かり、未だ微塵も見えず…。







のこり20m










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