我々は森の奥に、殆ど埋もれかけたコンクリートの隧道を発見した。
そこは、我々が当初から隧道の存在を疑っていた地点の一つ、擬定地の2番、その場所であった。
発見された坑口は、峠の切り通しの200mほど東方、比較的鋭い稜線の迫り上がりに口を開けていた。
記録に拠れば、この隧道の全長は129m。
しかし、貫通している希望は絶望的に薄い。
それは大袈裟ではなく、現実に残された記録が、この隧道の最期を語っている。
いまから半世紀以上も昔、太平洋戦争の真っ最中に突貫工事で掘り抜かれたこの隧道は、完成を間近にして二度潰滅している。
2度目は遂に復旧されず、隧道計画は白紙撤回、替わりに現在も残る切り通しが拓かれたのだ。
これまで遭遇したどの隧道以上に絶望的な隧道。
今なお僅かとはいえ、その坑口が口を開けていた事さえも、私には奇跡に思えた。
隧道発見時の我々の盛り上がり方は、まさに熱狂そのものであった。
こんなに嬉しい発見は、長く廃道を歩いてきた中でも稀だ。
なにせ、手持ちのあらゆる地図に記載が無く、存在自体が絶望視されていた隧道だ。
それを、自分たちの力(“自分たち”は参加したメンバーだけではなく、シェイキチさんを始め、この探索に関わった全ての人だ)で発見できたのだ。
だが、盛大に喜びを噛みしめる間もなく、こうして口を開けている隧道に対し、内部探索の欲求が現れる。
当然塞がっているだろう隧道、内部にはどんな危険が待ち受けているか分からない。
これだけ開口部が狭いことから、特に酸欠の危険性は無視できない。
しかし、誰かがライトでとりあえず中を照らすこともなく、いきなり生身の人間が入っていく。
私の目を盗んで(笑)、気付くと中から出てきた人間がいた。
くじ氏だ。
くじ氏、潜ってすぐに出てきた。
開口一番、ぐっしゃり埋もれていると言う。
当たり前だが、やはり残念な報告。
それでも、誰一人入ることに躊躇いはなかった。
私も、ポシェットからSF501を取り出して点灯すると、スリットのような隙間に身を潜らせる。
土臭く湿り気を帯びた冷気が身を包む。
坑口から続く柔らかな土の斜面を滑り降りると、足の下からは平らな地面の感触が。
そして、ライトの光が照らし出した洞床にあって、最初に私の目に飛び込んできたのは、散乱する骸骨だった。
まさか人骨なのかと恐怖を感じる隙間もないほど私は興奮していた。
また、周りには大量のトチの実が転がっており、ここを寝床にしていた獣の成れの果てに遭遇したらしかった。
隧道は坑口から僅か5mほどで土砂に埋もれていた。
しかし、これは予想していたこと。
坑口を確かめることが出来ただけで、満足しなければならないだろう。
そればかりか、こうして消えたはずの隧道内部に立ち入ることさえ出来たのだ。
目の前の隙間無い土砂の壁、そして背後にも堆い土砂の壁。
それさえ目を瞑れば、コンクリートに覆われた内壁は未だ十分に原型を成している。
ただ、実用には一度も使われなかったという話の通り、何というか、上手く言えないが… 「白い」。
こうして閉塞現場に遭遇したとはいえ、まだ我々の捜索は終わったわけではない。
それどころか、この発見はあくまでもスタートラインだった。
ここに坑口があったという事実は、この後の探索に非常に大きな意味を成す。
この尾根の正対位置には当然、反対側の坑口の痕跡を期待できる。
さらに、この隧道には他の隧道にはない特殊な事情があった。
「序章」で述べた歴史が真実なら、この反対側の小泊側坑口は“2つ”存在する可能性がある。
1つの入口に、2つの出口がある隧道。
土木技術が発展した今日でこそ、そのような隧道は各地にあるが、最果ての寒村で試行された隧道掘削にして、前代未聞の洞内分岐の可能性。
言うまでもなく、一度崩壊した隧道を諦めきれずに崩壊部分のみを隣に掘り直して復旧させようとした、“トンネル工事史上最大の無茶”が、そんな異常な隧道を生み出さしめたのだ。
はたして、この膨大な土砂の山は崩壊によるものなのだろうか。
或いは人為的な埋め戻しなのか。
この時点では判断が付かなかった。
ただ、土砂の壁によじ登って天井との接点をよく調べると、ちょうどこの地点がコンクリート覆工の端であることが分かった。
もともと木の支保工のみで隧道を支えるなど出来っこなかった極悪な地質。
そんな場所に、おそらくは職人達の経験則だけで掘り進められた隧道。
隧道廃止の引き金となった、記録に残る崩壊は、いずれも反対側の小泊側坑口付近であるが、それから半世紀以上を経ており、コンクリートに護られなかった部分が全壊しているのだとしても、何ら不思議はない。
洞内に存在するのは狭い空洞だけだったが、そこにも生き物の姿があった。
可愛らしい蛙がいっぴき、閉塞壁の壁に踏ん張っていた。
我々が閉塞壁を歩くと砂っぽい土砂が大きく崩れ、蛙の小さな体に雪崩の如く迫った。
だが彼は咄嗟の機転で飛び退いて無事だった。
静かな、おそらくはここ何十年と人の入らなかっただろう隧道に、ひとしきり我々の歓喜が充ちた。
それは、この隧道がただの一度も経験できなかった、心からの喜びの声だった。
この写真に写っている隧道が、現在立ち入ることが出来る全てである。
殆ど地上との接点を失いつつある地底の空洞。
そう遠くない将来、完全に埋もれてしまうに違いない。
だが、このコンクリートの壁に護られている部分だけは、本当に驚くほど、綺麗に残っていた。
もしかしたら、失意に暮れた工夫たちが引き上げていったその日から、何も変わっていないのではないかと思えるほどに。
また、この隧道が施工された当時、コンクリートは厳重な支給制度の支配下に置かれており、容易に手に入らなかったはずだ。
にもかかわらず、このように一部だけとはいえ、それが使われていたというのは意外だった。
わずか4分だが、我々にとっては夢のようだった、七影隧道内部探索。
地上へ戻った一行は、皆ハイテンションのままだった。
トリ氏は、その黒髪に杉の枯葉を引っかけ、柔らかそうなほっぺを赤くして「素敵 素敵」を連呼した。
細田氏は、どこから連れてきたのかお馴染みのマムシ草を手にしては、カメラに向かって「七人の霊に捧げる」などと発言。この時点では、我々は最初の隧道の崩壊時に7名の死者が出ていると勘違いしていた。
(後日、7人の“負傷者”だったことを知ったが、いずれにしても負傷の程度は分からず、細田氏の発言も無意味とは言えない)
午後0時54分、七影隧道磯松側の内部探索を完了した。
坑口の上部の眺め。
稜線までの比高は30m程度だが、かなりの急傾斜である。
次なる我々の目的は、この裏側の坑口の捜索となるわけだが、2つの方法が比較検討された。
一つは軌道のルートを無視して強引に峰越しで反対側坑口へ至る方法。
もう一つは、一度戻って軌道を正確にトレースし、切り通しの峠を越えて反対側坑口を捜索する方法。
我々は後者を選んだが、選択するにあたって一度、稜線に登ってみたときの写真が左のものだ。
この作業中、意外な声が聞こえてきた。
下で見ていた私は、何かの冗談だと思った。最初。
「 穴があるぞ 」
誰の声だっただろう。
仲間の声に間違いなかったが、それほど抑揚のある声でもなかったし、ジョークだろうと思った。
だが、一応はその声の方に行ってみた。
坑口の直上の斜面を、坑門上端からさらに5mほど、比高にして3m以上も上った所に、果たして穴はあった。
これは、…木のうろ(洞)じゃないか…。
やっぱり、冗談か…。
穴は、枯れた幹に塞がれるようにして、確かに存在していた。
ウサギでも潜んでいるかな。
そう思ってライトを差し込んだ私が、ピクッとなった。
おいおい…、
この穴…深いぞ。
隧道の直上。
枯れ木の根元にぽっかりと空いた、謎の空洞。
木の根の下にこんなに大きな穴が有るのは不自然過ぎる。
この状況から想定される事態は、ただ一つ。
隧道の崩壊と入れ替わりで陥没した、その痕跡がこの穴なのではないか。
そして、その仮定から導き出される期待。
この穴の底は隧道にまで通じているかも知れない……。
再び私のスイッチは入った。
この穴に、入りたい!!!
周囲の制止も聞かず、「入れそうか試すだけだから」などと上ずった声で言いながら、まずは膝を入れてみる。
腐って虫食いの穴だらけになった幹が、近付いた鼻腔に甘ったるい匂いをもたらす。
太ももも、このまま入りそうだ…。
…その気になれば、全身入れるやもしれぬ。
だが、流石にここで私も、一度、冷静になる。
もし、本当にこの穴が隧道の底まで続いているとしたら、最低でも5mくらいの深さ(垂直方向)があると思う。
いま、その底はライトで照らしてもよく見えない。
上手く入れたとしても、果たして出てこられるのか。
水は溜まっていないのか。
酸素は……。
仲間達が円陣を組んで私の挙動を見守っている。
私の心は、行くか退くかの間で揺れていたが、枯れた木の根に絡み付いた土を宙ぶらりんの足で蹴り払って行くにつれ、次第に視界がはっきりとしてきた。
1mほど下には、ちゃんとした平らな地面があるみたいなのだ。
はたして、この穴の正体は?
ライトで照らせる限度は、足元だけ。
奥の方にも空洞があるのか、或いは無いのか。
それさえも分からない。
しかし、ともかく足を付ける地面はこの下に見える。
私は、意を決して、腰に力を込めた。
すぼまった私の体は、するすると地面の裂け目へ潜り込んでいく。
かつてない、土臭さ。
ポロポロと剥がれ落ちた土塊が、容赦なく毛髪に降りかかる。
襟の間にも大量に滑り込んできた。しまったと首をすくめたが、もう遅い。
私は、土にまみれた。
はたして、この穴の正体は…?
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