<後日追記>
当隧道の正式な名称や延長を、書籍『奥羽鐡道建設概要』の内の表記として、『NICHT EILEN』の管理人TILL様よりご紹介いただきました。
当隧道の正式な名称や延長を、書籍『奥羽鐡道建設概要』の内の表記として、『NICHT EILEN』の管理人TILL様よりご紹介いただきました。
名称:峯ノ山隧道
長さ:約 156.9メートル
廃棄(現在線への置き換え):1975(昭和50)年9月26日
2003.4.15追記
国道13号線が秋田市を発し、協和町の中心地境を経て国道46号線と別れるとすぐ、峰の山から繋がる稜線を越える小さな峠を越え、東北有数の規模を誇る仙北平野に達する。
この峠には、どうやら失われた道路トンネルがあったらしい。
相互リンク先である『MOTO WORKS HIRATA 』サイト内に1958年頃に撮影されたと言う、国道13号線のなぞの隧道写真を発見した事が始まりであった。
これまでも何度となく何気なく通っている小さな峠道に、重厚な石組みのトンネルが存在していたと言う事だけでも十分衝撃的であったが、何よりも、もし未だにこの隧道が残っているとしたら、ぜひとも、この目におさめておきたい。
県内では、残念ながら未だにあいまみえたことのない、石組みの隧道が、もし残っているなら…。
いても立ってもいられなくなったヨッキれんは、去る7月11日、東北地方をこの年一番目の台風が押し寄せた、その雨の中、完全防水装備でのレイニーサイクリングに挑んだのだった。
結局、失われた道路トンネルを発見する事はできなかった。
可能な限り詳細に行った現地調査の末、私の出した結論は、
現道の幅広の切り通しにより、旧隧道は消滅しているだろう。
ほんの50年前まで幅6m以上の道が存在した痕跡は、全くながら、周囲の森には認められなかった。
…というものだ。ほんの50年前まで幅6m以上の道が存在した痕跡は、全くながら、周囲の森には認められなかった。
残念な結果であるが、この隧道の顛末については、今後、図書資料などにあたり、ぜひ解明したい。
しかし、実はこの調査の途中、一瞬、「まさか、発見か?!」と思わせた、ある遺構に遭遇した。
それも、なんと隧道である。
私が思いがけず出会ったのは、どうやら、国道に併走するJR奥羽本線の旧線に残された、廃隧道であったらしい。
以下は、そのレポートである。
前述の通り、同日は、暴風でこそないものの台風に伴った、やむ気配のない大雨。
合羽にくるまれた私の体だが、足元や顔面はもうびしょ濡れ。
レイニーサイクリングの辛さを、ひしひしと感じながら、この、峠に至った。
国道341号線が右に分かれるとすぐに直線のぼり(写真上)に入り、1kmほどであっけなく峠の切り通しに至る。
途中に、一箇所大きく蛇行するS字カーブがあり、この区間は、登坂車線が用意されているが、もっぱら、追い越し車線として利用されているようだ。
さて、旧道を探して、左右の草むらに目を凝らしながら走る私が見つけた、怪しい分岐が、この写真(右)である。
この写真の場所は、S字カーブが始まる地点で、写真に写る幅広のアスファルトは、現道コーナーの外側に広く残された、駐車スペースである。(現道は、撮影範囲の更に左にある。)
砂利すら敷かれていない、酷く荒れた道。
ほんの10mほど右側には、JR奥羽本線の複線が緑を跨ぐ長い橋梁をわたる。
一方、左側は険しく切り立っており、その崖の上では、国道13号線が、ひっきりなしに騒音を上げている。
二つの路に挟まれた、ごくごく狭いスペースに、この、幅2m足らずの道が続いている。
わだち一杯に広がった水たまりは深く、チャリを漕ぐ足の、足首までもが、水没した。
もはや、濡れに対する一切の躊躇はなくなっていた。
先にあるものが、楽しみで楽しみで、漕ぎ足にも力が入る!
そして、一瞬息を呑んだ!!
あった!! 隧道だ!!
完全に道は草に覆われ、この先に踏み入る者の稀なことを感じさせる。
しかし、もはや私にはここしか道はない思いだった。
逡巡することなく、おもむろに突入を企てる。
いざ…!
と、入り口で足が止まる。
間近で見た隧道の姿に、しばし呆気に取られたのだ。
そこにあったのは、全くもって時代錯誤的な、まさに、明治の威厳とでも言うべき、圧倒的存在感を放つ遺構の姿であった。
物理的に、立ち入りを制限するものは何もなかった。
しかし…、しばしここに留まる。
これは、当初捜し求めていた、旧国道にあったと思われる隧道ではない。
しかし、それはどうでも良く、この隧道に夢中になってしまった。
どうやらこれは、明治35年この地に始めて開通した奥羽本線に供された、廃隧道であるようだ。
一体いつごろに現在の新線に移ったかは不明だが、かなりの長期間ここに放置されていただろう事が、感じられる。
上の写真は、威容を誇る、この旧鉄道隧道の坑門だ。
森に激しく浸食を受けており、ひび割れたレンガの隙間からは、若木が生えている。
←朽ち果てたレンガの坑門。
降りしきる雨のためか、まるで湧き水のように、崩れた部分を水が落ちていた。
これぞ、廃美というものであろう。
→
「緑」という一つの色にも、無限のバリエーションがあることを実感させられる。
日常、パソコンやTVゲーム機などが1700万色近くの色をもって示す“リアル”が、なお、現実に遥かに及ばないものである事を、痛感させられる。
色の多さでは賄いきれない、何かがあるからこそ、美しいのだと。
振り返ってみると、そこには、何の変哲もない、草原の姿。
しかも、この場所、ひっきりなしに国道13号線を通う車の騒音が響く。
写真からは想像し難いと思うが、実は、国道とは、ほんの5mくらいしか離れていないのだ。
それでは、いざ突入したい!