内部の様子。
思ったほど内部は荒れていない。
路面には、明らかに最近搬入されたらしい土が敷かれており、この土がえらい軟らかくて、進みづらい。
内壁は、それほど湿っぽくもなく、崩れも全くない。
ただ、入り口付近の壁は一般的なコンクリのようであったが、進んでゆくと、坑門同様のレンガに変わった。
延長は、約300mほどか。
弓なりに大きく蛇行しているので、入ってすぐには、出口が見えなかった。
写真の位置は、中央付近。
内壁の様子。
レンガの隙間からは、石灰分が鍾乳石を形作る…。
鍾乳石なんて、昔、100年で1センチしか伸びないなんて聞いていたが、それは嘘?
こんな、人工的な場所にもしっかり伸びて…。
…て、考えてみれば、ここはもう、100年に近い歴史を持つ遺構なのだった…。
酷く黒ずんだレンガは、SLの往来によるものだろうか?
それとも、そういうレンガなのか。
とにかく進みづらい路面に辟易しつつ進むと、やっとこ出口が間近に迫る。
出口の様子が少しおかしい。
出口の先に、もはや道はないことが、直感的にわかった。
出口となった西仙北町側の坑口には、既に異形のものへと姿を変えたスノーシェードが待ち受けていた。
邪魔だった路面の盛り土も出口が近づくと消え去り、変わりに、廃道の路面が現れた。
見たこともない怪しい缶コーヒーが散乱し、腐り果てた木材が出口から繋がる大きな水溜りの上に、まるで桟橋のように残されていた。
この先は、真の廃道そのものだった。
朽ちたスノーシェードから、隧道内部を振り返る。
こちらの坑口には、協和町側の坑口で見た威容を誇るような意匠はない。
森の侵食が進みすぎていたのかもしれない。
出口の先の道はない。
あるはずの道がないのだが、この日の私には、ここで引き返す理由はなかった。
既に足元はこれ以上なくびしょ濡れで、上下の合羽がボディーを守ってくれている。
この“葦の沼地”へと、突入した。
とたん、膝近くまで水没。
(ちなみに、ここばかりはチャリを置いて進入した)
背丈よりも高い葦やススキを掻き分け、踏みつけ、道を作りながら、進んだ。
写真は、脱出直前途中で振り返って、隧道を撮影したもの。
脱出!
葦の沼地は、わずか50mほどであったが、さすがに気持ちよいものではなかった。
雨の中、沼を彷徨うと言うのは、生者のする事ではないだろう…。
脱出は、右手に高さ3mほどの砂利山が現れた事により、もたらされた。
この砂利山に取り付き、雑草を手掛かりに登る。
もろい足場が、一瞬だけ、あの松ノ木の恐怖を思い出させたが、特に危険な場所ではない。
脱出してみると、そこには線路があった。
一気に、明治から平成に意識が戻る。
雨の鉄路が、静かに横たわる。
いつ轟音を伴って、幅広の現トンネルを電車が突き抜けてくるのかと、少し怖い気がした。
しばしの間、この地でであった廃美の余韻に浸っていたかった。
それを壊されるのが、怖かったのだ。
この場所からは、現国道13号線に登る狭い砂利道がある。
しかし私は、チャリを置いてきた手前、またあの沼地に戻る。
そしてまた、あの、
――美しい隧道に、会いに行った。