日本海側最大の半島である能登半島が、その中央部に抱きかかえる七尾湾に、能登島が浮かんでいる。同島は、面積が約46平方キロ(東京都江東区より少し広い)ほどで、北方領土を除いたわが国では第37位の大きな島だ。
近世には加賀藩の流刑地になっていたこともあるなど、かつては離島であったが、昭和57(1982)年に初めて本土との間に架橋が完成し、現在は離島振興法の対象ではない本土の扱いを受けている。
しかし、人口は昭和30年代頃までは6000人以上もいたが、平成20年代には3000人台に減少しており、離島同様に減少が顕著である。
今回は、この能登島の間近(島内ではない)にある、“ちょっとした県道” を紹介したいと思う。
ちなみに、当サイトにおける能登半島のレポートや石川県のレポートは、今回が初めてだ。
今回紹介するのは、石川県道256号長浦小牧線だ。
七尾市内で全線が完結する約3.4kmの短い一般県道で、番号一つ違いの県道255号長浦中島線と合わせて、能登島の西側に面する本土側小半島部分の沿岸路線を形成している。
だが、この県道のうち起点側の約1.2kmは、多くの地図で狭く描かれているうえ、行き止まりのいわゆる“袋小路線”になっている。
さらに興味を惹くこととして、この行き止まりの狭路区間のすぐ傍には、十分な広さを持った“無色”の道路が存在していて、これが「ツインブリッジのと」という橋で、島と本土を結んでいるのである。
「ツインブリッジのと」は、前述した昭和57年開通の橋ではなく、平成11(1999)年に開通した能登島“第2の橋”であるが、県道256号の新道として最高にお誂え向きの位置にあるように見えるにもかかわらず、県道はこの太い“新道”に絡みつく糸くずのような頼りなさで、行き止まりの長浦集落に終っているのである。(路線名的には、その行き止まりが起点であるが)
以上のことに興味を惹かれ、なんとなく面白い景色を見れる予感がした私は、自身の2度目の能登遠征の2日目に、ここへ立ち寄ってみた。
2018/10/26 10:40 《現在地》
能登半島の北半分を周回する国道249号から、県道256号は分岐する。
分岐地点の地名は七尾市中島町小牧で、長浦小牧線という路線名からも分かるように、県道256号の終点でもある。
写真は国道249号の北行き方向から見た同分岐地点であり、行き先として「長浦4km」とだけ記した県道名のないシンプルな青看が設置されている。信号機などはない。背後には青い七尾北湾の海面越しに、この半島の細長い陸地の続きが、低い緑の稜線となって見えている。
チェンジ後の画像は、右折して県道256号に入った直後の風景だ。
2車線+歩道の理想的道路としてスタートし、特に違和感を憶える要素はない。また、すぐに“ヘキサ”が出迎えてくれた。ヘキサには補助標識がないため少し淋しい印象もあるが、石川県ではこのような補助標識のない県道標識をよく見たので、一種の地域色かもしれない。【福島県道のヘキサ】とは対極だ(笑)。
「終点」から県道256号の旅をスタートさせた(もちろん足は自転車)私だが、全体の3分の2ほどにあたる2.4kmほどは、特に私が紹介するような要素のない道路だと予想していた。私が気になっていたのは、後半の約1.2kmの区間である。
だが予想に反し、スタートから約800m進んだところで、こんなもの(→)が現れてしまった。
突然現われたこの青看。
道路マニア的に、つっこみどころが2つはある。
県道よりも臨港道路が太く立派に描かれていて、県道は明らかに頼りなさげである件と、県道であることを示すヘキサに、わざわざ「県道」という青看では本来不要な文字が入っている件。
このイレギュラーな要素を含む青看の直後に現われた、実際の道路風景は…↓
10:47 《現在地》
この場面、先に青看で教えられていなければ、全員が左の道を県道と思うだろう。
県道はこの深浦集落の狭い路地に指定されていて、その海側を埋立てて作られた2車線道路は、県道ではなく臨港道路だという。(臨港道路とは、港湾法により定められた港湾施設の一種で、県道のような道路法による道路ではない。旧運輸省管轄。)
手元のスーパーマップルデジタル(Ver.18)(→)はすっかり騙されていたし、地理院地図は県道の位置自体は正しいものの、実際のメインストリートとなっている臨港道路の存在を描いていなかったので、やはり不正確な表記であった。正しく描いている地図としては、グーグルマップの存在があげられる。
県道256号の深浦集落内は、全線にわたってこのような狭路だ。
通過交通はみな臨港道路を選ぶので、県道はこのように車1台分の幅しかないが、対向車で困る可能性は低そうだ。
また、狭いとはいっても常識的な狭さであり、地方の県道では未だ「珍しい」とまでは言えない道路風景である。
それに、臨港道路自体も決して珍しいものではないし、それが県道より立派であることもまた、珍しいわけではない。
先ほどの青看の存在が、ここに私の奇異の目を向けさせる唯一の要素であった。
なぜ、わざわざ県道が集落内にあることを主張したのか。
あのような、県道のザコさ加減が嫌に悪目立ちする青看で(苦笑)。
県道と臨港道路の並走は、付かず離れず約400mにわたって続き、集落の家並みが途切れると同時に合流を迎えた。
臨港道路はこれで終わりで、ここからはまた県道だけである。
合流地点の線形も、臨港道路が後付けであることを如実に物語っていた。
ガードレールやゼブラゾーンを上手く配置して自然と臨港道路へ車が流れるように作ってはいるが、道形自体は県道が直進で、臨港道路へは直角右折進入である。
かつては、運輸省が管轄する臨港道路と、建設省が管轄する道路法の道路は、縦割り行政の弊害といえるような連携の悪さがあったかも知れないが、両省が一つの国土交通省となってからそれなりに時間が経過した今日、道路地図を惑わせるようなこうした利用実態との“ねじれ”は、次第に解消されているのだろうか。(道路趣味的には、あまりに一元的でシンプルすぎる道路世界は単調かも知れないが…。)
11:03 《現在地》
国道249号から2.4km進んだこの鹿島台というところにある十字路から先が、私が気になっていた県道256号の区間である。
ようするに、ここからが本題だ。
実際そこへ行ってみると、十字路が前方に現れ始めるとほぼ同じタイミングで、くたびれた「+形道路交差点あり」の警戒標識が現われた。
標識柱に「256」のヘキサと、「石川県」のシールが貼られており、ここが県道256号であることを確かにしている。
しかし、この方向から交差点に進入する場合、ほかの案内物を目にすることはない。
ゆえに…
県道256号がここを左折することを、現地の情報から知ることは難しい。
いわゆる“険道”的なジャブを、軽く食らった形だが、事前に地図を1枚用意してさえいれば、ここの突破は何ら難しくない。
この十字路を手前から来て左折するのが県道256号で、直進すると県道255号長浦中島線である。ここはこの県道の起点でもある。
いま書いた、県道256号と県道255号の位置関係をよく憶えたうえで、この先の展開を見て欲しい。そこに、重大なやらかしがあることに、気づけるだろう。
では、左折する。そして、
石川県道256号、“問題の区間”へ入る!
が、左折してもそこにあるのは、これまで同様何の変哲もない2車線舗装路だ。
そして、これは想定通りである。
というのも、この左折した道は、国道249号と「ツインブリッジのと」を連絡する道路であり、今までの県道などとは比較にならない交通量がある。まともな道でないはずがなかった。
左折すると、50mほど先にこちらに背を向ける青看を見つけた。
つまり、能登島方向からこの十字路に侵入してくるときに目にする青看なのだが、この表示内容に、重大なやらかしがあった。
ずばり、この青看は、県道番号が間違っている。
右折が県道「255」号線になっているが、そこは私が通ってきた道であり、正しくは県道「256」号線である。
本当の「255」号線は左折方向であるのだが、そちらには矢印がなく、行き止まりのような表示になっている。
この青看は、平成11年のツインブリッジ開通と同時期に設置されたものと思われるが、当時既に県道は現在と同じ配置であったから、明らかに県道番号の誤記と思われる。
以来、毎日多くの車が通行しているこの道で、誰も間違いを指摘しなかったのだろうか。
こんなところにも、「ツインブリッジが通れればそれで良く、脇道の県道番号が255でも256でも別にいい」というような、県道に対する等閑視があるような気がしてならない。
青看のこのような堂々たる誤記は想定の範囲外だったが、この直後、いよいよ私が事前に地図上から予想していた、県道256号の奇妙な区間が始まりを迎えるのだった。
11:06 《現在地》
左折から約100mで、こんな分岐地点が現われる。
行き先が異なる2本の道の分岐というよりは、新旧道の分岐っぽい光景だが、「スーパーマップルデジタル」およびグーグルマップは、どう見ても“廃道になった旧道”のようにしか見えない左の道を県道として描いているのである。
ただし、地理院地図は直進を県道としており、地図によって意見が異なるのであるが、とりあえず左折してみようと思う。
左図は「スーパーマップルデジタル」の表記を示している。
左折する道を県道として描いているというのは上記の通りだが、ここを左折しても約300mで直進の道と再び交差することに注目して欲しい。
したがって、左折は単なる迂回コースでしかない。
このこともまた、2本の道が新旧道のように見える原因なのだが、実際にも直進の道ばかりが利用されていて、左折の迂回ルートを使う人は、ほぼ皆無であるようだ。それゆえ、封鎖されていないにもかかわらず、かなり廃道然とした入口になっているのである。
そんな哀れな県道に、左折する!
左折すると、まるで廃道同然の道が待ち受けていた!
地図の表記や、封鎖されていない事実から見るに、法的には現役の県道である可能性が高いように思われるのだが、道路管理者である中能登土木総合事務所はもう管理する気がないのか、道の両側から覆い被さってくる植物が全く除去されておらず、舗装こそされているものの、廃道同然だ。
しかし大きな障害物はないので、植物に擦られるのが嫌でなければ、四輪車での通行もまだ可能だろう。
写真は、入った直後に振り返って撮影したもので、変則丁字路の警戒標識が映っている。
注目は標識柱に貼られた「石川県」のシールである。
この道が確かに一度は県道であったことを示唆している。
現在の県道指定については、地図によって表記に差があるので確信が持てないが、少なくともツインブリッジが開通する以前は、この道が県道256号だったと断定して良いだろう。
進むとますます緑が濃くなり、道として残された幅は1車線分にも満たなくなるが、依然として舗装は存在している。降り積もった落ち葉が腐葉土になって植物を涵養した結果が、この光景である。もともとの道幅は5m前後あり、路肩には「石川県」と書かれたデリニエータも点在していた。
この状況を見て、「通行止めではない現役の県道だ」と判断する人は、まずいないだろう。
本当に、現役の県道であるのか、県道の旧道であるのかについて、はっきりしないところが残念だが、もし地元の読者さんがおられたら、最新の道路台帳か管内図を確認してくださるとありがたい。
あと繰返し(強調)になるが、封鎖はされていない。
このまま濃ゆ〜い廃道探索がはじまるかといえば、そんなことはなく、わずか300mほどで、道は再び明るい場所へ戻っていく。
既に述べたとおり、先ほど分かれた新道のような2車線道路と再び交わるためである。
この再度の合流地点の直前にもまた、十字路を予告する警戒標識があり、標識柱には「石川県」の表示があった。
この十字路が完成した以降も、この道が確かに県道であった証しと思われる。
また、この直前の辺りから、巨大な構造物の先端部分が、前方の樹上に見え始める。
それはコンクリートで出来た2本の塔で、正体不明といいたいところだが、地図を見ればそれが残り500mほどにまで迫った「ツインブリッジのと」の主塔であることが容易く予想できた。
ここから、間もなくまみえる“海橋”の勇姿を想像することは、私に少なからず興奮を与えた。
そしてこの壮大な海橋は、足元にあるこの県道との間に、さぞかし鮮烈なギャップを描き出してくれるだろう。
そこに印象的な道路風景の存在を思い描いたから、私はここへやってきたのだ!
いま、この探索への期待感は、最高潮に達している。
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