隧道レポート 小坪のゲジ穴  前編

所在地 神奈川県逗子市小坪
探索日 2007.3.31
公開日 2007.8.28

 私は、東京に移り住んだ地の利を活かし、月に一度くらいは千代田区九段下にある国土地理院関東地方測量部というところへ通っている。そこでは、これまで発行されたほぼ全ての地形図を閲覧することが出来るし、気に入った物があったら一枚500円でコピーを購入することが出来る。

 これから紹介する隧道は、そうした地道な活動の中で見付けた小さな廃隧道である。


周辺地図周辺地図

 左右の地図を見比べてみて欲しい。

ここは、三浦半島の付け根に位置する逗子市北西の小坪海岸で、地図の左上の市街地は鎌倉市の一部である。(半島内での位置図はこちら
この地名を聞いて、“出る”スポットの最古参としてマスコミにも度々登場し、余りに名前が売れてしまった「小坪トンネル」を思い出した人もいるだろう。
確かに、この小坪地区には“アノ”トンネルが存在する。
だが、今回の本題はそこにはない。

 右の地図には、その一部を拡大したものを書き加えているが、今回表題の“小坪のゲジ穴”は、その中に描かれている。
そして、同じ部分を現在の地形図と比較してみると、確かに消失していることが分かる。



 そこに何が有るのか、 或いは無いのか。

これを確かめるべく、三浦半島一円を舞台にした隧道巡りの二度目の旅の中で訪れた。




地図から消えた隧道を捜索せよ!

曰く付きのアノ隧道…


 2007.3.31 8:06 【鎌倉市 材木座】

 現在地は鎌倉市材木座。
右の地図を参照していただきたいが、ここから“とあるトンネル”をくぐって、目指す「地図から消えた隧道」が眠る小坪地区へ向かうことにする。

 左の写真は、進行方向(南)を向いて撮影。
眼前には屏風のような岩山が立ちはだかっており、これは鎌倉市と逗子市の境となっている。
また、右の石とコンクリの防波堤のような壁は、昔は本当に防波堤だったものだが、今はそのさらに海側に国道134号が通っている。
良く写真を見ると、防波堤の向こうにも街灯が見えるだろう。



 そのまま広い道を真っ直ぐ進むと、すぐに岩山の麓へ辿り着く。
直前で急に路幅が狭まるとともにS字のカーブとなり、そのすぐ頭上を国道が跨ぐ。
そして、位置を入れ替えた両者には、もれなくトンネルが。

 さて、この二本のトンネルであるが、国道のものは「飯島トンネル」、この道にあるものは「小坪海岸・・トンネル」という。
どちらも比較的新しいトンネルで、特に“いわく”は無い。

これらのトンネルをくぐってもイイのだが、ちょっと戻ってみる。




 最初の写真の場所だ。

さっきは広い道を真っ直ぐ進んだが、今度はすぐ先の分岐を左に進んでみる。




 すると、こちらは最初から狭い道。
それが、先ほどの二本のトンネルより少し高い位置へと登っていく。
そして、やはり最後には岩山にぶつかってトンネルに…。

 最初に紹介した新旧二枚の地形図を見比べると分かるのだが、昭和40年当時の地形図に前者の2トンネルは記載されていない。
しかし、この先のトンネルは記載がある。
つまり… 例の“曰くあり”のトンネルとは……。




   そう。

これがアノ有名な「小坪トンネル」である。

 私が子供の頃、本屋の子供向けコーナーには必ず「ケイブンシャミニ百科」という、小さくて分厚い本がずらりと並ぶコーナーがあった。
子供が喜ぶあらゆるラインナップがあったが、特に心霊写真とか心霊現象、怪奇、ミステリーなどのジャンルは、当時のオカルトブームに乗ってシリーズを重ねており、私も中学に上がる頃までドキドキしながら愛読したものだった。
気持ち悪いからと、親に全て捨てられ(焼却?)されてしまったのも、いい思い出である。
そして、あの心霊シリーズの巻頭カラーグラビアページには、必ず… こんな写真があった。(→画像にカーソルを…)

とまあ、こんな悪ふざけをしない限り、この小坪トンネル、散々騒がれたような怪奇の地とも思われない。
これまで山行がで取り扱ってきた怪しげな穴たちに比べれば、その外観はただの狭いトンネルである。




 ギョ!

 こんな狭いトンネルに、突然背後から迫ってきた大きなバスが、難の躊躇いもなくヌルリと入って行くではないか!

 ギョギョ!!

 しかも、続けて2台! これは怪奇である!

わけはなく、ここが路線バスの通り道になっているに過ぎない。
「昼なお通る人影はまばらだ」と、ケイブンシャミニ百科に幼い私は学んだはずだが、ここで見ているとバスだけでなく、かなり頻繁に車が通るし、通学の小学生群や自転車に乗った女子高生が普通に通り抜けている。

 …全然、話が違うんじゃない?
もしかして…、小坪トンネルってもうお払いが済んだのか??



 このように、普通の狭いトンネルのような顔をしているが、実はその歴史は古い。
大正13年発行の5万分の1地形図「鎌倉」に既にこのトンネルが描かれているが、『逗子市史』に示されている大正2年に開通した「天照山隧道」というのが、結ぶ地名から考えてこのトンネルのことであろうと考えられる。名前が変わった理由は分からないが…。
ともかく、“スポット”として騒がれる用件の一つだろう“古さ”は、十分に備えていたのである。外見的にはさして古そうにも見えないのだが。

 また、坑口の周囲を見回してみると、確かに古さの他にも“いわく”を感じさせる物が色々とあることに気づいた。



 いわくありげ…その1

鎌倉市側坑口から50mほどの地点に、この広大な墓所はある。
まず誰が見ても最初は「ギョッ」とするに違いない。
一目見てそれが墓場であることは分かるのだが、そこにある無数の墓標は、我々が普段見慣れたものではない。

これは、市の史跡にも指定されている内藤家墓所で、近くにある古刹光明寺の一角をなしている。
ここには、江戸時代初期に光明寺の檀家となった日向国延岡藩主内藤家の代々の墓が、幕末まで幾代にも亘って造営され、この独特な景観をなしている。
「墓碑58基(宝筐印塔40基、笠塔婆12基、仏像形4基、五輪塔形1基、角塔婆形1基)、灯籠118基、手水鉢17基、地蔵尊等9基」が、この敷地内に存在するという。
深夜おそるおそる隧道を訪問したあなたが、手持ちのライトの先にこの景色を突然見たなら、確かに、隧道が異界への門であったかのような錯覚を憶えるかも知れない…。



 いわくありげ…その2

 まあ、これは真っ当に「いわくあり」なんでしょう。
坑口脇のとても目立つ場所に立つ御影石製の慰霊碑。
碑面には「隧道工事殉職者慰霊碑 大本山光明寺」と刻まれており、おそらくこの隧道の“出る話”の由来と無関係では無いのだろう。
少し気味悪いと思ったのは、側面に刻まれた建立年が平成12年となっており、新しすぎる。
殉職者が出た隧道工事はおそらく大正時代の事であろうが、新しすぎる慰霊碑は何を意味しているのか。
あらぬ幽霊騒ぎの鎮撫を願い、光明寺で建てたものなのか。



 いわくありげ…その3

 上に紹介した真新しい慰霊塔の隣に並ぶ、極端に風化した石像・石塔群。
地蔵の下半身が台座に沈み込んだかのような異形の像や、文字がかすれて「塔」の文字しか読めなくなった石碑がある。
いずれにも綺麗な生花が供えられており、現在でも奉られている事が分かる。
或いはこの文字の消えた石碑が、本来の慰霊塔だったのかも知れない。

確かに、どことなく不気味な雰囲気は漂わせる石像・石碑群ではあるが、冷静に考えれば、どちらも地域の人々の優しさや慈愛の発露であって、決して悪霊の篭もるようなものではない。




 ともかく、子供心に“大変な場所”だと思っていた「小坪トンネル」だが、実際には静かな住宅地の中に佇む平穏な古隧道であった。
坑口前には、鎌倉側逗子側のいずれにも民家が密集しているので、おもしろ半分での深夜の訪問は慎むべきだろう。

 それでは、これから小坪トンネルを通り抜け、目的の隧道探しを始めよう!




 正確な数字は分からないが、地図上での計測ではおおよそ100mほどの小坪トンネル。
内壁の一部は漏水防止のための鉄板で覆われており、それ以外は全てコンクリート壁である。
古い隧道らしく照明は少なく、しかも白色灯のため、非常に薄暗い印象は免れない。
この辺りも、“心霊トンネル”と呼ばれてしまう理由なのだろう。

もっとも、先ほども書いたように、日中の通行量は少なくない。バスでも来ようものなら、歩行者は別の意味で怖いだろう。

ちなみに、この近くにもう一本同じ名前の「小坪トンネル」があって、そちらは幹線道路上に存在するのだが、明治16年竣工当時の煉瓦の坑門が現存しており、向こうを“スポット”と紹介するものもあるようだが、確かにどちらもいわくありげな古隧道ではある。




 トンネル内で鎌倉市材木座から逗子市小坪に地名が変わる。
その逗子側坑口付近は巻厚が異なっており、トンネルの断面は一段と狭くなっている。
地質が余り良くないのだろうと想像できる。
内壁には、昭和48年に市で改修工事を行った旨の、工事銘板が取り付けられていた。



 そして、小坪側の坑口。
トンネル内は小坪側に向かって上りの片勾配になっており、その坂の頂点がこの坑口である。
トンネルが出来る以前には、この岩山の上に狭くて曲がりくねった急坂の「小坪坂」があって、海と山に四方を取り囲まれた小坪地区の大切な道であったというが、現在その本来の位置は不明である。
僅か100mほどのトンネルではあるが、坑口前は限界まで掘り割りを延ばして頑張った形跡が見られ、如何にも古い作りと思われる。



 トンネルを抜けると、道は緩やかな下りのまま真っ直ぐ住宅地の中を進む。
そのまま400mほど進むと小坪地区の中心部で、並行してきた国道のガードを潜る。

肝心の「地図から消えた隧道」への道は、この市道から海側へ向かって直角に分岐していたはずなのだが、そこには密集する住宅の帯と、地形を分断して続く掘り割りの国道とがあり、全く見いだせない。
元々は自動車専用の有料道路として生まれた現在の国道は、これら市道と小坪地区内で結ばれておらずただ通過するだけなのであるから、街区の分断は著しい。

 ともかく、次回はその国道へと移り、国道南側のどこかに実在した筈の隧道を、捜索する。