2018/10/27 9:03 《現在地》
昨日とはうって変わって、本日の七尾湾周辺はやや荒れた天候になっていた。
北風が強く吹いており、内湾である七尾湾にも風波が立っているのが見える。また、ときおり突発性の強雨があって、ここまでも何度か降られていた。
現在地は、此ノ木と上三室の中間付近の県道246号線上で、あと少し北上すると上三室集落だ。
そこで海岸の県道を離れて入山する予定だが、山の中はとても湿っているはず。コンディションは悪そうだ。
なお、探索の足は例によって自転車である。
12:09 《現在地》
ごく小さな岬の基部を越えると、目の前に上三室地区が広がった。
山に三方を囲まれた入江のような地形だが、海面はほとんど湾入していない。海岸に集落があって、その後背の細長く続く低地には綺麗な水田が広がっている。
私が目指すのは、この低地の奥だ。谷を遡りきった先に隧道があるはず。
地図通りの位置に、県道から分岐する入口があった。
傍には蓮照寺という立派なお寺があり、寺銘を刻んだ巨碑が入口の良い目印である。
私がこの入口で欲したものは、ここより始まる道の素性を教えてくれるアイテムだ。
たとえば、道標とか、路線名を書いた標識とか。
だが残念ながらどちらも見当たらず。
また、舗装は入ってわずか30m、鐘撞き堂の前で唐突に途切れて、いかにも農道っぽい未舗装路が始まった。
目指す隧道まで、推定残り1.6km!
入口から250m地点で、地形図にも描かれている丁字路を通過。
そこから低地は急に先細りになって、路上の轍も明らかに減った。
なお、道の両側には電気柵のケーブルが張ってあり、野生動物の出没が多いことが窺われる。秋田辺りはこういう風景はあまり見ない。
(チェンジ後の画像)さらに250mほど進むと、道が一段階狭くなり、轍もいよいよ怪しく薄く。
そして、前方に赤白のガードパイプ柵が横並びに立っているのが見えてきた。
地形図に描かれている小さな沼は、どうやら溜池のようだ。
9:13 《現在地》
あ〜、 はい……。
まあ、そんな予感はしていたが、溜池の先は草ボウボウであった。
事実上の廃道であるようだ。
しかも、無造作に電気柵が路上を横断していて、開閉する扉もないので、自動車はこれ以上進めない。
私は自転車を担いで、先へ進んだ。
隧道まで、あと1km。
溜池は現役の施設だが、その脇の道は放棄されている。
ただ草が生い茂っているだけではなく、路肩がずり落ちてガードレールが宙ぶらりんになっている場所もあり、廃道だ。
最新の地理院地図はこの状況を正確に反映していて、溜池から先は徒歩道の表現になっている。
だが、平成10年版の地形図は隧道近くまで軽車道として描いていた。(本当にその頃まで使われていたかは分からない)
見るからに自転車を持ち込まない方が良さそうな雰囲気を感じたが、隧道までの距離が1kmほどとさほど遠くないことと、隧道は現役という事前情報を信じて、このまま進むことにした。
泥濘や倒木のために完乗(完全乗車)という訳にはいかなかったが、小さな溜池なので、ものの数分でバックウォーターへ到達。
その先には、いよいよ谷と呼ぶべき狭さとなった低地が、なおも続いていた。
もはや耕地はなく、鬱蒼としたスギの植林地だったが、明らかに手入れは不行き届きだった。
(チェンジ後の画像)自転車のタイヤの大きさに匹敵するくらい太いスギが、まるごと倒れて道を遮っていた。
水が集まる谷の中に入ったせいで、どこもかしこも泥濘み方が酷い。
今さら足を濡らしたくないなどとは言わないが(でも思っているよ)、ぐじゅぐじゅと不快なうえに、乗車して進むことが困難になってきた。
9:26 《現在地》
進行ペースは一気に衰え、溜池から300mほど進むのに15分近くを要した。
とはいえ着実に進んでおり、気付けば大字三室町から大字大田町へ入っていた。
昭和14(1939)年までは、それぞれ鹿島郡大田村と同郡崎山村といった。その後は共に七尾市の大字である。
ここには谷を潤す小川に架かる暗渠があり、道は右岸から左岸へ移る。
これまでも一度暗渠で川を跨いでいて、これが2度目だった。
脇に苔生した土管が放置されているのを見たが、昔ここで使われていたものなのか、それとも更新しようとして持ってきたもののそのままになったのか。
道は谷底を通っており、川とは1mほどの落差しかない。
しかし、ブル道のような雑な土工ではなく、ところどころに石垣の護岸やコンクリートの護岸が、半ば崩れながら残っていた。
かなり古い時期から道はあり、そしてコンクリートが一般的になった後も維持されてきた道であることが感じられた。後年は自動車道だったはずだ。
非常に地味な道ではあるが、隧道へ辿り着こうとする意思を感じる。
9:31 《現在地》
入口より1km地点に到達したところで、ぱあっと谷が開けた。
即座に嫌なものを感じ取る私。
旺盛な草藪で、道がほとんど見えていないではないか!(涙)
この山間に開けた……というほど広くもないが、植林されていないこの土地は、比較的最近までは水田だったはずだ。
地理院地図は、いまも水田のように描いている。
しかし、実際は放棄されてから5年や10年どころではない時間を経過していそうだった。そうでなければ、大きな災害で一気に荒廃したと思うくらい、藪は深かった。
そして、この辺りの水田が荒廃しているという事実は、私の探索目標の現状についても、大きな不安を突きつけてきた。
地図を見る限り、この水田は隧道が現役であるための重要な根拠地だ。
いま通ってきた谷道が荒れている以上、隧道から訪れるよりない水田なのだ。それが使われていないとなると、隧道が存続する意味の“半分”は失われたのではないかという心配が。
ちなみに、想定しうる“もう半分”の意味は山仕事だが、今のところその線も薄そう。山も荒廃している。
ともかく、隧道まで残り500m!
大丈夫か隧道は!
今回は、特に現役であることを望む!
げーきーぬーまー!
激沼地帯だ!!!
休耕田は、廃道探索の舞台としては、最悪の部類である。
歩行だけでも嫌になるが、この自転車の野郎が、マジで足手まといである。いったいいくつ(歳)になったら俺は学習出来るのだ。いや出来ない。できないのである。出来ないからには、無理矢理押し込んで突破するよりない!!!
(チェンジ後の画像)うんざりしかしない猛烈な藪。
いわゆるマント群落化している。
一応道は左端の山際に付いていて、地山が人工的に切り取られて垂直に近い法面が出ている。
そこに沿って通るのが正解だが、それでも障害物と泥濘の連続で、波動拳ッ波動拳ッ波動拳ッしょーりゅーけんッたつまきせんぷーきゃく!
(←)
ビリビリーッ!!
酷いことが起きているッ!
この藪は、ただの草藪じゃない! イバラが混ざりまくっている!
おかげで私の雨合羽は、ものの数秒でぼろきれ以下になってしまった。
(→)
このままでは、早晩に“脱衣KO”ということもあり得る展開だが、そこはさすがに百戦錬磨の私だ。
弱いのは雨合羽だけで、その下には既に汗と水蒸気で内側からびしょ濡れの探索着が身につけられており、こちらはそう簡単には破れない。
というか、なぜこの探索でわざわざ雨合羽を着たのか自分でもよく分からない。むざむざと死なせてしまった感じが強い。すまん。
9:46 《現在地》
忘却の稲作地帯は、地形図の水田記号の範囲通り、道のり約200mで途絶えた。途絶えてくれたッ!
再び谷が狭まり、鬱蒼としたスギ植林地が始まると、藪も大人しくなり、雨合羽を失った私がそこに出てきた。
結果的に、約200mの廃耕地突破に15分を要していた。時速わずか0.8km/h。この数字が厳しさを物語る。完全に自転車が余計だった。(しかも、どこかでイバラのトゲが刺さったらしく、後ほどパンクが発覚するというオマケ付き…)
わざわざこの裏回りルートを試してみようとしなければ、もうとっくに隧道を極めていたはずだ。
……という恨みもないではなかったが、そこは厳しい中にも癒やしもあって、食べ頃に色づいたアケビを路上に発見。
思うままに食らいまくり(たしか4つ食った)、体力回復を図ったのだった。
しかし、アケビよりも嬉しかったのは、ここに来て突然道が良くなってきたことだ。
もともとの道の質は変わっていないと思うが、あまり荒れていない。
つまり、隧道側からの手入れが及ぶ領域に入ったのではないかという気がする。
隧道が最近まで機能していたことを、期待して良さそうな展開だった。
繰り返すが、今回の隧道は特に現役であって欲しかったのだ。
(ここで閉塞していたら、引き返さなければならなくなるというのもその理由だが、それ以上の理由があった)
9:56 《現在地》
入口から1.3km、隧道まであと300mのところに、分岐地点。
とても森閑としており、水の音も鳥の声も静まりかえって、薄暗い。
ここは地形図にも描かれている分岐で、隧道は右折だ。
左は山道で、崎山半島の中央分水嶺を越えていくようだ。
少し前から道路状況が改善しており、新しい轍こそ見当たらないが、乗車して進めている。
一時はどうなるかと思ったが(そして予想以上に時間を要したが)、あと一息で裏側から隧道に到達できそう!
相変わらず緩やかな上り坂だが、もはや私の足を止める荒廃はなく、吸い寄せられるように奥へ、奥へ…。
もういつ隧道が見えてきてもおかしくはないぞ。
6年前に教えられ、しかし4年前に全く見当違いな場所を探索してしまい手痛い敗退を食らった此ノ木隧道が、間もなく出る。
現役であるかはまだ分からないが、現役であれば非常に珍しい構造の隧道だ。
9:58 《現在地》
あった! 隧道!
あ…わわ…