隧道レポート 七影隧道  第四回 

公開日 2006.11.30

決して近づけぬ場所

謎の空洞へ潜入 

 捜索の結果発見された七影隧道の南側坑口。
しかし、その内部は僅かな空洞を残し閉塞していた。
それでも大満足して外へ戻る合調隊一行。
直後、坑口上部にいた仲間から「穴発見」の報!
青天の霹靂とはまさにこれ。
坑口の5mほど上部の斜面、巨大な切り株の下に覗く、謎の空洞。その狭き入口。
私は単身、この穴への潜入を試みた。
身を細め、下半身から穴の中へ滑り込んでいく体。
ぐっと鼻を突く土臭さ。
崩れやすい土塊が綻び落ちて頭上に降り注ぐ。

 そして、視界から地上が消えた。



 腕で体を支えながら、人一人がようやく通れる根と根の隙間に潜っていった。
やがて、足が“もう一つの地面”へ着地した。
ライトに照らし出されるのは、芋のように垂れ下がる細い根の数々。
ここは既に、地中であった。



 上を見上げる。
心配そうに覗き込む仲間達の顔が見える。
この穴を下ってきた。
当然、この穴を這い出さねばならないだろう。
自力で本当に出られるだろうか……。

 ……。

  …まあ  

   細田氏の車にロープがあるから……



   天井。

 先客だ。

小さな体のコウモリが2匹、この異常な闖入者の出現にも身じろぎひとつせず、ぷら下がっていた。

手を伸ばしても、天井には届きそうにない。
空洞は、思いのほか広い…。




  洞床。

 畳2畳分くらいの広場が“感じられた”。

ここは、七影隧道閉塞地点の直上である。
この先に、閉塞壁の裏側となる部分に通じる通路があるのだろうか。

私は、もの凄く興奮した。




 手持ちの灯りでは、この空洞の全貌を一挙に照らすことが出来ない。
 カメラのフラッシュを焚くことにした。(上の3枚の写真はフラッシュ未使用)

 パシッという軽快な音と共に、刹那、小さな太陽が灯る。
 声を出す間もなく元の闇に戻ったが、カメラは確かに空洞の全貌を、とらえていた。



 隧道直上、枯れ木の根元に口を開けていた、自然に出来たとは考えられぬ大空洞。

しかし、その四方は何処へも続いてはいなかった。
ここに3m四方に及ぶ饅頭型の空洞があるのみだった。

いま、自分の頭上には人間4人分の荷重がかかっている地面がある。
ふと、怖くなった。
急に出たくなった。
撤収だ。 ここには何もない。


 だが…

   で ら れ る の か ?











出れた……。


しかし、私はもう二度と車に乗れない姿になってしまった…。



 これが、ヨッキの巣穴である。

いまも誰か近くに行くと 何かがにゅう っと出てくるかも知れないので、一応注意して欲しい…。


 さて、私が潜入した穴は何だったのだろう。
あれだけの規模の空洞が、この土山の中に、自然な浸食作用で出来ることは考えにくい。

やはり、あれは真下にあった七影隧道が崩壊閉塞した際、さながらダルマ落としのように地表近くの土砂が落下したのだろう。
これまでも、閉塞隧道の上の地表が陥没している状況には、何度も遭遇している。
この場所では地表付近に十分な根が張っていたため、地表だけを残して陥没したのだろうと想像する。
模式図(想像含む)は右の通りである。

なお、私の推測が正しければ、あの広間の地面を徹底的に掘り進むことで隧道内部へ達することも不可能ではないだろう…。



 切り通しを越えて、反対側の坑口へ 


 午後1時09分

我々は七影隧道への分岐地点まで戻った。
時計を見ると、まだここを離れてから20分しか経っていないことに気付き驚く。
まさに、オブローダー趣味の一同にとっては夢のような、至福のひとときであった。

今度は、反対側の坑口を探すため、一度切り通しの峠を越える事にする。
このルートは、隧道が結局開通できなかったために戦後間もなく大改修工事を行い、初めて軌道が開通したという。
やはり、七影隧道との因縁浅からぬルートである。




 七影隧道への分岐から峠の切り通しまでは200mもない。
まだ昼を過ぎたばかりだというのに、もうオレンジ色を帯び始めた日差しに照らされる、実り多き秋の山。
軌道跡はブルドーザーか何かで均されてしまったらしく、その痕跡はまるで乏しい。
特に見るものもなく、足早に峠を目指した。


 数分後、一行は峠に立っていた。
海抜70m足らずの小さな峠であるが、海岸沿いを通る軌道が一度だけ越える峠である。
自動車の林道ならば峠越えは珍しくもないが、こと勾配が苦手な林鉄にとっては珍しいものである。

電柱だけは、いまもここを通って小泊を目指している。
また、ここはいまも中泊町(旧小泊村)と五所川原市(旧市浦村)との境界の峠である。



 切り通しの左右の稜線からは5mほど掘り下げられている。
まさに鞍部というのがしっくりくる、馬の鞍のようなゆったりしたピークを乗り越えると辺りは日陰となった。

さて、現在地は左の図の通り峠の天辺であるが、目指すべき北側坑口の位置は、南側のそれから大体予想が付いている。
これからそこを目指す。
この先の軌道跡は、直線的に下る作業道(図中の黒線)から一度離れ、ゆったりとした2段の葛篭折れを描いて沢底へ下る事になる。
この間の高低差は20m程度だが、林鉄はこの程度でもままならないものだ。


 つづら折れの内部を簡単に紹介しよう。

ここは図中のA地点。
ヘアピンカーブの部分は、トロッコが旋回できる半径を稼ぐため、かなり斜面を掘り下げてあった。
目立たないが、大規模な痕跡である。


 続いて、つづら折れの最下段、B地点。

写真はB地点から東を向いて撮影しており、細田氏が立っているのはA-C地点間の軌道跡である。
斜面の急なスロープが地形図にも点線で描かれている道で、軌道跡の方はいまの地形図には描かれていない。


 そして、つづら折れの中段に位置するC地点。

このヘアピンカーブもまた、ある程度地山を削ってしつらえられている。
目指す坑口は、この付近の山側に有る筈だが、案の定そう簡単には見つからない。
ここへ最初に辿り着いたのが午後1時18分であった。



5人10個の眼を利用し、ここから徹底的な捜索を開始した。






次回、泣いても笑っても最終回。