このレポートを作成した際に、山行がを構成するディレクトリに新しく、「nozoki」が追加された。
当然このレポのアドレスにも、「nozoki」の文字が含まれるが、変な目的で来た検索ロボットに引っかかりはしないか、少し心配である。
山行がに集う健全なマニアの皆様はご存じの通り、「nozoki」は、「覗き」ではなく、地名の「及位」である。
さて、今回紹介するのは、山行がでももうお馴染みとなった奥羽本線の旧線跡だ。
奥羽本線、大滝・及位間は、明治37年に開業しており、ここには第一〜第三及位という、3本の隧道が掘られた。
いずれも、真室川(ここでは河川名)の右岸の山肌の凹凸に呼応する形で存在し、この区間全体としては、難所であった雄勝峠への登攀アプローチをなす。
故に、第二隧道あたりから目立った勾配が現れ、そのまま第三を経て及位駅に通じる。
廃止されたのは、第一・第二は昭和50年。
第三のみ、かなり早く昭和37年となっている。
いずれも、交流電化を見越して、もしくは交流電化に際して、隣に現隧道を開削する形で、廃止されている。
なお、本レポートの作成には、相互リンク先サイト『ニヒトアイレン』内の記述を参考にさせていただきました。
深く感謝申し上げます。
まずはじめに紹介する第三及位隧道は、国道13号線の及位隧道のすぐ傍にある。
及位駅から南へ約1km、国道とは一段高い位置に併走する奥羽本線。
その鉄路と、国道とが並んで隧道を迎える。
奥羽本線の旧隧道は、それらにサンドイッチされる位置に、今も口を開けていた。
アプローチは、写真に写る国道から右に分かれる急な登りだ。
保線員たちが利用するこの道を上ると。
そこには銀色に光る単線の鉄路がある。
その国道側には、車一台分の轍が奥へと続いているが、これが隧道とともに廃止された旧線敷きであろうことは、想像に難くない。
この轍に従って、現役の第三及位隧道の坑口脇を通り過ぎて、さらに奥へと行くと。
国道の隧道間近で、猛烈な笹藪と杉林に阻まれ、小さな広場で行き止まりとなった。
しかし、藪に阻まれ見えないが、旧隧道は、このすぐ奥に隠れている。
チャリを倒し、リュックをおろし、ライトの準備にかかる。
が、ライトがない。
ヨッキれん、生涯3度目のSF501紛失に気がついた瞬間であった。
この後、いったん探索を中断し、一時間ばかり直前に行った「雄勝峠旧旧国道」に舞い戻り、山をよじ登って探したが…。
はーい。
だめでしたポ。
SF501がないので仕方なく、以前細田ミリンダ氏より借用したままだった、ミニマグライトを点灯させ、いざ隧道へ。
明るさは比べるべくもないが、そこには細田氏の愛情詰まった灯りがあった。
坑門前は大量の土砂が積まれ、さらにそこに笹が密生しており、アプローチに汗をかく。
坑口にたどり着くと、すぐに内部が一望できた。
なんと、土砂が天井間近まで積まれており、立って入ることは出来ない。
そして、さらに天井を低くしているのが、ゴツイ支保工の存在である。
鋼鉄製の支保工が周囲を囲む廃隧道。
足下の土砂は十分に均され、堅い。
廃止後に、通り道としてではない、なにか別の用途が想定されていたのだろうか?
写真にも写っている、正体不明のブルーシートと、黒いゴム製の地を這うパイプ。
光量不足で十分に検証できなかったが、この隧道には何か秘密があるのか?
坑門は石組みの重々しいデザイン。
ほとんど埋没しているために、黙っていてもアーチの要石が目の前に来る。
マジマジと見ていると、不思議なことに気がついた。
要石の上、帯石と呼ばれる部分との隙間から、わずかにレールの先端が顔を出している。
それ間紛れもなく、鉄道のレールなのだが、なぜ、こんな場所に?!
よく見ると、レールの突き出している周囲の石は、コンクリのようでもある。
何らかの事情により、帯石を壊して、そこにレールを差し込んで、そこをコンクリで充填したというのか?
しかし、何故に?
これまでに遭遇したことのない、不思議な光景である。
さて入るか。
って、こっちの隙間じゃないでしょ。
では、気を取り直して、いざ入洞。
内部も一様に、天井が低い。
足下はかなり堅く踏み固められ、やはり何か意図があって中途半端に埋め戻したのだと思われる。
派手な支保工が頭上スレスレなので、どうにも頭に錆が付きそうで嫌だ。
中腰姿勢で進むと、わずか74mという隧道も、なかなか通り抜けられない。
結局、進めども進めども、内部の様子に大きな変化はなく、出口が淡々と近づいてきた。
なお、この支保工は、県境の雄勝隧道を挟んで院内側にある旧岩崖隧道と同様のものに見える。
廃止前に変状などの破壊前兆があったのだろうか?
廃止されたのは、昭和37年。
廃止後に経過した時間が、現役だったそれに、もう数年で匹敵する。
支保工も全体が錆び付き、支柱同士に渡されていた木材の小片もほとんどが落下している。
さらには、その背後の、守るべき煉瓦の壁が、一部派手に崩れていた。
これは、単純に煉瓦が剥がれて落ちたのではなく、かなりの地圧の作用で、破壊されたのではないかと見えた。
その根拠としては、破壊部分周囲の煉瓦表面が、かなり欠けている点だ。
ギザギザに割れて、表面の剥がれたものが多いために、妙に明るい色に見える。
さらに、崩れた煉瓦の向こうにはあっけなく灰色の地肌が露出している。
想像していた以上に、この隧道は支保工なくして形状を維持できぬ、末期状態にあるのかもしれない。
(すぐ傍の国道隧道における近年の拡幅改良工事が、何らかの作用をもたらしている可能性も否定できない)
支保工のおかげで、出口のシルエットが、なんか一昔前のゲームのポリゴンのようだ。
カクカクしているってこと。
ちなみに、この隧道では、ほとんどひっきりなしに、国道13号線の走行音が届いてくる。
故に寂しさはないが、天井の低さから来る圧迫感はかなりのもの。
特に見所もないので、もう訪れることもなさそうな、小隧道であった。
これが、脱出した先の南側坑口。
こちらもやはり、土砂が積み上がっており、そこに植生が密生している。
撮影は12月だが、夏期は接近するだけできっと、大仕事だろう。
土盛りの先には、ほんの数十メートルの旧線跡が、雑草茂る藪となって残っているが、まもなく現在線に合流する。
こちら側も国道に近いが、段差があって、アプローチは面倒。
やはり、北側からの接近が容易である。
私は、いまいちど隧道を通り、チャリを回収して、次の第二隧道へと向かった。
なお、これが国道から見た、三号隧道の北口である。
季節を問わず、このように見えている。
この国道のトンネルは、及位隧道といい(銘板にもちゃんと隧道とある)、竣工は昭和35年。
平成になるまでは狭窄で不便だったが、一大リニューアル工事を敢行し、延長変わらずも、幅は1.5倍位になった。
工事の際に、よく隣接の廃隧道が破壊されなかったものだ。
もしかしたら、奇妙な半埋没は、その工事に関連がある?!
つづく
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