2005年の春に山行がが挑んだ隧道の一つに、この大沢田隧道がある。
これは、東北本線の旧線の隧道で、右図の通り、この隧道があるのは宮城県と岩手県の県境部である。
ただし、この県境にある東北本線の隧道としては、有壁隧道がとみに有名であり、この大沢田隧道はこれまで商業誌ベースで取り上げられたこともない、ひっそりとした旧線である。
おなじ県境にある有壁隧道と大沢田隧道だが、これらは親子の関係にある。
東北本線がまだ日本鉄道株式会社によって敷設されていた頃、明治23年に完成したのが有壁隧道である。
そして、この有壁隧道が老朽化し、また前後の線形も良くなかったことから、日本国有鉄道が路線を約2kmほど西に移設した折に建設されたのが、大沢田隧道である。
こちらは、大正の13年生まれだ。
よって、いずれも県境を貫く隧道である。
そして、この一ノ関と清水原駅の間の峠越えの隧道は、この二本だけには留まらず、その後も時代を追って次第に増設されていった。
右の地図を見ていただきたいが、大沢田隧道を有壁隧道に対比して、「2代目」と表現している。
そして、その後「3代目」「4代目」、そして新幹線のトンネルまでもが、非常に狭い範囲に集中して穿たれた。
「3代目」は、2代目隧道の複線用として昭和になってからすぐ隣に追加されたもので、現在は下り線として利用されている。
「4代目」は、2代目隧道がいよいよ老朽化したために、昭和58年に廃止されたのを受けて代替に建設された物で、2.3代目よりもやや長い。
こちらが現在、上り線として利用されている。
今回の探索の対象となったのは2代目、大正13年完成とかなり古いながらも存在感の薄かった大沢田隧道である。
この探索については、幾つかの不安材料があった。
一つは、この隧道が約1kmと、比較的長いと言うこと。
そしてもう一つ、最大の懸念材料だったのが、この隧道が東北本線の上り線と下り線の間に口を開けていると思われたことである。
これは、地図調査によって懸念されていたことで、ローカル線ならばいざ知らず、東北の幹線である東北本線が相手なだけに、あまり下手をすると、そのまま手が後ろに回る可能性があった。
そのリスクを負って、現地へと赴いたのは、私の他、細田氏とふみやん氏の、合計3名である。
10:44
一関市方面から県道260号線(旧国道4号線)を走ってきた我々は、ランプ状の構造で国道4号線に合流する部分の、ちょうど国道のガード下に車を置いた。
ここは、東北本線の上下線の間隙であり、目指す隧道は上り線の隣にあるはずなので、地図によれば、このすぐ傍の右側のあたりに発見できるはずだった。
まだ所々に積雪が残る県境の丘へと、歩き始める。
するとすぐに、前を歩くメンバーから発見の声が届いてきた。
車道から右下の沢地を覗くと、そこにはパイプのような3代目のトンネルが口を開けていた。
そして、その左隣には、いかにも廃線跡らしい草むらが、真っ直ぐ奥の丘の麓へ向かって伸びているではないか。
呆気なく、大沢田隧道に続く旧線部分を発見した。
それは良いのだが、すぐに隧道目がけて近づいていけない事情があった。
国道(すでにガード下の道は国道と合流している)はその路肩斜面も含めて完璧に除草されているのだが、その下の幅深さともに1mほどの水路の向こうは、もの凄い笹藪の密集地となっている。
そして、さらにその向こうには旧線跡へ降りる斜面があるようだが、その斜面の状況もここからでは掴めず、安易に踏み込んでも藪に押し返されるばかりだろう。
冬場でもこの藪というのは、ちょっと殺気するものがある…。
そう思っていたら、夏場の様子を『鉄の廃路』で見て納得。こりゃ酷い。
しかし、目の前に隧道をぶら下げられて黙っていられるわけもなく、適当な場所にアタリを付けて、切り込み隊長よろしく藪へ切り込んだ。
例によって、顔面と言わずどこと言わず、しなやかな笹達に鞭打たれ、さらには棘の付いたイバラが密生しており、あっという間に二の腕に血を滲ませた。
体は治るから良いとしても、愛用のジャンバーにも穴が開き、げっそりする。
しかし、山に犠牲は付きものであり、とにかくこの斜面を下れば隧道は目の前の筈だ。
後先をあまり考えず、コンクリートの法面を滑り降りた。
また登ってこられるのか、ちょっと不安を感じながらも。
下に降りると最初こそ酷い藪だったが、少し進んで両側の法面が高くなると、藪の密度も大人しくなった。
だが、細い木々が生えだしているここは、紛れもなく廃止後20年を経た旧線跡なのだった。
行く手には、独特の紡錘形の断面を見せる、いかにも鉄道らしい隧道が見えてきていた。
3代目である現在の下り線の隧道とは本当にわずかしか離れておらず、すぐに右側の地中を通っている筈だが、三方を斜面に取り囲まれている当地は意外に静かだった。
左の頭上には国道も通っているのだが、その喧噪も少し遠い。
妙に写真の写りが悪いのは、カメラの設定が藪を掻き分けているうちに勝手にマクロモードになっていたせいである。
決して写っちゃいけない物が写っているわけではない。
写りが悪いので、坑門の詳しい様子は後ほど紹介する清水原側の画像で勘弁していただきたい。
煉瓦製の背の高い坑口には、その半ばまでを塞ぐ鉄条網が築かれており、バラ線まで設置されていた。
好きこのんで、あの激しい藪を掻いてまで進入してくる人がいるとは思えないが、想像していた以上に厳重な封鎖である。
しっかりと施錠もされていた。
その他には、銘板等の意匠はなく、シンプルな坑口であった。
ひとしきり眺めた後、乗り越えて進入した。
外気とさして温度差を感じない隧道内の様子。
真っ直ぐ1000mの先に出口がポカンと見えた。
特にこれと言って変わった所があるようには見えない隧道なのだが、…。
次回、
かつて無い遭遇に絶句す!