田沢湖線 刺巻の廃隧道群 前編
森に還った隧道たち
秋田県田沢湖町 刺巻

 県内にある国鉄、もしくはJR由来の廃隧道のうち最後まで未探索だった、JR田沢湖線「刺巻〜田沢湖」間にある二隧道の探索を終えたので、公開しよう。





 JR田沢湖線刺巻駅は、新幹線も停まる田沢湖駅の一駅隣の駅で、立派な標準軌のレールとは如何にも不釣合いな半面ホームの無人駅である。
近くには刺巻湿原というミズバショウの名勝地があるが、普段は僅かな通勤通学客にのみ利用される駅だ。
そこに、チャリを詰め込んだ輪行バッグを抱え降り立った私。
秋田駅からは奥羽本線と田沢湖線の始発を乗り継ぎ、この日の旅のスタート地点としてここを選んだのである。
無論この日の最初のターゲットは、近くにある筈の二本の廃隧道である。

チャリを駅前で組み立てている間も、駅の正面を通る国道46号線にはひっきりなしに往来があったが、駅に立ち寄る人は誰もいなかった。




 国道を田沢湖方向へ約二kmほど進むと、田沢湖線の下を潜る。
跨道橋のすぐ先に見えるのが、現在の第一刺巻隧道である。

実は今回、殆どの事前情報を持っていなかった。
相互リンク先サイト『NICHT EILEN 「ニヒト・アイレン」』のTILL様から頂いた情報によれば、昭和57年の田沢湖線電化の際に刺巻田沢湖間の2本の隧道が廃止されたという。
その詳しい場所は分からない。ただ、現在の同区間にも2本の隧道があり、その本数の一致から、多分旧隧道も現在のトンネルと離れていない位置にあるのではないだろうかと推測していた。
それと、以前車窓から廃隧道と思しき坑門の一部が見えたことがあり、やはりそれは現隧道のすぐ近くであった。
今回は、これらの情報を元に、足で隧道を探さねばならない。
マイナーな廃隧道なのか、これまでここを取り扱った書籍なども見たことが無い。



 まずはじめに刺巻駅側になる西坑門に出会ったのだが、前の写真の通り国道との比高は大きく、また予想していたことだが、やはり雑草の繁茂は凄まじく、国道からは全く廃隧道らしい物は確認できない。
もしかしたら、ここに隧道はなかったのかもという不安を感じつつ、国道をそのまま200mほど辿り、反対側の坑門の前に来た。

こっちは幸い坑門と道路との高度差は余り無いが、坑門が眠っていそうな斜面は遥か叢の奥であり、国道から全く見えない坑門を手探りで探すのはうんざりした。
もう少し、古い地形図などで事前調査をしてくるべきであったか…。




 ちょうど坑門から20mくらいの場所に線路の下を潜るわき道があり、そこが廃隧道を探す際の叢への侵入点となった。
車道脇の斜面は高さ3mほどあり、全く人の踏み込んだ気配の無い叢は、それこそ背丈以上に生い茂り行く手と視界を阻んでいる。
急な斜面を太い茎を手がかりに上るが、早朝降った雨がまだ全然乾いておらず、既に私の全身もじっとりと濡れてしまった。
旅の始まりとしては、かなり最悪な展開である…。

苦労して上った道路わきから、現在の隧道を背にして田沢湖方面を展望する。
左に現在の線路、そして右には…なにやら堰堤のような痕跡がお分かりいただけるだろうか?
これは、如何にも怪しい。
もし、これが旧線の痕跡だとすると、廃隧道はすぐ背後の斜面に眠っていそうだ。



 振り返り、堰堤と思われる痕跡の直線上となる部分に目を凝らす。
全てを覆い隠す密林の向こうに、私は黒い穴を認めた。
写真では大変分かり辛いが、実際にもかなり見えにくかった。
しかし、見えたからには、あとは黙々と接近するだけである。
こんな叢では小手先の技など通用しない、ただただ愉快で無い感覚に耐え前進するのみである。



 で、手の届く場所に近付いた隧道。
坑門の前は、独特の冷気と靄に包まれている。
昭和57年に廃止されたということなので廃止後21年目になるわけだが、坑門前は既に雑木林の一部と化しており、一切転用されたりしない純粋な廃隧道らしい。
さらに内部への接近を試みる。




 坑門にはまだ銘板が残されていた。
鉄道独特の金属の銘板には、「第」の字の略字体が辛うじて確認できたが、損傷はひどい。
坑門自体もかなり風化しており、大正12年に当時「国鉄生保内線」として神代〜刺巻〜生保内(現:田沢湖)間の開通時に竣工した隧道は、その経た時の永さ相応の状況といえよう。
構造的には、奥羽本線の明治期の廃隧道に良く見られるようなレンガ組みよりもひとつ時代が進んでおり、コンクリート組みのようだ。





 坑門をくぐり内部に侵入。
延長は100mほどで、緩やかに右にカーブを描く隧道の先に、出口の光が見えている。
内部には坑門ほど傷みはなく、容易に通行できそうである。
しかし、照り込んだ光の反射は緑色であり、出口の向こうにも緑の世界が広がっていることが想像できる。


 で、早速洞内を歩き、反対側の坑門間際まで来た。
短いとたかをくくって無灯装備で望んだが、さすがに足元が暗く怖かった。
内部に入って気が付いたのだが、まだバラストが多分当時のまま、敷かれていた。
内壁にはコンクリートの吹きつけが成されていたらしく、この剥離脱落は随所に見られたが、壁自体は良好な状態にあった。
そういうわけで、廃隧道としては探索しやすかった。全く水没も漏水も無かったし。


 刺巻側の坑門で、ちょっとした発見があった。

シダ植物が、みーんな出口の方を向いて葉を広げているのである。
当たり前の光景なのだろうが、なんか、可愛らしいというか、異様というか…。

 そしてこれが刺巻側の坑門の姿である。
国道側に切り欠きがある形状が印象的だ。
なお、この坑門のすぐ脇、向かって左側には線路があるはずだし、背後には国道が走っているはずなのだが、こちら側の密林ぶりも凄まじいばかりで全く見えなかった。国道を走る車の音はひっきりなしに聞こえていたが。
やはり風化してはいたが、田沢湖側の坑門よりかは幾分状態も良いようだ。





 こうして、一本目の隧道を無事発見、探索を終了した。
残る隧道はもう一本。
次回、その姿をお伝えしたい。


後編へ

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2003.6.21