二井山隧道   再訪 その1
遂に逝ってしまった
雄物川町二井山
   この二井山隧道については、当コーナーでも既に一度紹介している。
よって、その背景などについては改めて紹介はしない。
再びここを採り上げる理由は一つ、遂に崩落してしまったという情報が、相互リンクリンク先の『踊る大雄勝線』サイト様よりもたらされたためだ。
第一報は、確か今年2003年の雪解けの頃であったように記憶している。
実際の状況をこの目で確かめる為に、遅まきながら、この度再探索を試みた。

これは、前回の調査から、約15ヶ月後の姿となる。


 
 もうすっかり御馴染みになった、二井山集落側坑門への道の入り口である。
ここから坑門までは既に2度歩いており迷う心配は無いが、余りの密林ぶりに躊躇いを禁じえない。
思えば、前回2年前の探索は雪解け直後の4月だったし、初めての探索となった1996年は8月だったが、まだまだこれほど荒れてはいなかった様に思う。車の通行止め処置がとられてから余りたっていなかったのだろう。
この有様では、覚悟を決めて突入しかないな…。



 背丈の高い叢に圧倒されはしたが、足元は平坦であり、背を低くして進めばそれほど苦労はしない。
50mほどで、叢が一旦切れて広場のようになっていた。
しかし、まだ坑門は見えておらず、ここからやや右よりの切通をなおも進まねばならない。
再び叢イン!


 足元は坑門に近付くにつれ、徐々にウェットになってくる。
また、かつて自動車も通っていたことを忘れさせるほどに、水流によって地形が抉られてしまっていて、歩きづらい。
我慢しつつ、蜘蛛の巣をかき分けかき分け、奥へ一歩一歩進んでゆく。

次第に切通は深くなり、正面の山肌に立ち向かうように接近してゆく。


 車道から100mほどの徒歩で、鬱蒼と茂る森の中にぽっかりと空いた坑門にたどり着く。
何度見ても、背筋に来る物がある。
当サイト掲示板のある常連さんは、この坑門の景色を神秘的と評していたが、今回の印象は正にその通りだ。
東南アジア系の密林の遺跡といった佇まい。
かつては車止めとして機能していた道を塞ぐ一本のガードレールも、すっかりと存在感が薄れてしまっている。

さらに接近だ。



 坑門自体の様子は、一昨年と余り変わっていないように思う。
反対の坑門付近が崩落してしまったというが、まだ実感がわいてこない。
約200m先にあるべき出口の明かりは見えないが、それは屈曲したこの隧道においては、はじめからだ。

今回は、懐中電灯を持ってきていない。
その代わり、最近の山チャリのマストアイテムと化しているヘッドランプを装着。
いざ、潜入調査開始である。

毎度のことだが、緊張する。



 ひんやり冷たく湿っぽい空気にこの、土臭さ…、まさしく廃隧道だ。

坑門からは微かに轍の跡も残っており、車の通った時期もあったことを証明している。
しかし、光の届く範囲にも所々崩土や剥離した内壁の破片が落ちており、荒廃が進んでいることを感じさせる。
前回春先の探索では気がつかなかったが、側壁には苔が繁茂しており、これも過ぎ去った時間の長さを感じさせずにおかない。
また、地下水の量は雪解け時に比べて少ないようで、乾いてはいないが、滴る水滴は殆ど無い。


 美しい。

しかし、この隧道は恐ろしい気配を持つ。
洞内を背にして立っていると、何か背後が気になってそわそわしてしまう。
普通、訪問の回数を重ねれば恐怖感は薄れてくる物だが、未知の崩落という情報があるとはいえ、この隧道の纏う空気は…いつも重い。

そういえば、背後からは先ほどから、水流の音というか、小さな滝でもあるかのような「ザーザー」という音が聞こえている。
前回も内部には水流や大きな水溜りがあったので、内部はやはり水浸しなのかと思った。



 約30m侵入。
早くもライトなしでは足元もおぼつかぬほどに暗い。
この先の撮影は、フラッシュを必要とした。
しかし、肉眼では分からないのだが、湿度100%の洞内では、空気中の小さな水滴がフラッシュに反射してしまって、白い靄しか写っていない失敗写真を量産してしまった。
この写真からは微かに状況が分かるが、向かって右側の内壁に沿って堆く土砂が堆積しており、崩落の進行を感じさせた。



 さらに20mも進むと、ますます闇は濃くなり、体に絡み付いてくるような不快感を感じる。
その時だった!

 バササッ…

場違いな羽音が、すぐ目の前で閃きのように起こった。
一拍置いて、また別の方向からも、

 バササッ…

それは、自身にとって初めての、コウモリとの本格的な遭遇の瞬間であった。
足が止まった。
この事態は、正直予想していなかった。

「しまった…!」



 これまで沢山の廃隧道に潜ってきたが、コウモリと遭遇するのは、ほとんど初めてだった。
… …。
いや、思い出した。
それまで忘れていたのが不思議だったが、実は、初めてここを訪れた1996年。トリオでの山チャリの最中だった。
その頃は、ここにこのような廃隧道があることも知らなかったし、偶然に見つけたのであった。
自身が初めて遭遇した廃隧道は、この二井山隧道であった。

トリオは好奇心から懐中電灯も用意せず、チャリから取り外した暗いライトの明かりを頼りに、この坑門から侵入した。
しかし、3人ともまったく慣れておらず、正直ちびりそうに怖かった。
崩れてくるのでは無いかという恐怖も在ったし、それ以上に、夜の闇より濃い闇を、見たことが無かったから。
だから、坑門の明かりが届くギリギリの場所で、突如バタバタとコウモリの羽音を聞いた、或いは私以外は見たのかもしれないが、もう、それだけで転げるように退散したのであった。

それから暫くは、この場所のことなど忘れていた。
その後、老方側からこの隧道と再び合間見えたのは、2000年の6月。
しかし、私一人であったし、相変わらず潜る準備などしていなかったから、この時も坑門付近を探索しただけで帰っている。
その時は、内部には殆ど入らなかったがコウモリには、遭っていない。
さらに、その次が2002年の4月であり、前レポートの通り、この時初めて貫通して探索したが、コウモリは存在しなかった。

回数が少ないし、コウモリの生態が分からないのでなんともいえないが、夏場は彼らの営巣地となっているのだろうか。
しかし、冬はどこにいるのだろう?

好きでもないコウモリのことは、余り調べる気にもならないのである。
なにやら薄暗い写真を横に、長々と書いて来たが、この暗い写真を画像処理で明るく加工したのが、次の写真である。




 ぎょぎょぎょ! 
である。

 うげーー!!
でもよい。

とにかく、高速で飛び回るコウモリが、一枚の写真の狭い範囲にこれだけの匹数写っているということから、その数はお分かりいただけるだろう。
家に帰ってきて写真を明るくしてみるまでは、私も正直ここまで写っているとは思っていなかった。
まさしく、私の頭上を、いや眼前をも、彼らは飛び交っていたのだ。

数限りなく、そして4方から絶え間なく続く羽音。
幸いにして、彼らは夜目が利く。私にぶつかってくる愚か者はいない。
しかし、時には音だけではなく、彼らの羽根が舞い起した風を頬に受けた。
それに、私は鼻が悪いのだが、それでも鶏小屋のような動物臭が充満しているのに気が付いた。

この時点で、この隧道が自身の不快な廃隧道一位に躍り出た。
不快部門では筆頭であった「黒川の廃隧道」を一気に抜き去り、堂々たる、そして嫌な一位である。


 探索断念を考えたことは、言うまでも無い。
自身にとって、野生動物の恐怖こそ、廃隧道よりも何ぼも未知であり、大きい。
相手は、数匹ではない、数100匹はいる。
いや、一帯何匹いるのかなど、全然分からない。
とにかく、四方八方飛び回っているのだ。ひっきりなしに。
その状況だけで、もう十分に限界である。

しかし…。
引き返しておけば良かったと思える、そんな光景を、私は見てしまう。
まもなく…。

   その2へ
 
2003.7.26


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